2 - 2 語るもの、語らぬもの
私たちは今、旧市街広場にいる。
ここは旧市街のシンボルであり、百塔の街の中心地でもある。
今日は休日。
仕事も学校もお休みだ。
柔らかな日差しの下、多くの人々が買い物や行楽のため旧市街広場を訪れる。
大量の屋台、野菜や肉を売る商人、それを買う人々。
人の集う所は活気に満ちる。
老若男女が入り乱れ思い思いの言葉を交わす。
雑踏に分け入ると、私の耳に幾多もの言葉が流れ込んできた。
市場のさなかで混じりあった言葉はもはや言葉としては聞き取れず、魔法の呪文の朗誦のように耳を惑わす。
古来より、百塔の街では様々な民族が入り乱れていた。
そこで生まれた言葉は独特で、分類はスラブ語族なのだが、表記にはラテン文字が用いられる。
さらに国外からドイツ語やポーランド語、国内でも少数民族のヴォラリ語などに影響され、一筋縄ではいかない言語だった。隣のスロヴァキア語に至っては、方言程度の違いしかない。
しかし現在、百塔の街で用いられる「
『破局』と呼ばれる災厄により、この世界は滅びに瀕した。
百塔の街は、僅かに残った人類の生存圏。
そして減りすぎた人口を補うため、この街はヨーロッパ中から生存者をかき集めた。
結果、人種の混交は更に進み、言語もまた混じりあった。
あまりに不本意な形ではあるが、かつてのエスペラントやヴォラピュクのような世界言語が形成されつつあるらしい。
とはいえ、これはなし崩しで生まれた共通言語。決して人造言語としての合理性を備えてはいない。
今は「均衡のとれた」言語体系への移行期であり、まだまだ迂遠で冗長な構造を持つ。
言語的な経済性が犠牲となったおかげで、私はずいぶんと自由な表現が出来る。
けれど、その豊穣の言語を堪能できない者もいるのだ。
彼らは黙して語らない。
すなわちゴーレム。
市場で視線を巡らせれば多くの人影が目に入る。
それらの人影の内、どれだけが口を開き言葉を発しているのだろうか。
遠目には人もゴーレムも同じように見える。
いや、近くで見ても判別は困難だ。皮膚や髪さえ人と同じ質感を持つのだから。
ただ額の三文字が、人とゴーレムの隔たりを表わすのみ。
そして傍らには、兄そっくりのゴーレム。
「ヨゼフ」
私は彼の名を呼ぶ。
それは、私が彼に与えた名前だ。
てっきり彼には、兄と同じ名前がついているのかと思った。
しかし彼は否定した。黙したまま首を横に振るのみ。
口のきけない彼には名前など答えようが無い。
名前を示すものも持っていなかった。
そこで私はかりそめの名を与えた。
それが、ヨゼフ。
その名を示す綴りには幾つかの読み方があるが、百塔の街の住人は「ヨゼフ」と発音する。
兄が読み聞かせてくれた百搭の街のゴーレム伝説のなかで、百搭の街を救ったのは、ヨゼフという名のゴーレムだった。
絵本の中のヨゼフは百塔の街の人々を守り、時に暴走し、最後は静かに土くれへと還っていった。
この街には、そんなゴーレム伝説が幾つも伝わっている。
その名を呼ばれたヨゼフが、私を見下ろす。
何か用か?
穏やかな瞳のまま僅かに首をかしげる。
決して口を開かないが、その表情は語り掛ける様に柔らかだった。
「……呼んでみただけ」
彼の眼差しがあまりに優しげで、私はつい目を逸らしてしまう。
私たちは今、昨夜の路地へと向かっている。
黒い男、白髪の少女、暴走したゴーレム。
彼らが何者なのか、少しでも手掛かりがほしい。
きっとそれは、父やヨゼフの正体へも繋がっているはず……。
そう考え、私はヨゼフを連れあの路地を目指す。
……あんな目に遭ったのに外を出歩くなど無用心だと思う。
けれど家の中の暗がりは、昨夜の路地を連想させた。
廊下やソファの影すら濃い闇を湛え、私を吞み込もうとする。
私の胸はきゅうと締まり、吐く息は浅くなる。
きっと、家に閉じ籠っても彼らに追い詰められるだけだろう。
何も分からないまま、ある日突然連れ去られるのだ。
黒々とした妄想が私の心を苛む。
せめて日の光に当たりたい。そんな思いが私を外へと導いた。
それに白昼堂々、こんな人前で大捕物を演じるわけにはいかないはず。
きっと黒い男達も手出しはできない。
もっとも、確証は無いが……。
うつむく視線を持ち上げると、旧市庁舎の時計塔が目に入った。
それは宗教的、天文学的な装飾に彩られ、随分と凝ったからくり時計となっている。
時刻の節目には機械仕掛けの人形劇が演じられ、時間だけでなく、天体の運行や人生の機微すら示す。
左手には中世における宗教改革の立役者、ヤン・フスの像。
彼は「真実以外の何ものにも従わない」と公言し、腐敗した教会と戦った。中世における二度の宗教戦争の火種となった人物。
しかし今、この広場は額に『真理』の文字を刻む人のまがい物であふれている。
私はその巡り合わせを不思議に感じてしまう。
そして空を見渡すと沢山の塔。
塔はこの街の特産品だ。
路地を歩くだけで、いくつもの塔が目に入る。
しばらく市場を進んでいると、昼を告げるラジオの音が響いた。
スメタナの「我が祖国」より第二曲
百塔の街を流れ行く、金と黒に彩られた奔流を讃えた曲が、ざりざりとした雑音の奥から聞こえ始めた。
この前奏の後、ラジオは日々のニュースを告げる。
古来より、この街は音楽家に恵まれた。
モーツァルトはこの街で「ドン・ジョヴァンニ」を書き上げ初演し、スメタナやドヴォジャークは、ドイツ音楽と異なるこの国独自の音楽を、ここで確立した。
住人も負けず劣らず音楽への造詣が深く、休日にはあちこちの広場でバンドの演奏が聴ける。
この音へのこだわりが、言語学に大きく貢献したプラハ学派の人々を育んだのだろうか。
切なくも力強い旋律。
百塔の街の住人はこの音色に郷愁を掻き立てられ、同時に前を見て歩む勇気を授かる。
けれど、私がこの曲へ抱くのは悲観。
中でも
しかしその老朽化は激しく、古くから崩落と修繕を繰り返していた。
そして数年前、大水害によって再び崩落した。
私たち兄妹は、それに巻き込まれたのだ。
土石と瓦礫で真っ黒になった濁流に押し流され、返らぬ人となった兄。
一方私は、冗談のように無傷で助かってしまった。
兄が、庇ってくれたから。
そういう経緯で、私の兄はもういない。
この曲を聞くたび、私の胸は悲しみに締め付けられる。
うつむき溜息をつく私を、ヨゼフが不安げに見下ろしていた。
そして、私を励ますように、そっと手を引いてくれた。
人を掻き分け歩みを進めるヨゼフ。
時折振り返り、私の様子を伺う。
少し過保護な、けれど兄らしい気遣い。
その仕草はあまりに兄にそっくりで、私は思わず笑みをこぼす。
けれどそれは、本当の兄に対して不誠実な態度かもしれない。
僅かに笑顔を曇らせる私。
すると憐憫に水を差すように、私のお腹が小さな音を立てた。
ああ、もうお昼なのだ。
途端に私は空腹を覚え、ひもじくなってしまった。
そんな私の様子を敏感に読み取ったのか、ヨゼフは屋台を指さし、昼食を勧める。
「お昼ごはん、食べようか」
そうして屋台に近づきながら、私は思い出した。
ああ、彼はゴーレムだった。
ゴーレムは食事を必要としない。
土そのものが体を構成する以上、ゴーレムは人間のように食物を消化し取り入れる必要は無いのだ。ただ泥を足せば、彼らは自身を維持できる。
人のような複雑な過程を経ない自己組織化の結果だ。
そう。
朝食の時もヨゼフは決して物を食べなかった。
ゴーレムらしい慎ましさで私を見守るのみ。
頭では分かっているのに、ついヨゼフを兄として扱ってしまう。
けれど、彼は兄ではない。
それは有り得ないのだ。
私は今朝、彼が何者なのか問い詰めた。
市場を歩きながら、私は朝食の出来事を思い出す。
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