2 - 5 語りえぬもの
帰り道。
西日が傾き、街は徐々に金色へ染まっていく。
高い尖塔が家屋へ影を落とす。
金と黒のまだらに染まる家々が眩しい。
私とヨゼフは、そんな路地をゆっくり歩いている。
結局、収穫は無かったに等しい。
昨夜の路地を訪れた時、私を襲ったゴーレムの残骸はそのまま残されていたが、ほとんど原型をとどめていなかった。
服装から判断するに、介護や子守に使われる従者型が二体。
指物師の手伝いと思しき職人型が一体。
郊外の農場で使役される
いずれも広く普及しており、この街のどこでも見かけるゴーレムだ。
ゴーレムの大半は街を統べる結社『その三文字』の所有物であり、その運用は厳重に管理されている。ゆえにゴーレムの体には、所属や用途を明らかにする刻印が刻まれる。
それは、旧市街や城下町で番地代わりに用いられる紋章と良く似た模様だ。蛙や蛇、一角獣や二匹の熊を象った可愛らしい刻印を確かめれば、所属や用途を知ることができるはずなのだ。
しかし土くれとなったゴーレムから、それを判別することはできなかった。
せめて
それは戦闘用ゴーレムの証。
戦闘用ゴーレムは、『その三文字』だけが運用を許されているのだ。
暴走の手掛かりになりそうな共通点も見当たらなかった。
用途が同じだとか、外見によく似た特徴があるとか、そういった手掛かりが見つかれば用心できると考えていたのに。
昨夜の様子を思い描く。
暴走とはいえ、あのゴーレムたちは白髪の少女の命令に従っていた。
すなわち命令を理解する、制御された暴走だ。
こうなると、本来の意味での暴走とは少し異なる。
暴走とは人間の命令を無視した状態だ。
めちゃくちゃに暴れ回る、凍りついたまま動かなくなる、そういった状態を指す。
昨夜のゴーレムたちは暴走したというより、「人に危害を加えてはいけない」という原則を外されたと考えるべきかもしれない。
『戒律の書』が与える原則を無効化した白髪の少女、彼女を守る黒い男、消えた父、兄の生き写しであるヨゼフ。
今は何も分からない。
安心できることは何一つ無い。
けれど私は浮かれているのだ。
隣を歩くヨゼフが、私の心を軽くする。
顔を上げると、過ぎ行く路地の合間から教会の尖塔が覗いていた。
旧市街の南にある最古の教会、聖イリイ教会のものだ。
その塔から夕暮れを告げる鐘の音が降り注ぐ。
はるか昔から鳴り続けるその鐘は、人々の生活や追憶の中に知らず知らず刷り込まれている。
私はこんな夕暮れに鐘の音を聞くと、あの夢を思い出してしまう。
今朝見たあの夢。
金色の森と、そこに佇む兄。
いつも決まって、私はその胸に飛び込むことが出来ない。
兄は唐突で理不尽な黒い濁流に押し流されてしまうのだ。
入り組んだ路地を抜けると人通りが増えてきた。
柔らかな西日の中帰路につく人々。
夕陽は彼らを一様に染め、肌や瞳の色の見境をなくす。
あまつさえ、人とゴーレムの違いすら判らなくなる。
食材を切らしていたことを思い出し、私は市場の出店に寄った。
いつもどおり一人分の食材を買い込む。
ヨゼフと夕餉を分かち合えないのは残念だが、共に食卓を囲むことはできる。
きっとヨゼフは、私の話に耳を傾けてくれるだろう。そして兄と同じようにうなずくのだ。
私は傍らの彼を見上げる。
ヨゼフは決して兄ではない。
それでも私は、今晩の夕食に少しわくわくしている。
しかしその野菜を、ヨゼフがひょいと取り上げた。
僕が持つよ。
仕草でそう告げ、紙袋に仕舞いこむ。
年下だからと見下すのではなく、自然に気づかうそのそぶり。
ああ、やはり兄とよく似ている。
私の頬は、きっと緩んでいるだろう。
ゴーレムゆえに語れないからこそ、そこに兄を重ねられる。
きっと兄ならこうしてくれるだろう、そんな都合のよい幻を投影できる。
沈黙の中には、望む答えがあるのだ。
金色の夢の情景の後、本当なら兄は、私の手を引き家まで連れ帰ってくれる。
ちょうどこんな風に並んで歩きながら。
まわらぬ舌を必死にまわし、その日の出来事を嬉々として語る私。
そんな私の話に、兄は笑顔で耳を傾けてくれた。
口下手ゆえに学校で友人をつくれず、私はいつでも一人ぼっちだった。
けれど兄だけは、私を気づかい寂しさから守ってくれたのだ。
今の状況と、幸せだった頃の情景が重なる。
私は無意識にヨゼフと手を繋いでしまった。
いや、本当に無意識だろうか。
ヨゼフが微笑みながら私を見下ろす。
さっと手を離す私。
改めて考えると、ずいぶん恥ずかしいことをした。
私は今年で一三歳。
体はずいぶん小さいが、もう子供ではないのだ。
しかしヨゼフは照れる私などお構いなしに、その手を捕まえた。
私の手を引き歩くヨゼフ。
振り向いた笑顔が、また兄と重なる。過剰な程に。
ああ。
どれだけ兄に似ていようと、彼は兄ではない。
それどころか人ですらない。
けれど今、そんなことはどうでもいいのだ。たとえヨゼフがまがい物であっても、私はかまわない。
ただ優しく切ない追憶に浸っていたい。
……私の態度は、兄に対して不誠実だろうか。
兄を亡くして苦しんだ父なら、この気持ちを分かってくれるだろうか。
いや、きっと。
同じ気持ちだからこそ、こうしてヨゼフを兄に似せたのだ。
兄の仕草や振る舞いを、『戒律の書』の中に言葉としてしまい込んだのだ。
傍らのゴーレムは、優しく微笑むだけで何も言わない。
沈黙が、全てを優しく包み込む。
私の望みを肯定する。
恥ずかしさから伏せていた顔を上げる。
ゆっくりと、確実に、私は声を出す。
「今日は、ありがとう」
はにかみながらそう伝える。
嬉しいはずなのに胸が締め付けられる。
彼が黙して語らぬのをいいことに、私は都合の良い幻を重ねている。
頭の片隅では、それを理解しているのだ。
彼は黙って私についてきただけ。
そしてときどき愛想を振りまくだけ。
けれど、それがたまらなく嬉しかった。
たとえそれが、父によって計算し尽くされた挙動であり、ただ言葉に従った結果に過ぎなかったとしても。
返事が無くてもかまわない。
優しく微笑んでくれるだけでいい。
いや、沈黙するがゆえに、そこには兄の面影があった。
兄の面影を重ねられた。
ああ、そうか。
その時私は、唐突に気付いた。
だから彼らは、こんなにも増えたのだ。
『破局』も復興も関係ない。
ゴーレムは沈黙する。
それゆえ何も否定しない。
ただ、無言で肯定する。
語らないからこそ、語れないからこそ、彼らは私たちを受け入れてくれる。
語るべきではない、語りえない言葉を、彼らは決して口にしない。
沈黙の中には、望む答えがあるのだ。
唐突に、私はかつて父が言った言葉を思い出した。
『語りえぬものについては、沈黙せねばならない』
父がゴーレムに入れ込み私を省みなかった訳が、少しだけ分かった気がする。
しかしそんな私を裏切るように、
「どういたしまして」
ヨゼフは、はっきりとそう言ったのだった。
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