2 - 4 その名

 そんな今朝の出来事を回想しながら昼食を食べ終えた。


 テラスの椅子から立ち上がり、静かにヨゼフの手を引く。

 彼は何も言わず、ただ微笑みながら私に付き従う。


 旧市街広場を抜けると入り組んだ路地。

 その枝分かれを辿りながら私は昨夜の路地へと向かう。

 暴走ゴーレムが襲い掛かってきた、あの路地へと。


 ふと道端に目を向けると、積み上げられた麻袋の脇に半裸のゴーレム。

 商人の所有するゴーレムだろう。

 たとえ安息日でも、彼らは勤勉に労働するのだ。


 そのたくましい胸板に、『その名シェム』を示す文字列が覗いた。


 『その名』は『神の文字』で記される原初の名前。

 神が手ずから与えた事象の名だ。


 この世界にある全ての存在には、必ず『その名』が与えられているという。

 学校で先生がそう言っていた。


 かりそめの知性を吹き込む『真理』の三文字と同じように、『その名』はゴーレムの器を象る。


 私たちの使役するゴーレムには「人」を意味する『その名』が刻まれており、それゆえ「人」としての形状と機能を有する。

 『その名』が胸にある限り、ゴーレムは『その名』に相応しい在り方を維持し続けるのだ。


 もっとも、ただの泥団子に「人」を意味する『その名』を刻んだところで、「人」としての機能は有さない。当然形も泥団子のまま。

 相応しい形状に相応しい『その名』を刻んだ時にだけ、『その名』は機能を発現するらしい。

 「人」を意味する『その名』を発動させるには、精巧な人型の泥塊が必要なのだ。

 この街では、陶工が毎日せっせと人型をこね上げている。


 そんなことを考えながら歩いていると、ヨゼフに服の裾を引かれた。

 目の前を早足のゴーレムが通り過ぎる。

 ああ、危うく轢かれるところだった。

 気をつけろよ、とでも言いたげにヨゼフが私を覗き込む。少し困った顔で微笑んでいる。


 やはりヨゼフは兄そっくりだ。

 昔のまま何一つ変わらない面影。

 そんな彼につられ、私も幼い頃の自分に戻ってしまったようだ。

 つい、周りに無頓着になってしまう。


 そうして路地を進むうちに、なにやら耳障りな音がした。

 石と金属がこすれるぎゃりぎゃりという騒音。


 音の方角を横目で見ると、穴にはまり込んだ戦車――砲は取り去られ、起重機として使われている――がもがいていた。リベットどめの青みがかった装甲が、振動でびりびりと音を発する。


 おそらく、道が陥没したのだろう。


 旧市街は洪水へ備え、石を積み上げかさ増ししている部分がある。その結果、かつての地上階が地下階になっている場合が多いのだ。

 シュコダ製の小さな戦車は、そういった地下室にはまり込んだらしい。

 こんな場所で作業をするのなら、重機を用いずゴーレムを使うべきだ。私は頭の片隅でそんなことを思う。


 通りへ視線を戻した刹那、ばつんと大きな音が聞こえた。


 振り返ると、自分に向かって飛んでくる黒い塊が見えた。

 突然引き延ばされる時間。


 あの塊はなんだろう。

 暗色をまとった、板状の金属。

 ああ、戦車の履帯キャタピラか。


 きっと、戦車が穴から出ようと無茶をしたのだろう。無理な力がかかり、履帯同士を繋ぐピンがねじ切れてしまったらしい。 

 張り詰めた弦を切断したように、帯状に綴られた金属塊が波打つ。

 その端がばらばらとほつれ、欠片を撒き散らす。

 そうして千切れた幾つかの履帯が、私めがけて飛んできたのだ。


 くるくる回る黒い板が、まっすぐこちらへ向かって来る。

 遅々として進まぬ時間の中で、私はさっと青ざめた。

 もし、あんなものがぶつかれば。


 突如、視界に滑り込むヨゼフ。

 私を庇い立ちはだかる。

 直後に鈍い音、くぐもった音、ばきりと木が折れるような音。


 再び唐突に、時間の流れが元に戻る。


 ヨゼフが仰向けに倒れた。

 脱力し、人形の様に投げ出される四肢。


 よく見ると右腕が千切れている。履帯に切り裂かれ、倒れ込んだ拍子にもげたらしい。

 腹には深々と突き刺さった履帯。勢いよく泥水が噴き出し、周囲を黒々と染めていく。

 その体液を浴びた顔は表情を窺い知れない。

 けれど苦痛に歪んでいることだろう。

 なんせ、下顎がごっそり削り取られているのだから。


 突然の出来事に声も上げられない。

 私はただ、口に手を当てたままへたりこんでしまった。


 目の前の光景を信じられない。

 理解はしているが、納得できていない。どこか他人事のように眺めるしかできなかった。

 やがて周囲がざわめき色めき立つ。


 事故を聞きつけた人々が集まり、怪我人がいないかと路地を検めていく。

 皆が手を取り助け合う。


 それなのに。

 誰も、ヨゼフに見向きもしない。

 こんな酷い怪我人がいるのに……!


「あ……」

 私がようやく声を上げた直後、ヨゼフの胸が光を放った。


 泥水で真っ黒のシャツの下から、文字列が浮かび上がる。

 それは『その名』を象った瞬き。

 淡い光が路地を照らすと、周囲に飛び散った泥がぐねぐねと蠕動し始めた。

 やがてのたくる芋虫の様に、ゆっくり這いずりヨゼフを目指す。


 そうして辿り着いた泥土は、ヨゼフの形をゆっくりと修繕していった。

 目の前で千切れた腕が肩口に収まった。

 腹から履帯が転げ落ち、ぽっかり空いた穴が塞がっていく。

 欠けた顎から骨が生え、肉と筋に覆われ、最後に皮膚が張り付いた。

 虚ろに開いた口がぴくりと動き、自ら固く引き絞る。消して言葉を発さぬように。


 あっけにとられる私。

 ほんの一瞬で、ヨゼフの負った傷は見る影も無くなった。


 ゴーレムは、確かに人と同じ形を持つ。

 髪の艶や皮膚の質感、濡れた瞳の光沢も人と変わらない。


 しかし、それを構成するのはあくまで泥土だ。


 額に刻まれた『真理』の文字がある限り、『その名』は器を象り続ける。

 例え骨が砕け肉が裂けようと、『その名』は泥を支配しゴーレムに与えられた原型を維持するのだ。

 そもそも昨夜も、彼は銃弾を身に受けたまま突撃したではないか。


 もう、ヨゼフは元通り。


 安堵のせいか腰が抜け、私は立ち上がれない。

 ヨゼフはゆっくり立ち上がる。


 ちょっと躓いただけだよ。


 そんな様子で私を見詰める。手を差し伸べ、私を静かに立たせてくれた。


 ああ。

 また、私は彼に救われたのだ。

 もう、これで二度目。

 

 私はヨゼフの手を掴んだまま彼の瞳を見詰めた。

 ……兄と同じ金色の瞳。

 そして、その振る舞いまでも、兄と同じなのだ。


 けれど。


 彼の身を呈した振る舞いは、父が演算し記述した言葉に過ぎない。

 ヨゼフ自身に私を守ろうというはない。

 言葉に従った結果、そうなっただけなのだ。


 頭ではわかっている。

 だとしても、彼の行いは尊い。


 気がつくと、私は彼に感謝の言葉を述べていた。兄にするのと同じように。

「……ありがとう」

 そう伝えた私の頭を、ヨゼフは優しく撫でた。沈黙したまま、兄と同じ笑顔で。


 きっと私は、目に涙を浮かべているだろう。

 恐怖か驚愕か、あるいは郷愁か。

 まだ心臓の鼓動は早く、その感情は言葉にできなかった。


 泥水で濡れそぼったシャツから、懐かしい土の香りが立ち上る。

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