9 - 2 廟

 ヨゼフに手を引かれ、開いた扉の奥へ進む。


 私たちはついに、ウルティムスの基幹部へ到達した。その枝分かれの根幹へと。


 ナーナ、カレル、ガル博士、ブスマン、ファブリ師匠。

 皆ゆっくりと足を踏み入れる。

 首だけになったマリウスは、カレルが抱えている。


 広大な部屋。


 その壁には幾筋もの樹形図が刻まれ、床からは列柱が林立している。聖堂、あるいは廟のような終着点。

 警戒ではなくある種の厳かさが、私たちに口を噤ませ、息づかいを小さくさせる。


 樹形図が赤く淡い光を放ち始める。

 その発光に呼応し、列柱が小さな瞬きを返す。

 徐々に光量は増え、部屋の全てを照らし出す。


 石造りの森を取り囲むように、無頭の巨人が立っていた。

 ゆっくりこちらに振り返る。

 断ち切られた首に刻まれた『真理』の三文字が、私たちを見下ろし赤い光を瞬かせた。


 部屋は暁光に照らされたように赤く染まる。


 その光の中に、二つの人影が佇んでいる。

 すなわち、我が父レーヴとハレマイエル先生。

 静かな言葉が投げかけられる。


「なんのつもりだヨゼフ。ここにヘレナ君を連れてくることが、何を意味するか分かっているのかね?」

 先生がヨゼフを睨みつけた。


「お前はヘレナを犠牲にしないため、我々に協力したはずだ」

 父が不信の瞳で、ヨゼフを見据えた。


 私と手を繋いだまま、愛おしそうに私を見た後、ヨゼフは返答した。

「その通りです。僕も、ヘレナを犠牲にするつもりは毛頭ありません」


 私の犠牲。


 城での決別からわだかまっている疑問。

 あの時先生は、私の話が出た途端激昂した。


 直後に決別し、激昂の理由は分からないまま。

 今ようやく、その理由を問い質す機会が訪れた。


 私はヨゼフの手を離さず、小さく一歩踏み出す。

「私の犠牲とは、どういうことですか……?」

 少し幼くなった声で、けれど私ははっきり問いかける。


「やはり話していなかったのか、ガル」

 先生は私から視線そらし、背後のガル博士を睨む。あの時と同じ、憤怒の表情で。


「それを皆に伝えれば、ナーナやカレル、そして計画の要であるヘレナも、協力してくれなかっただろうからね」

 現に、僕の計画のせいで『その三文字』は分裂しただろう? あの優しげな瞳の奥に虚無を湛え、ガル博士は言った。


 私を見据える父。

 かつて虚ろだったその瞳は、あの時とは少し違う光を湛えている。


 父は私へ問いかける。

「ヘレナ。お前は『本文』の鍵となることが何を意味するのか、考えたことはあるか? 『本文』との接続は、単なる対話などではない」


 先生が口を開く。

「ヘレナ君、君はかつて言ったな。体を持ち言葉と事象に触れる以上、ゴーレムはいつか言葉の意味を理解すると。それは『本文』も同じだ」

 一拍の後、先生は説明を始めた。


「『本文』はこの星という体を持ち、全ての情報に触れ、世界の事象を知覚する。長い時を経て『本文』も、既に何らかの意志に目覚めているのだ。しかし『本文』の形はあまりに人と違い過ぎる。『原形質』を介しこの星と一体化した書物が、はたして何を思うのか。あらゆる知識を記録する書物と、あらゆる知識を体現する素材から導出される意志を、我々は想像できない。その意志の表出すら理解できないだろう」


 それは禁忌の行き着く先。

 自壊の制限なく形を変え質量を増やし続ける知性は、やがて人の手に負えなくなる。

 ヨゼフやマリウスはあくまで人の形を保っているが、もし人型への執着を無くせば、やがて人の理解できない存在になり果てて――あるいは昇華して――いくのだ。


「ヘレナ君、『破局』やゴーレム暴走が不具合ではなく、『本文』がコミュニケーションを模索した結果だとしたら? 、『?」

 ハレマイエル先生は語り終え、赤ぶちの眼鏡を押し上げた。


 父が言う。

「そんな人外と、円滑にやり取りできるはずがない。『本文』は鍵となったお前を理解するために、おまえを傷付けさえするはずだ。子供が好奇心から虫を傷付けるのと同じように、な」


 けれど、

「私なら大丈夫なはずです。私は、無頭型の戦術情報通信網をクラックしました。『本文』も同じように……」

 ガル博士が割り込む。


「確かに君は成功したね。けれどそれは、物理的に計算資源を増やすことで――脳を拡張することで――思考を強化したに過ぎないんだ。だから、『本文』が君をはるかに上回る質量で脳を構成したら、単純に量的な問題から、君は敗北する」

 博士が自らの計画の欠点を明かす。その犠牲者に向かって。

 しかしガル博士の疲れた面差しを見ると、私は何も責められなくなってしまう。


「そもそも、俺に勝てなかっただろうが」

 肺を失っているにも関わらず、首だけになったマリウスが楽しげに言った。彼の首を持つカレルがぎょっと驚く。


 父が静かに言う。

「対話を失った『本文』は、正しい声の出し方を忘れている。それゆえ、『本文』は言葉の息吹を感じるもの全てを吸収しようとする。無頭型の『その名』を引きずりだした試作型の鍵も、接続を切れないまま『本文』に取り込まれてしまった」


 すなわち、鍵には死が訪れるのだ。


 先生が口を開く。

「それは始めからわかっていた。あの事故によって変質したヘレナ君を鍵とするガルの計画は、君の死を前提としている。いや、場合によっては君を、死よりなお辛い目に会わせることになるだろう。……私もレーヴ君も、それに耐えられなかった。結局私たちは、君と街を天秤にかけ、君を選んだ」


 口を閉ざした先生の後に、父が言った。

「もう疲れたのだ。妻を、息子を失い、そして最後の愛娘さえ捧げるなど。もう、私には許容できない。いっそ、街が消え愛しい人々だけ残るのなら、それでかまわない」


 あまりにも絶望的な告解。

 父の背負う苦悩は、私のそれと比べ物にならなかった。


 娘と街。もともと、二つは等価だったはずだ。

 街を守れば、私も守れる。導師として百塔の街を生かすことは、父にとって幸せを守ることに他ならなかったのだ。


 にも関わらずあの大水害は、父にあってはならない問いを投げかけた。


 娘か街か。


 もう、誰も何も言えない。


 けれど、

「なぜ、話してくれなかったの……?」

 せめて私に伝えるべきではなかったのか。私こそは当事者だったはずだ。


 かつての父の仕打ちを思い出し、激情に囚われる。兄が死んだ後、父は私に見向きもしなくなったのだから。

「話せば、お前は喜んで身を投げ出すだろう。死んだ兄に会えると、躊躇わず計画に賛成したはずだ。そんなこと許せるはずがない。お前を守るには、こうするより他になかった」


「あの時突き放しておいて、今更そんなこと……!」

 私は父を睨む。

 ヨゼフが強く、私の手を握った。


「そうだ。それでいい。私を憎め。私の計画が達成されれば、お前は大罪人の娘だ。私の真意を知って苦しむよりは、全てを知らず狂った父を憎むほうがいくらもましだ。お前が何も背負わず生きられるなら、他に何も望まん」


 私の口は開いているというのに、そこから言葉は溢れてこない。

 ああ、私たち家族はなんて口下手なのだろう。

 皆が互いを愛しているのに、それを上手く伝えられないのだ。

 しかしそれが、まぎれも無い親子の証。


「あの城で敗北した後、僕はその話を聞いた。僕はヘレナを守るため、レーヴ教授とハレマイエル先生に力を貸した」

 今ヨゼフの手は、ゆっくり私の髪をなでている。私の怒りを鎮めようと、あやすかのように、何度も何度も。


「ヨゼフだけは、何としても手中に収める必要があった」

 ハレマイエル先生が口を開く。

「ヨゼフの意志は自壊を克服できる。巨大化や幼体化にも耐える強靭な意志は、物理的な戦力がマリウスと拮抗する可能性を示唆していた。加えて、ヘレナ君がやったように体を再構築して計算資源を増大し、ウルティムスを制圧する可能性すらあった」

 変形に耐えうる意志。つまり、ヨゼフもマリウスのように不定化できる素地を持っているのだ。


「切り札たるマリウスとウルティムスを維持するために、ヨゼフだけは連れていく必要があったのだ」


 では、あの廃墟での決別は。

 私を拒絶したヨゼフの意志は……。

「演技だよ。ブスマンが封じられた今、ヘレナが『本文』と接続できるのは、ここウルティムスの中だけだ。ヘレナを地上に繋ぎとめておけば絶対に『本文』と繋がれない。だからあの時、廃墟の中でヘレナを突き放した。間違ってでも僕に会いに来ないように。完璧に演じたつもりだったけど、どうもらしい」

 額の文字の瞬き。

 私を見下ろし、ヨゼフは同じ言葉で謝罪した。


 あまりにもあっけない真相。


 皆が、私のために。

 けれど、それを言うことはできなかったのだ。口を開きそれを伝えれば、私を傷つけてしまうから。


 誰もが大切な人への言葉を飲み込み、語りえぬものについて、沈黙していたのだ。


 見上げると、私を見詰めるヨゼフの金色の双眸。

 なぜだか彼の顔は晴れやかで、まるで全ての決着がついたような雰囲気を湛えている。


「で、ヘレナを守るためいじらしい努力をしたお前が、なぜ今になって裏切った?」

 俺をこんな体にしやがって。それでも楽しげなマリウスの問いかけ。

 その問いを受け、ヨゼフが口を開く。


「ようやく準備が整ったんです。

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