-4-
朱色の
「ふぅ〜……」と、私は一つ息を吐いた。
「おねえちゃん だいじょうぶ ?」
緊張した面持ちの私を見て、真白いワンピースに身を包んだ結衣ちゃんが、心配そうな表情で声をかけてきた。
「心配してくれてありがとうね。お姉ちゃんは大丈夫だよ。」
そう言って、私は、結衣ちゃんの頭の上で
「この前教えたお歌は、覚えてくれたかな?」
「うん。ようちえん の せんせい も しっててね。いっしょに ようちえん で うたって おぼえたよ。」
「それはよかった♪じゃ、後でお姉ちゃんと一回練習しようか♪」
結衣ちゃんを喚ばれざる者から護るための結界の構築を終えた私は、『それにしても、結衣ちゃんに手伝ってもらわないといけないなんて……』と心の中でつぶやき、これまであったことを思い出しながら、口寄せの儀の準備に取り掛かるのであった。
──────────────────────────────────────────────
「ぽろねーれがたべたい!」
結衣ちゃんが発した「ぽろねーれ」という単語がお店の中に木霊し、その言葉は殆どの人の思考回路を混乱へと追い込んでいった。私も、あれこれ色々と頭を回転させ考えてみたものの、全く答えを導き出せなかった為、
「結衣ちゃん。おねえちゃん、うまく聞き取れなかったから、もう一度言ってもらってもいいかな?」
と、尋ね返したその言葉に、少しムッとした表情で、見るからにお
「ぽろねーぜがたべたいの!」
と、今度は、少し怒ったような口調で言い直してくれた。
私は再び思考回路をフル回転に働かせ、結衣ちゃんの言っている言葉の正解を探し始める。おそらく、回答権はあと1回しかないはず。頑張れ、私。ここで間違えると、結衣ちゃんのご機嫌は一気に低下し、最悪のシナリオは「もういい!!」と、言って、せっかく仲良くなったのにすべてがご破産になりかねない。それだけはなんとか避けなくてはいけない!あぁ〜もぉ〜、こんなことだったら、最近ブームらしい、脳トレとかやっておけばよかった。
などと、思っていると、
「ぽろねーれは、ゆいがたべたいんじゃなくて、おとうさんがたべたいんだよ。」
と、とんでもないヒントが出されたものだから、反射的に私の視線はお父さんである孝之さんの方へと向けられた。
「すいません……多分、結衣が言ってるのは、『ボロネーゼ』ですね。」
「ボロネーゼって、あの、スパゲッティのですか?」
「はい、その、ボロネーゼです。私の好きな料理の一つなんです。」
その話を聞き終え、視線を結衣ちゃんの方へと戻すと、私の顔をジィーっと真剣な眼差しで凝視しているところであった。
「結衣ちゃんゴメンね。ボロネーゼは、すぐには作れないんだ。」
私が、申し訳なさそうに返事をすると、
「いつならできるの?」
と、結衣ちゃんはまったく引き下がろうとしなかった。
「ボロネーゼって、あれか?死んだ瑠璃ちゃんが得意だったやつか?」
後方から辰さんの声がしたので振り返ると、丁度、梅茶漬けを大将から受け取っているところであった。
「叔父さんよく覚えてますね。そうなんです。死んだ姉さんが得意で月に一回作ってくれていた僕の一番好きな料理なんです。」
別添えになっている山葵をお茶漬けに少し溶かし、辰さんは、ズルズルっと、一口二口啜すると、
「瑠璃ちゃんがイタリア留学から帰って来た後、「本場仕込みの味を作ってあげる」って言って、家までわざわざ作りに来てくれたから、忘れようがないよ。それに、美味かったしな。」
それを聞き、「へぇ〜、知らなかった。」と、驚いた様子の孝之さんは、
「そんなことがあったんですね。どうしても忘れられなくて、僕のわがままなのですが、月に一度は嫁に作ってもらっているんです。」
「なんていい嫁さんなんだよ。うちのかかあにその爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ。」
「でも、姉さんの味には程遠いんですよね……あ、このことは嫁には内緒で。結構手間がかかるらしいので、今後作ってもらえなくなったら大変なので。」
「大丈夫大丈夫。瑠璃ちゃんの二十三回忌法要の席じゃ、どうせベロベロに酔って、しゃべることはねぇから安心しな。」
ガハハハハっと辰さんは笑っているが、ベロンベロンに酔っ払ってる時ほど危険なものはないのではないだろうか……と、私はちょっと思った。
「食べられるなら、やっぱりもう一回食べてみたいですね。でも、レシピもなにも残ってないから、もう幻の味なんですよね。」
─────────────────────────────────────────────
というやり取りの後は、大体いつもどおりの流れとなって、今に至るわけである。
では、どうして、結衣ちゃんに手伝いをお願いしないといけないことになったか?ということになるのだが、これには幾つかの理由があった。
一つは、お姉さんである瑠璃さんの遺品が、全くといっていいほど残されていなかったからなのである。どうしてそんな事になってしまったか?なんと、お姉さんの遺品を、孝之さんが高校生の頃に焼却処分してしまったというのです。
瑠璃さんの二十三回忌というキーワードから、薄々気づいてはいたのだが、孝之さんと瑠璃さんは、干支一周ほど年の離れた姉弟なのである。そういう関係性だったこともあり、孝之さんは瑠璃さんに対して『シスター・コンプレックス』的な感情があったのだという。お姉さんが亡くなった後もそれは継続されており、思春期を迎える頃、同級生達に、お姉さんの写真を肌身離さず持っていた事を揶揄され、その羞恥心や屈辱感などから、突発的に遺品をすべて焼き払ってしまったそうなのだ。
なので、今回、口寄せの儀を執り行うにあたって用意してもらったその殆どが、辰さんの家のアルバムなどに残されていたものなのである。それも、両手で数えられるくらいの写真だけ。はっきり言って、あの世から故人を探し出し、現世へ導くためのコンパス代わりにこれらを使用することは無理がありすぎる。
師匠であるお婆ちゃんに教えてもらったことなのだが、見た目は全く同じ遺品であったとしても、実は、二つの種類性質があるのだという。一つは、『故人を尊ぶ思いが込められた遺品』これは、親族や恋人など、故人ととても近い関係性のある者が長年大切に持ち続けていたものがこれに該当する。もう一つは、『故人との思い出を懐かしむための遺品』これは、友人など、親しい間柄だった方が、故人との思い出などを語るためのきっかけとして持っているもの。世に言うところの『思い出の品』と呼ばれるものがこれに該当する。
口寄せの儀を行うにあたっては、前者の遺品がとても大きな助けとなる。故人を思う強い気持ちが長期的に封じ込められているため、遺品を通して、異界にいる故人へのアクセスがしやすいのである。しかし、残念なことに今回の遺品というのは後者。つまり、孝之さん家族が所持していないこの遺品では、瑠璃さんを思う力が弱く、瑠璃さんへと導いてくれるコンパスの役目は難しいのである。
おそらく、私のお婆ちゃんほどの術者にもなれば、この状況下でもなんとかしてしまうかもしれない(弱い念を自らの霊力で増幅しちゃうとか。)が、私にはそれができるほどの技術はない。仮に、それをするための方法がわかっていたとしても、実行できるほどの強力な霊力はない。
この状況下に困り果てていると、一人で遊ぶのに飽き、私達の元へやってきた結衣ちゃんが、机の上に広げられた瑠璃さんの写真をじーっと見つめたかと思うと、
「おとうさん ゆい この おねえさん しってるよ。ときどき、おうち に あそびにきて、ゆいのこと、いいこいいこしてくれるひとだよ。」
と言ったのだ。その場にいた全員が、「えっ!?」っと、声を上げたのは言うまでもない。
更に詳しく話を聞くと、なんでも、一ヶ月に一回くらいのペースでその姿を見るこというのである。その事に気づいた結衣ちゃんは、「しらない おねえさん が あそこにいるよ。」とお母さんに言ったことがあるそうなのだが、「二度とそういうことは言わないで!!」と、叱られたことから、今の今まで、お父さんである孝之さんには話さなかったのだという。結衣ちゃんが話してくれる特徴と、孝之さんと辰さんが記憶している瑠璃さんの特徴が酷似していること、そして、『ボロネーゼ』が食卓に出ている時に見ることが多いということから、十中八九、その幽体は瑠璃さんで間違いないという結論に至った。
幼少期の子供は霊魂などの存在が見えるとはよく言うが、実際のところは、
瑠璃さんが結衣ちゃんを、いい子いい子してくれている。ということは、直接的に触れられた結衣ちゃんの体内には、瑠璃さんの
そこで私は、「結衣ちゃんに、瑠璃さんまでの道先案内人となってほしい。」と、孝之さんにお願いをすることにしたのだ。
「結衣に危険は及ばないのですか?」
父親である孝之さんとしては、当然の発言が返ってきた。なにしろ、死者をこの世に連れてくるという行為自体、非科学的であり、非日常的なものである。一般人にとって、全くの未知の体験である口寄せというものに疑心暗鬼や恐怖感を持たないほうがおかしいといえる。かと言って、「こういう事をするから、こういうことを手助けして欲しい」などと、詳しい話を説明したところで理解して貰えるとも思えないし、まして、自分自身がそれをうまく説明できるとも思えなかった。
なので、単刀直入に一言、
「私と一緒に、歌を歌ってほしい。」と言ったのである。
私達術者というのは、持っている霊力を最大限に開放するために、自身の持つ霊力の波長に合った『韻律』で呪文を唱える。この場合の韻律とは、簡単に言うと、音階のことだと思っていただければいい。
例え話をするとするならば、例えば、新しい曲をカラオケで練習するとしよう。まず最初に、「ル〜ルルル〜」や「ア〜アァァ〜〜」などという感じに、音程を覚えていく作業が一つ重要になってくる。言ってしまえば、これが『韻律』なのである。だから、自分の霊力の波長と同じ音階であれば、発している言葉の意味などは、実はまったくもって関係ないことで、御仏に仕える僧侶の読経の抑揚が個々によって微妙に違うのは、実は、そういうことなのである。あれは、経典の文字に込められた言霊と、僧侶自身の持つ霊力が韻律によって増幅されたものとがMIXさせた、聴覚的呪文の究極的最終形態系なのである。
私がこれまで自身の呪文として『とおりゃんせ』を唱えていた理由はそこにある。巷では、あの歌はあの世へ繋がる歌だとか、生贄を捧げる歌だとか言われているため、怖い歌だと思われているようだが、私にはその真偽の程はわからない。ただ、たまたまあの歌が自身のバイオリズムに合っているため、それを使っているというだけなのである。
だから、同じような韻律を踏めるものであれば、実はなんでもよくて、それらは、わらべ唄の中に多くあることを修行の際に発見している。
「もどろう〜♪もどろう〜♪桃の葉もどろ〜♪」
練習と称し、私は結衣ちゃんと一緒にわらべ歌を歌い始めた。「とおりゃんせ」でもよかったのだが、結衣ちゃんの年齢を考えると、「とおりゃんせ」の長い歌詞を覚えてもらうには、少し難があると思ったからだ。
「かえろう〜♪かえろう〜♪柿の葉かえろ〜♪」
これは、手毬唄や、輪囲み遊びなどをするときに歌われるものである。私の母親が、子守唄として歌ってくれていた特別な思い入れのある歌の一つでもある。
「結衣ちゃん。バッチリだね♪」
「おねえちゃん も せんせい より じょうず♪」
二人で拍手をし、私は結衣ちゃんの笑顔見ることで、この後の儀式の緊張を和らげていった。
「よし!じゃ、始めるよ。途中でお姉ちゃんパタッって寝ちゃうと思うけど、そうなったら、下のお父さんのところに行って待っててね。」
「うん。おねえちゃん がんばってね!」
練習と言っていたが、実は、今の間に、結衣ちゃんの持つ霊力とは違う霊力を私は発見することができた。とっても暖かくて優しい気持ちにさせてくれる瑠璃さんの霊力を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます