2 - 3 望む答え
ヨゼフの膝の上で目覚めた後、私はいつものように
独りぼっちの味気ない食卓。
けれど、今朝は違う。
私の対面には彼がいるのだ。
椅子に腰かける彼の姿は兄そのもので、私はかつての幸福な食卓を思い出している。
しかし、彼は兄ではない。
私の兄は数年前に起こったヴルタヴァ河の大水害で、カレル橋の崩落に巻き込まれ帰らぬ人となったのだから。
彼はゴーレム。
口を閉ざした泥人形。
私がどれだけ問いかけようと、彼は決して口を開かない。
小さく溜息をつく私。
その寂しげな仕草を見て、ゴーレムの顔が不安に曇る。
口がきければ「大丈夫か?」と語りかけるであろう、そんな表情だった。
諦念と共に、私はつぶやく。
「……やっぱり、ゴーレムなの……?」
ああ、わざわざ聞くまでもないのだ。
額の『真理』の三文字と、黙して語らぬその所作が、彼が兄ではないと告げる。
本来ゴーレムは道具に近しい存在。人が使役し、人のために使い潰すもの。
にもかかわらず、兄と同じ形が親しみを覚えさせる。
彼を人だと錯覚させる。
私は、その愛おしい形を直視できなかった。
どうして彼は、こんな形を……。
そもそもゴーレムは、無意味に人型に造られている訳ではない。
ゴーレムが人型を採るのには明確な理由がある。
例えば、人は大きなものを表す時「山のように」という比喩を用いる。
山が人を上回る大きさを持つからこそ、巨大さを示す形容に成り得るのだ。
しかし、もし山より大きな巨人が存在すれば。
巨人にとって「山のように」という比喩は、小さなものを指す表現となるだろう。なんせ山は巨人より小さいのだ。それは巨大さの象徴には成り得ない。
このように、たとえ同じ言葉であっても、話者の状態によってその意味は変わる。
すなわち、言葉は体に依存するのだ。
当然、人と異なる形では人と同じように言葉を受け取れない。人の言葉で書かれた『
それゆえ彼らは人の言葉を正確に受け取るため、可能な限り人と同じ形を与えられる。
だからといって、目鼻立ちや体つきを実在の人物と等しくする必要はない。
……ましてや死者に似せるなど。
どのような経緯で、このゴーレムが造られたのだろうか。
顔を上げると、ゴーレムが私を見詰めていた。
そのまま小首をかしげる。
何を考えているんだ?
決して口を開かぬまま、仕草や眼差しがそう語りかける。
人としては自然な動作。けれど、ゴーレムとしては不自然極まりない振る舞い。
本来ゴーレムは機械的に命令を実行するだけ。その動きはぎくしゃくしており、人間らしさを感じさせないはずなのに。
きっと彼に刷り込まれた『戒律の書』は、人の思考に近い高度な条件分岐を持つのだろう。
そんなものを造れる人がいるのだろうか。
そこまで考えて、私はようやく思い至る。
そうだ。
父なら……。
私はうつむき、再び思索へ沈んでいく。
我が父レーヴ。
この街唯一にして中欧最古の大学、カレル大学で教鞭を振るう学者。
日々『戒律の書』を改訂し、『神の文字』の謎を解き明かすべく、神学へと邁進する結社『その三文字』の導師でもある。
父の成果は目覚しく、現在公布されている『戒律の書』の基幹部分には、父による記述がいくつも組み込まれている。
父は
まさに「導師」と呼ぶにふさわしい才人。
あの事故で兄が死ぬまでは、そうだった。
父は兄が死んでから、ほとんど家に寄り付かなくなった。
残された私のことなど省みず、取り憑かれたように研究に打ち込む日々。
一人残された私がどれだけ寂しい思いをしたことか。あの頃私は母も兄も亡く、父に縋る事さえできなかった。
そして半年前。
ようやく研究が一段落したのだと、父はぼんやりつぶやいた。
それからふらりと家を出て、帰ってこなかったのだ。
数日家を空けるだけなら珍しくもない。しかし一週間、十日ともなると話は違う。
何よりあの異様な雰囲気。
そこで私は、もう父が帰ってこないことを悟ったのだ。
目の前の彼は、そんな父が造ったゴーレムかもしれない。
残された家族を捨て置き、あれ程研究に打ち込んだのだ。その技術を持ってすれば、人間の振る舞いなど再現できてしまいそうだ。
けれど、何のために?
なぜこんなゴーレムを?
……父は、兄を蘇らせたかったのだろうか。
だとすれば、お粗末な話だ。
結局、目の前の彼はゴーレムに過ぎない。
どれだけ兄に似ていようと、口を開くことさえ出来ないのだ。
あの父が、そんな事を望むだろうか。
私はちらりとゴーレムを見る。
このゴーレムが造られた理由とは、何なのだろう。
このゴーレムに課せられた目的とは、何なのだろう。
兄のように振る舞い、言外に意志を匂わせ、何一つ命じなくとも自律し続ける。
その人間じみた振る舞いには何か理由があるはずだ。
まずはそれをはっきりさせなければならない。
「あなたの目的は……」
そう問いかけようとして、思い出した。
ああ、ゴーレムは口をきけないのだ。
当然、私の質問に答えられない。
人が人を創造できないこと、人が神の業を再現できないことを知らしめるため、ゴーレムの口は摂理によって閉ざされているのだから。
しかし実際は、口がきけないだけではない。
ゴーレムは手話や筆談も封じられている。
『真理』の三文字を記し間違ってでも同族に命を吹き込まぬよう、文字の操作を固く禁止されているのだ。
意味を理解しないまま命令通りのジェスチャを繰り返す以外、言葉に触れる術はない。
そんな彼らに許された意思表示は、「はい」と「いいえ」の二つだ。
ただ物事の正誤を判断し、一切の感情を交えず表現される二値の判定のみが、ゴーレムに許された表現手段。
それは状況を把握し、樹形図の選択肢を判定するために必要となる最低限の意思表示だ。
すなわち、目の前の彼と意見を交わすには、「はい」か「いいえ」で答えられるよう問う必要がある。
ちらりとゴーレムを上目遣いに見た後、私はしばらく考え込んだ。
どうすれば、「はい」と「いいえ」だけで望む答えにたどり着けるだろうか。
それはひどく難しい。
人の言葉は曖昧で、簡単には割り切れないのだから。
どうしても齟齬を含んでしまう。
頭の中でゆっくり文章を整えた私は、静かにゴーレムへ語りかけた。
「あなたは、私の父に造られたゴーレム?」
彼は背筋を伸ばし、真摯な眼差しで私を見詰める。
そしてこくりとうなずく。
肯定の印。
ああ、やはり父の造ったゴーレム。
ならば、次に問うべきは彼の目的。
しかしどう問うべきだろう。
「はい」か「いいえ」で答えを得るには、少々荷が重い。
思い当たる節から問題を切り分けていくしかない。
「あなたに与えられた命令は、父に関わること?」
それが二つ目の質問。
怪訝な顔で私を見詰めるゴーレム。
しばらくすると、彼は顎に手を当て熟考し始めた。
相変わらず人間のような仕草を眺めながら、私は反省する。
ああ、質問が悪かった。
彼に言った「関わる」という言葉は含みが多い。
どの程度の関連性があれば「関わった」ことになるのか、私自身すぐには定義できない。解釈を広げれば、同じ街に住んでいるとか、外見の性別が同じだとか、そんなことでも何らかの「関わり」を持つことになるのだから。
しばらくすると彼は考えがまとまったらしく、顎から手を離し私を見据えた。
ゆっくりと首を振る。
否定の意思表示。
こんな曖昧な質問にも――たとえ間違っていたとしても――答えられるなど、やはり尋常のゴーレムではない。
ならばと、私は同じように質問した。
「あなたに与えられた命令は、あなた自身に関わること?」
即答とはいかないまでも素早い返答。
しかしその答えは否。
だとすれば。
「私に関わること?」
即座にうなずくゴーレム。
肯定の印。
……私に関わること。
彼の答えを受け、私の脳裏に一つの問いかけが浮かぶ。
それは余りに楽観的だった。
『あなたに与えられた命令は、私、ヘレナを守ること?』
危うく、そう口に出しそうになった。
けれど、目の前のゴーレムが首を横に振ったら。
そう思うと、私は問いかけられなかった。
兄と同じ形で、同じように振る舞うゴーレム。
愛しい愛しい、兄の似姿。
たとえ贋物であっても、私は彼に心惹かれてしまう。
そんな彼が私以外の何かを見ていたら。
……きっと、耐えられないだろう。
そもそも目の前のゴーレムは、あの父が造ったのだ。
ゴーレムが私を守るのは何かのついで。
或いは、真の目的に私が必要だからかも知れない。
いずれにせよ、父は自身の目的のため私を必要とし、このゴーレムを差し向けたのだろう。
彼の真の目的は、私ではないのだ。
きっとそうなのだ。
父への猜疑と兄への憧憬に、私の小さな胸は塞がれてしまう。
いっそ、このまま沈黙していようか。
何も明らかにせず、口を噤んで兄の面影に耽溺するのだ。
沈黙の中には、望む答えがある。
曖昧な言葉で傷つくより、じっと押し黙る方が幸せかもしれない。
少なくとも、沈黙は私を拒絶しない。
金色の夢の中の兄が、黙して私を待ち受けるように。
そうしてどれだけ黙っていただろう。
目の前の彼は、ただじっと私の瞳を見据えるだけだった。
律儀に背筋を伸ばし、私の質問を待っている。
それから。
ようやく私は、小さく口を開いた。
けれど、脳裏に浮かんだ質問を発することはできない。
喉につかえて苦しかった。
舌はしびれて凝ってしまった。
肺に満たされる空気は、バターのように硬かった。
返答を恐れ、問いを発しない私の口。
それでも。
その問いは魅力的なのだ。
もし彼が、首を縦に振ってくれたなら、私は……。
そんな儚い希望に急き立てられ、私は言葉を発してしまった。
「……あなたに与えられた命令は、私、へレナを守ること?」
即答。
それがもっとも大事だと言わんばかりの、力強いうなずき。
「私を守ることが、あなたの使命なの?」
またもや即答。首肯するゴーレム。
何度も何度も、首を縦に振る。
「本当に……?」
もちろん。
彼はきっと、口が開けばそう言っただろう。
そんな面差しだった。
……誰が。
……何のために。
父が。
私を守るために。
そのため生み出されたのが、彼。
ああ。
これこそ私の望んだ答え。
どうせ得られないだろうと思っていた返答。
あの父がこんな事を望むとは、どうしても思えなかった。
だが、私は望む答えを得た。
兄と同じ形のゴーレムは、同じように私を見詰めていた。私の事を想ってくれていた。
安堵にから小さく溜息をつく。
胸は弾み、嬉しさのあまり口が軽くなる。
私は、二の句を継いでしまった。
「私を守るために、全てを投げ出してもかまわない? たとえ、」
あなたが死ぬことになっても。
口に出してから、後悔した。
言葉として空気を震わせたそれは、私の胸を揺さ振った。
死んでも私を守る。
それは、かつて兄が行ったこと。
そしてそれゆえ、兄は死んだ。
しかし彼は、何もためらわず、わが意を得たりとばかりにうなずいたのだ。
私は沈黙する。
ああ。
私はなんてことを……。
己の迂闊さが信じられなかった。
その問いかけを取り消したくて、私はゴーレムに言った。
「もう一人にしないでね……」
もっとも力強いうなずき。
「お兄ちゃん」
しばしぽかんとした後、彼は寂しげに微笑みながら、首を横に振った。
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