-9- おばちゃんのお好み焼き ―完結―

 体が鉛のように重い。どうやら昨日の疲労が全く抜けていないらしい


 私は、布団の中で唸り石のように「う〜ん、う〜ん」と唸っていた。スマートフォンに設定された起床時刻から何度目かのスヌーズを止める。早く着替えて朝の仕事をしなくていけない。


「ううぅぅぅ…体中いたいよぉ〜〜〜〜〜」


 全身筋肉痛による激痛で、寝返りをうつことすらままならない。おそらく、儀式を行った後の肉体的疲労感を軽く凌駕しているとおもわれる。救いなのは精神的疲労が無いこと。ただ、この状況で働かなければいけないのだとおもうと、今にもポッキリと折れてしまいそうなのだが。


 一体全体、どうして私がこんなことになってしまったかというと…


 ―― 昨日 ―― 


 今日は桜まつりの最終日。幻のお好み焼きの屋台が一日だけ復活する日。


 食材を積んだミニバンを屋台の脇へと停める。助手席から降りた先に見えた光景は、お祭りのお好み焼きの屋台ごときに必要なのだろうかと思ってしまうほどの広大なスペース。おそらく一度に100人は並べるのではないだろうか。


 放心中の私を見つけ、「おはよぉ〜」と現地集合になっていた梅さんと大内さんが手を振りながらやってきた。


「う、梅さん。おばちゃんが現役だった頃からこんなにお客さん並んでたんですか?」


 引きつった笑みを浮かべながら私は訪ねた。

 アイドルのコンサートはおろか、リンゴのマークをしたスマートフォンの新製品発売日などようなイベントにまったく興味がない私にとっては目の前で繰り広げられると思われる光景は未知の脅威でしかなかった。


「おばちゃん達でこの半分くらいだったかな?限定復活だとか、お祭りの初日から『幻のお好み焼き屋の場所はここ!』みたいなのがSNSで上がってたからね。念には念を入れてというところかな」


「お前ら無駄口叩いてないで早く準備しろ。あとから、あれが無いそれが無いとか言っても手遅れだからな」


 車から発泡スチロールに入った道具や食材を運び出す大将が厳しい口調でいう。しかしどこかこの状況を楽しんでいるかのようにも見える。


「大将、やる気でみなぎってるじゃないですか」


 大量の釣り銭硬貨を袋から取り出し、金銭トレーに収納していく大内さん。


「全員並んだとしてもたかだか100人くらいですよね?俺が現役のときなんか、同時に300,400人分の弁当とかの準備なんか当たり前でしたからね。久しぶりに腕がなるってものですよ」


「た、大将?おつくしの繁忙期をやっとこなせるようになった私はなにをすればいいのでしょうか」


 年末年始の忘新年会シーズンなど、飲食業にとって繁忙期が何度かある。


 その繁忙期に限って、普段は使わない二階のお座敷を常連さんたちのために開放するのがつくしの繁忙期の営業の仕方となっている。


 なぜ二階を開放するのか。元々カウンター数席しかない小さなお店なので、一度に沢山のお客さんをお相手することが本当に難しい。予約を受ける段階で大人数になることはないのだが、ほぼ貸し切り状態になることから他のお客さんの座れる席がなくなってしまう。かといって、繁忙期のシーズンだけ来店を控えてくれ。なんて常連さん達にお願いすることもできない。


 そういった理由から、気の知れた常連さん達を、そういったシーズンだけVIP扱いとして二階で過ごしてもらうことにしているのである。


 しかし、「常連だからといって気を抜くんじゃないぞ」と耳がタコになるくらい言われる。お酒の進み具合や料理の好み、完食するまでの時間。そういったものを感覚的に把握できている常連だからこそ、いつも以上に仕事をこなして行くのだと。


 一見いちげんさんや準常連さん達の相手をしながらも、見えない二階に気を使うという所業が、頭で分かっていても中々上手くこなして行くことができない。


「繁忙期を乗り切れるようになったんだったら、何が大事なのかわかってるだろ?事前に打ち合わせしたように俺がメインで焼きをするから、お前は無心で巻いていけばいいだよ。そのためには何が必要で、どういうフォローをすれば無駄がなくなるか考えろ」


 大将は具材の入ったトレーやらバットやらを次々と並べていく。一見まったく意味のないような乱雑な配置に見えるが、きっと大将にとっては意味があるのだろう。


 ドタバタと(私だけかもしれないが)準備が終わり、鉄板の具合確認をするために、お好み焼きを焼いて行く。


 出汁で溶かれたお好み焼きの生地の香りが春風に乗ってお祭り会場に漂っていく。気づけば他の屋台の人たちが集まってきた。


「町内会長、委員長、おはようございます。これですか?幻のお好み焼きっていうやつは」


 いかにも若者っという出で立ちの男女数名がやってきた。


「そうだよ〜、味はオヤジどものお墨付きだ。よかったら食べていくか?」


 町内会長が若者にソースも何も塗らないで手渡していく。


「ほんとっすか。ありがたくいただきます」


 受け取った皆々は、はしまきの形をしたお好み焼きにかぶりついていく。


「おぉ〜これ美味いっすね。ソースも何も塗ってないからどうかと思ったけど、中からしっかり味付けされた具材がでてきた」

「ほんと、皮もモチモチでおいしい〜♪」

「作ってるところ見てたけど、具材に肉が見当たらないからどうかと思ったけど、予想以上にジューシーですね」


 どうやら、若い人にも好感触のようで一安心である。


「委員長。この味の秘密ってなんなんですか?」


 梅さんが大将に目配せする。それを受けた大将が笑みを浮かべながら口を開く。


「そいつは簡単には教えられないな、お兄ちゃん。なにしろ俺がこの味の秘密にたどり着くのに40年かかったんだから」


 そうっすよね。と、笑いながらお好み焼きを完食し、「それじゃがんばってください」と言って、皆は散り散りに戻っていった。


「教えちゃってもよかったんじゃないのかい?大将」


「なんでも聞けば教えてくれると思ってるうちは進歩はないからね。それに俺が40年悩んだ味を簡単に教えたら悔しいじゃねぇか。そうだろ?具材に『マーガリン』を入れるだなんて早々思い浮かばないよ」


 鉄板を掃除し、油を塗り、生地を薄く焼いていく。そこに、冷蔵トレーから取り出した5mm角に切られた、マーガリンキューブを散らしていく。


 大将が到達できなかったおばちゃんのお好み焼きの味の決め手。そう、それが、マーガリンだったのだ。


 なぜお好み焼きにマーガリンを入れることを思いついたのか?


 おばちゃん曰く、形同様、クレープからヒントを得たとのことだった。クレープの甘くてモチモチした生地を食べたあと、お好み焼きの生地にも応用できないかとクレープのことを調べていくうちに、生地にバターを使うことを突き止めた。しかし、お好み焼きの価格を抑えるにはバターは高価過ぎたのだ、そこで、代用品として売られていたマーガリンを使うようになった。元々肉気のなかったお好み焼きにとって、マーガリンの植物性油脂と塩分は最高の隠し味となったのだ。


「さ〜て、そろそろ時間だな。今日は天気が良いから水分だけはちゃんと取っていきましょう」


 梅さんが服の袖をぐぐっと上げる。大内さんも身につけたエプロンの紐をギュッと締め直す。


 会場開演を知らせる場内放送が流れる。TVでみた一番福を競うお祭りのような勢いで沢山の人が走り込んでくる。気づけば私達の屋台の前に10分と経たないうちに人だかりができていた。


 一瞬の出来事でオロオロしている私のお尻をバシッと大将が叩く。「大丈夫だ」と一言言われてると、落ち着きを取り戻した私は気合を入れ直した。


 それ以降は何をしていたのか記憶がほとんどない。覚えているのは、一生分の割り箸を使って、ひたすらとお好み焼きを挟んではくるくると巻いていたこと。鉄板が熱かったこと。トイレに行きたくて行きたくて行きたくて仕方がなかったこと。思いだせるのはたったそれだけ。


 この地獄のような所業も、体力が切れるよりも先に材料が切れたことが唯一の救いだったかもしれない。


 マジックで書いた完売の札を出すと、大将以外の三人はその場で崩れ落ちるかのように力尽きた。


「に、二度とやらねぇぞこんなこと…」


「そりゃおばちゃん達も引退するわ…」


「ふえぇぇ〜〜〜、大将、なんでそんなケロッとした顔してるんですか」


 1人、マラソンを完走した後のような爽やかな表情でペットボトルのお茶を一気に飲み干す大将がいた。


「こんなもんで根を上げるようじゃトミ、まだまだ修行がたらねぇな。そこの2人も体のキレが悪すぎる。運動不足すぎるぞ。横目で見てたが、腕も膝もガクガクだったじゃねぇか」


 化物なのだろうかこの人は…あれだけのハイペースで他人のことも見ているなんて、むしろ、それができるのだから料理長が務まったのかもしれない。


 悲鳴を上げる体に鞭打って後片付けを行い、なんとか(大将が運転しているので助手席でぐったりと寝ていたのだけれど)家路についた。その日はお店は臨時休業だったため、晩御飯もお風呂もそこそこに泥のように眠りについた。


 そして、全身筋肉痛の今に至るわけである。


 今なお唸り石状態の私は力を振り絞って体を起こす。


「早く玄関の掃除してお店の掃除しないと、大将に怒られる」


 ”ピキッ”


 立ち上がろうと力を入れた瞬間、両足のふくらはぎの筋肉の筋が伸びた。


「△□x◎☆&”#$%&!?@:」


 口から声にならない悲鳴をあげ、布団の上でジタバタとする。


「トミのやつ…ちゃんとマッサージしなかったな」


 一階では、いつもの時間にいつものように仕込みを終えた大将が新聞に目を通している。


『町の新しい名物になるか!?幻のお好み焼き見事に復活!』


「おいおい、今度は名物に担ぎ出したのかよ」


 ガラガラッ!!


 お店の玄関が勢いよく開いた。


「た、大将いる!?」


 血相を変えて大内さんと梅さんがやってきた。


「二人ともどうされましたか?」


「どうもこうもないよ!!し、新聞、新聞」


 カウンターに置かれた新聞を指差す梅さん。


「あぁ〜今見てたけど、名物がどうのこうのって」


「そう、それ!!昨日のイベントのSNSを見た県外の町おこし事業の人から問い合わせが来てて、来月行われるイベントに参加してくれって言われてるんだよ!!ど、ど、ど、どうしよう」


 壁に手をつき、いつもの3倍の遅さで階段を降りていくと、大内さんの大声が聞こえた。


「あ、みなさんおはようございます。大将すいません。すぐに玄関掃きします」


 痛みで引きつった笑顔でなんとか挨拶をし、壁にテーブルにと、手をつきながら掃除道具入れに向かう。


「とみちゃんおはよう。体大丈夫?実は、あのお好み焼きの屋台、来月の別のところで行われる町おこしイベントに参加してくれないかって言われてるんだけど」


 いま何を言われたのか脳がうまく処理できない。というか、処理を拒否しているのかもしれない。来月のイベントに参加してくれ????


「ち、ちなみに、き、規模はどれくらいで」


「規模は昨日の3倍くらい。特別ゲストってことでゴールデンウィーク全部出店しt」


 おそらく人間という生き物は生命の危険を感じると、脳で思考するよりも早く、その感覚器官にダイレクトに信号が送られるのだろう。


「ぜ、絶対にお断りでお願いします!!」


 ”ピキッ”


「△□x◎☆&”#$%&!?@:」


 うっかり力を込めて返答してしまったがために再び両足がつった私は、涙目になりながら握りしめていた竹箒にしがみついて、力なく地面に崩れ落ちていったのでした。


 P.S

 そんな私を介抱してくれながらも、笑っていた梅さんと大内さん。

 風のうわさでは、その翌日に筋肉痛が襲ってきたらしく、二人揃って身動きが取れなくなっていたそうです。

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