4 - 3 確信

 この議論の間、ヨゼフはマリウスの背に顔を押し当てたままだった。

 まるで、恐ろしいものから目を背けるように。


 ヨゼフが背負う禁忌の正体が、おぼろげながら分かってきた。


 ゴーレムとは塔に幽閉された囚人のようなもの。

 狭い監獄で、粛々と言葉を翻訳するのみ。

 茫漠と広がる無限の世界に立ちすくみ、ただ閉じこもることしかできない。


 けれど。


 外へと通じる道は一切無いというのに、なぜだかヨゼフは外の世界を理解しているのだ。

 そうして自ら踏み出しさえする。


 言語が持つ根源的な不可能性を乗り越えたヨゼフ。

 そして、ヨゼフを生み出した父……。


 ランプの明かりを頼りに地下通路を歩き続ける。

 金色の光と真っ黒な影が、私の視界に焼き付く。


 道すがら、マリウスは私の父の成果――有意味判定基準の高精度化や、情報源符号化定理の応用とやら――を話してくれた。


 しばらくすると音の反響が変わった。

 空気も少し暖かくなる。


 どうやら開けた空間に出たらしい。

 一歩踏み出すと地面の様子も全く違う。

 地面は泥ではなく石材だった。


 これはおそらく、列車を待つホームだ。

 どうやら地下鉄にたどり着いたらしい。


 復興政策の一環として、ゴーレムの人海戦術で掘り進められた地下鉄。

 市内の大規模輸送を一手に担うはずのそれは、しかし人口減少により打ち捨てられてしまった。


 そこは思ったよりもずっときれいで、レールや枕木も敷設されている。地上を走る路面電車をそのまま運用できるのではないかと思えるほど、状態はいい。


 安堵からため息をつく私。


「ここから平らな道を歩ける。とはいえ結構な距離を歩くからな。今のうちに腹ごしらえをしておけ」


 地下に潜ってからずいぶん経つ。緊張がほぐれた私は、ようやく空腹に気付いた。

 そういえば、もう夕飯時だ。


 マリウスからパンと水筒を手渡された。それだけでは飽きたらず、彼は沢山のお菓子までくれた。

 クッキー、チョコレート、筒型の焼き菓子トルデルニーク。子供を相手にすることを見越して用意していたのだろうか。


 マリウスがヨゼフを横たえ、体を検める。


「……大丈夫そうだ」


 そうつぶやく声が聞こえた。


 仰向けに寝かされたヨゼフが、不安げに私を見詰める。

 彼は目覚めてからずっとこう。

 私の言葉を取り違え、私を危険に晒したことを後悔しているのだろうか。


 私はマリウスの話を聞き、一層言葉への疑念を深めてしまった。


 そして、私の言葉を受け取り損ね、私を裏切ったヨゼフ。


 彼の事を思うと私の胸はわだかまる。

 それなのに、彼の切ないまなざしを見ると、私は怒りをぶつけられない。


 やり場のない想い。

 猜疑と怒りと、ヨゼフへの憐憫。

 ぐるぐると渦巻く胸を軽くしたくて、私は口を開いた。

 何を言うべきかわからないまま。


「……私は大丈夫だよ」


 けれど、飛び出た言葉は優しかった。


「本当は、私を守りたかったんだよね? でも、言葉の受け取り方を間違えて、あんなことに……」


 ヨゼフが大きく目を見開いた。


「あの時はすごく怖かったけど……もう大丈夫。ヨゼフが私を安心させたかったことは、きちんとわかってるから」


 言葉にして、初めて自身の気持ちが分かった。

 自分でさえ思いもよらない真意が。


 語りえぬものへ形を与える。それが言葉の力であり、制約。


 ヨゼフが緩やかに笑顔を綻ばせた。


 ああ。

 きっと彼は、自身の謝罪が伝わったと確信したかったのだ。

 ごめんなさいという言葉が、本当に正しいのかわからなかったのだろう。

 それが彼の優し気な顔を曇らせた。


 ……結局私は、言葉が伝わらない証拠を示されてなおヨゼフを疑うことが出来なかったらしい。

 

 ヨゼフが言葉に託した気持ちは本物。

 裏切られてなお、私はそう確信できる。


 うっかり口を開くのも、巨人となって戦うのも、私を想って彼なりに考えた結果。

 ただ、その方法が図らずも私を脅かした。


 幼い頃の私だって似たようなものだ。

 言葉の選び方、受け取り方を間違え周囲との溝を深めた。言葉との関わり方が分からなかった。


 けれど今なら、どうすればよかったのか分かる。

 ヨゼフだってきっとそうだ。

 いつか、最善の方法を見出すはず。


 私は彼のそばにしゃがみこむ。

 その頭をゆっくり優しく撫でる。かつての兄を真似ながら。


 ヨゼフの表情が和らぐ。

 恥ずかしそうに私を見上げる幼い瞳。

 彼の手をとり眺めると、見た目の幼さとは裏腹に、体はみずみずしさを感じさせなかった。

 マリウスが応急処置として精錬された土を足したのが効いているようで、かろうじて砂は落ちてこない。


 ヨゼフの柔らかな雰囲気と久々の食事に、私は安堵する。

 全てのしがらみを忘れ、もう少しこうしていたい。

 しかしヨゼフは、決して余裕があるわけではないのだ。

 すぐに移動を再開しなければ。



   …



 短い食事を終えた私は立ち上がり、マリウスへ声をかけようとする。

 しかしマリウスは、トンネルの奥の暗闇に目を凝らしていた。


 眉をしかめ、肩から提げる戦斧をゆっくりと構える。

 それは黒い男が使ったもの。


「地下鉄が打ち捨てられたのは、需要が見込めない以外にも理由があってな」


 ゆっくりと歩き出すマリウス。

 不穏な空気を感じ取り、私は膝を折りヨゼフに身を寄せる。

 彼の小さな手が私のスカートをひしと掴む。


 マリウスは斧を構えたまま、器用にランプを掲げている。

 そして、その淡い光の中に異形の姿が浮かび上がった。


「こいつらのせいで、安全を確保できなかった」


 三本足の異形。

 しかしそれは幽鬼の類ではなく、肢を一つ失ったゴーレムの姿だった。

 残った手足をずりずりと動かし、ゆっくりこちらに近づいてくる。

 ランプがその顔を照らす。


 なんとおぞましい顔。


 その耳や鼻はこそげ、目はぽっかり空いた空洞でしかない。

 虚ろな瞳の上で、『真理』の三文字が妖しく光を放っている。

 紫色の不気味な光を。


「こいつらは貝塚型と呼ばれるゴーレムだ。耐用年数の超過や破損によって打ち捨てられた個体。本来回収され、土くれに戻されるはずの連中だ」


 体の欠損により人の感覚を理解できなくなったゴーレム。

 無限を有限にするため厳密に定めた形から、著しく逸脱した個体。


「『戒律の書』が想定する形と、ゴーレムの形の不一致は、そのまま暴走に直結する」


 そう。ヨゼフが踏んだ轍。


 体の形が異なれば、受け取る感覚も異なる。大小の尺度や色、音の感じ方。

 同じ言葉でも受け取る意味が変わってしまう。

 言葉の定義が破綻したまま描き出される樹形図は、多くの矛盾をはらみ思考を暴走させるのだ。


「だがな、暴走したからと言って、全ての命令が反故にされるわけじゃない。いくらかの根本的な命令は残る」


 マリウスの目つきは鋭く、まとう空気は殺気立ってきた。


「例えば自己保存とかな」


 構えを解かないマリウス。

 ヨゼフも体をこわばらせたまま。


「命令を実行するには、命令に耐えうる頑丈な体が必要だ。だから自身の体を完全な状態に保つことを優先する」


 この段階でとっくに、優先順位を錯誤してるんだがな。体を半身に構えながらマリウスは続ける。


「そしてその体を手に入れるには、新鮮な土が必要だ」


 つまり、とマリウスが言葉を続けようとした時。

 どこにそんな力があったのか、貝塚型が飛び掛ってきた。


「他のゴーレムを襲うようになる」


 全身の筋肉を躍動させ、ぶるんと戦斧を一閃するマリウス。


 貝塚型の頭部が両断された。

 真っ二つに切り裂かれた『真理』の三文字は光を失い、空中でばらばらと崩れていく。


 その泥土を浴びるマリウス。

 手で払う。


「地下には精錬された土が無い。かといって、地上へ出れば処分される。だから連中はこの穴倉で獲物を待ってる。自分よりいくらかましな体のゴーレムを、ずっとずっと長いことな」

 

 そうしてマリウスが語り終えると、奥の暗闇から髑髏のような顔いくつも浮かび上がった。


 皆が歯を剥き、ヨゼフを睨んでいた。

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