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 ゆっこのお兄さんとの挨拶を済ませると、私達は本堂横の参拝者の休憩室へと案内された。


「それではご用意させていただきますので、しばらくお待ちください」


 そう言って、ゆっこのお兄さんは部屋を出ていった。それとすぐに入れ替わってゆっこが部屋に入ってきた。


「富美子。本当に来てくれたんだ」


 緑色のカーディガンに白のスカートを身にまとった彼女の様相からは、初夏の新緑のような爽やかさを感じる。


「そんなのあったりまえじゃん。もし大将が「やっぱりやめた」って言ったら、縄で縛ってでも連れてくるつもりだったんだから」


 胸を張って言う私のすぐ横、急須に茶葉とお湯を注ぎながらそれを聞いていた大将が、


「半泣き状態で毎日毎日懇願しにきたやつの、一体どの口がそんなことをいうのか」


 と、ボソリとつぶやいた。


「た、大将!?それ、いま言わなくてもよくない!」


 耳まで真っ赤にした私は弁解を図ろうとする。


「ふふ。私とお兄ちゃんのために、そこまでしてくれたんだ。富美子ありがとう」


 顔から火が出そうなくらい熱くなる。穴があったら入りたいとは、こういうことを言うのだろう。そんな恥ずかしいやり取りをしていると、


「おまたせいたしました」


 ゆっこのお兄さんが部屋へ戻ってきた。その両の手には半月盆が持たれており、


「檀家の方々にお出ししたものとおなじものでございます」


 大将と私の前に、半月盆に載せられた一汁三菜形式の御膳が置かれる。ゆっこのお兄さんが料理の内容を一品ずつ説明してくれる。


 飯:小梅と枝豆のご飯


 汁:湯葉と貝割れ菜の吸い物


 先付:ごま豆腐の餡掛け


 一菜:丸茄子の豆腐そぼろの味噌かけ


 二菜:うなぎの蒲焼きもどき


 三菜:お麩と夏野菜の酢の物


「うなぎの蒲焼きもどきというのは?」


 うなぎの蒲焼きもどきと呼ばれるものは、どこからどう見ても精進料理にはタブーとされるうなぎにしか見えない。


「そちらは、長芋とレンコンと豆腐をすりおろしたものをうなぎの切り身のように形成した後、皮を模すために海苔を張り付け油で揚げた後、蒲焼きのタレを塗ったものになります」


 箸で蒲焼きもどきをつまみ上げ、裏表シゲシゲと眺め、口の中へと入れる。ふんわりとした食感に磯の香りが広がり、甘辛く香ばしい蒲焼きのタレがかかったそれは、うなぎの蒲焼の代用として充分その役を果たしている。


 ――― 精進料理に興味がないわけではない ―――


 ゆっこがお店に来たあの日、大将が言った言葉の意味がこの料理達を実際に口にすることで重々しくのしかかる。


 肉や魚を一切使っていないのに、しっかりと動物性の味を感じることができるこの料理たちは、生臭物の代用品なんてものの次元を軽々と超えている。


「生臭物への強い憧れが生み出した、先人の創意と知恵の塊みたいな料理だ。帰ったら一回作ってみるといい」


 箸を持ち、両の手を合わせ、大将が静かに料理を一品一品噛み締め味わうように食べ始めた。私もそれに続き、二品目の酢の物に手を付ける。


「お麩の酢の物って初めて食べました。きゅうりやパプリカのシャキシャキ感とお麩のモチモチ感が面白い食感ですね」


角麩を酢の物にしようなんて誰が思いつくだろうか。


「丸茄子にかかっている豆腐のそぼろ味噌も、言われなかったら豆腐だって気づかないかも。でも、動物性の濃厚な味わいはなくて、優しくて甘い味がする」


 それを聞き、ゆっこのお兄さんが口を開く。


「豆腐も味噌も、そして野菜も、自分達で作れるものはすべてこの寺で作ったものです。既製の出来合いものを使ったほうが時間も手間もかからなくていいのですが、昔ながらのこの方法のほうが、食材一つ一つに感謝する気持ちや、生命を頂くという考えを教え伝えていくには良いかと思っております」


 うんうん。と私は頷く。そして問題の、ごま豆腐へと手を伸ばす。ふるふると揺れる薄っすら黄土色がかったそれを箸で小さく切り分け、口へと運ぶ。


 上顎や舌にねっとりとした食感が伝えられると、ごまの香ばしくも爽やかな香りと、餡から漂う乾物のような香りが鼻腔へと抜けていく。


「このごま豆腐の上にかかっている甘辛い餡は?」


 と、私が首を傾げていると、先に完食した大将が、


「干し椎茸を水で戻して、戻し汁ごと甘辛く煮たものに、片栗粉でとろみをつけたものだろう」


 と、言う。


「ほえぇ〜、大将よくわかりますね」


「口だけで味わうからおまえはだめなんだよ。鼻づまりをしていると味の変化がわからないだろ?味覚と嗅覚は密接に関係しているんだ。料理は口だけで味わうのではなく、鼻でも味わうんだ」


 なるほど。それを意識して、今度は小梅を細く切り枝豆と一緒に混ぜ込まれた炊き込みご飯を頂く。


 小梅のカリカリとした食感のアクセントを楽しんでいると、鼻から梅の爽やかな酸味と、枝豆の青々しい香りが抜けていく。


 口の中をリフレッシュするために頂いた湯葉と貝割れ菜のお吸い物も、昆布出汁の優しい味わいであった。


「あぁ〜美味しかった〜〜〜。ごちそうさまです」


 私は手を合わせ、ゆっこのお兄さんに感謝の意を示す。動物性のものが一切使われていないこの料理達は、私にとって、とても新鮮で貴重な体験となった。


「ありがとうございます。どうでしょう?なにか気になる点はございましたでしょうか?」


 と、ゆっこのお兄さんが尋ねてくる。


「私にとってはどれも美味しくて、特に気になることはなかったのですが…」


 と、言って、チラッと大将の方を見る。考える人の像のように、顎の下に手を当て大将が「う〜ん」と唸ると、


「ちなみに、もう一品のおはぎは、この後に出されたのでしょうか?」


「あのときは、小一時間ほど事のあらましをお話させていただいた後にお茶請けとして一緒にお出しさせていただきました」


 それを聞くと、今度は腕を組んで「う〜ん」と更に大将が考え込み始めた。


「よかったらお持ち致しましょうか?」


 大将の表情と態度を察し、ゆっこがそう言う。


「そうですね。お願いします」


「それではお待ち下さい」と言い、ゆっこが部屋を出て行った。


「大将?何か引っかかることでも?」


 おそらく、決定的ではないにしろ何かいとぐちを掴んでいるのであろう。しばらくして、ゆっこが戻ってきた。


「どうぞ」


 細い緑色の釉薬がかかった皿の上に、一口サイズのおはぎが2つ、可愛らしげに載せられている。


「おはぎって言うから、もっと大きいものを想像してたんだけど。こんな小ぢんまりとしたものなんですね」


「これは柚子のアイディアなんです。お茶と一緒に頂くのであれば、このサイズのほうが女性の方も召し上がりやすいからって」


 確かに。一般的なおはぎのサイズだと、菓子楊枝で細かく切ったりしないと口には入らない。行儀悪くかぶりつけばよいのだろうが、それは家だけで誰にも見られていない時にしたいものである。


 そんなことを納得しつつ、菓子楊枝でミニおはぎを刺し、口へと運ぶ。


 小豆の粒粒とした食感と、サラリとした甘み、もち米のねっとりとした柔らかさは、今しがた御膳を頂いたのにもかかわらず、2個3個と気にすることなく食べれてしまいそうだ。


 皿の上に載せられたものを完食した大将の方を見てみると、目を閉じてしばらく考えた後「なるほどね」と呟き、目を開いた。


「味が違う。か、まぁそう表現するしか無いわな」


 え!?と、私を含め、三人が一様に大将の方を見る。


「な、何か不手際でもありましたでしょうか?」


 ゆっこのお兄さんの額には、うっすらと汗が滲んでいるのが見える。


「いえいえ、不手際なんかありませんよ」


 一人だけ犯人がわかったような顔をしている大将にイライラを隠しきれない私は、


「大将。わかったんだったら早く教えてくださいよ」


 そう言うと、大将はまた考える人の像のように顎の下に手を置き、私の方を向いてこういった。


「とみ。お前、このおはぎを食べてどう思った?」


「ど、どうって。これなら何個でも食べれそうかなって…」


 それを聞いた大将は、フッと笑みを浮かべ


「そう、それが今回の答えなんだよ」


私を含めた3人が、和尚さんに禅問答を説かれた小坊主のようになってしまっている。


 何個でも食べられるおはぎが答えって、どういうこと????

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