語りし者はさいわいなり

島野とって

1 百塔の街

1 - 1 夕陽

 暮れなずむ空。

 金色に染まるいくつもの尖塔から、荘厳な鐘の音が降り注ぐ。

 長い影へと沈む街。


 私は、黒く染まった石畳の上を歩く。

 吹き抜ける北風が長い黒髪をもてあそんだ。

 スカートを抑え、ほんの束の間立ち止まる。


 ここは中世欧州の面影を残す旧市街スタレー・ムニェスト

 図書館からの帰りに寄り道を終えた私は、ひとり我が家へ向かう。

 誰もいない、我が家へと。


 通りを見渡すと様々な建築物が目に入る。

 ゴシック、ルネサンス、バロック。

 中央ヨーロッパ最大の都市として、各時代の最先端を取り入れた街並み。

 この街は神聖ローマ皇帝――あるいはボヘミア王――カレル四世の治世において大いに栄えた。

 当時主流だったゴシック建築はとりわけ多く、街には何本もの塔が林立している。


 それゆえここは「百塔の街」と呼ばれるのだ。


 またの名を、「プラハ」とも。


 しかし多くの塔は傷つき崩れてしまった。

 その傷を癒すため、この街は大がかりな再開発を行っている。


 日が落ちれば石造りの街は底冷えする。

 会計士か何かだろう、前を歩く彼は外套の襟を立て、北風に肩をすくめた。


 通りの人影がまばらになる。

 道行く人々は、みな家路を急ぎ早足になっている。

 心なしか私の足も速くなる。


 すると、妙にゆっくり歩く影が目に入った。

 

 「それ」はぎくしゃくと、おぼつかない足取りで歩く。

 通りの奥からこちらに向かって来る。


 やがて私は「それ」とすれ違う。


 「それ」は主人に荷運びを命じられているのだろう。

 大きな鞄を抱え、大儀そうな足取りで歩く。

 のろのろと足を持ち上げゆっくり踏み出す。

 さぞかし疲れているのだろう。


 けれど、その顔は無表情。

 苦痛も倦怠も宿さない、空虚な眼差しをさまよわせるだけ。

 「それ」はいつだってこんな顔をしている。


 強い木枯らしに顔をしかめる私――黒タイツ越しでも、寒さがひしひし伝わってくる――と対照的に、寒さに身を震わせることもなく歩き去っていった。


 大通りにさしかかった私は、交差点でしばし立ち止まる。

 電線から火花を散らし、古めかしい路面電車が横切っていった。


 通り過ぎた電車の奥にはいくらかの人影。

 やはり、「それ」が混ざる。


 「それ」の外見は、人と何も変わらない。

 人と同じ形、同じ大きさ、同じ皮膚や髪の質感。

 もちろん服も着ている。

 にもかかわらず、表情はあまりに虚ろなのだ。


 ふと横を見やると、さめた色の外套をまとい、ゆっくり手を動かす「それ」も目に入った。

 おそらく交通整理を命じられているのだろう。


 あまりにぎくしゃくとした動作。

 普段から「それ」を見慣れていなければ、その身振りが何を示すのか読み取れないだろう。


 これ程分かりづらい方法で横断を促すくらいなら、声に出して伝えればいいだろうに。


 けれど「それ」は沈黙したまま。

 決して、言葉を発しない。


 夕陽は傾き、通りに落ちる影が形を変えていく。

 金色の光が徐々に移ろい「それ」の額を照らした。


 そこに刻まれるのは何かの文字。

 かつて神が、この世界を書き記す時使ったという『神の文字』。

 その失われた言葉で『真理エメス』を意味する三文字が、はっきりと記されていた。


 すなわち、ゴーレムの証。


 ゴーレム。

 土で象られ、『神の文字』によってかりそめの命――あるいは知性――を吹き込まれた泥人形。


 ゴーレムは人と寸分たがわぬ形を持つが、人のようには思考できない。

 意志を持たず、感情を露わにすることも無い。

 動きもどこかぎくしゃくしており、人の持つ滑らかさは備えていない。


 そして何より、のだ。


 人の似姿たるゴーレムは『神の文字』によって駆動されるが、それを刻むのはあくまで人。

 もしゴーレムが、人のような外見で人のように語るなら、それはもう人と変わらない。すなわち、人が人を創造したことになってしまう。

 「人による人の創造」という禁忌を犯さぬよう、ゴーレムの口は摂理によって閉ざされているのだ。


 はるか昔より伝わる数秘術カバラ、あるいは中世の錬金術によって創造されたと言われるゴーレム。

 そんなオカルトの産物は、こともあろうに科学の世紀を経た今頃になって、この街に顕現してしまった。


 交差点を渡った後、私は細い路地をてくてくと歩く。

 明日は休日。学校も休みだ。

 私は一人、家で過ごすだろう。

 長く伸びた髪の手入れでもしよう。


 けれどゴーレムに休みは無い。

 例え安息日であっても、彼らはひたすら使役される。

 もうゴーレムの労働力なしではこの街を維持できないのだ。

 それ程までに人は減っている。


 路地の脇から音が聞こえる。

 とんてんかん、という何かを叩く音。それはひどく規則的だった。

 きっとゴーレムが働いているのだ。

 ゴーレムは、過酷な労働を耐え忍ぶ。


 すると、脇の小路からゴーレムが現れた。


 半裸の上半身は薄汚れ、手に持つつるはしも泥まみれだ。

 おそらく、再開発のため土木工事に従事しているのだろう。

 しばし無表情に佇んだそれは、やがてふらふらと歩き出した。


 工事を抜け出しどこへ行くつもりなのだろう。

 彼らに、意志や感情など無いというのに。


 同じ路地から人影が現れる。

 またゴーレムだろうか。


 いや、違う。


 その足取りは確かなものだった。

 ゴーレムの後を追って現れたのは、眼鏡をかけた線の細い男。

 老いた額に手を当てやれやれと溜息をついた。

 学者然とした出で立ちだが、服は泥と瓦礫で汚れており、彼も工事現場にいたことを物語る。


 おそらくはゴーレムを使役する導師ラビだ。

 結社『その三文字』の使命に則り、ゴーレムを用いて街の復興を支援しているのだろう。

 彼は先ほどのゴーレムに向き直り口を開く。


 人との会話に用いる口語に比べればいくらか固い、独特の間を持った発声。

 プラハ学派のトルベツコイが提唱した音韻論を受け継ぐ、対ゴーレム専用の無駄な音素の無い命令文だ。

 ゴーレムはその言葉を、黙したまま拝聴する。


 意志や感情を持たないゴーレムが唯一従うのは、「言葉」だ。


 ゴーレムは人が発した言葉を聞き取り、可能な限り言葉に従う。


 ただし、その忠実さは異常だ。

 魚を獲れと言われれば、網がはちきれても獲り続ける。

 水を汲めと言われれば、井戸が枯れても汲み続ける。


 ゴーレムに節度や常識を求めてはいけない。

 「いつ」まで「何」を「どれくらい」するのか、「何のため」の行動なのか。

 そういった条件を正確に伝えないと、ゴーレムは人の意図と全く違う行動をとってしまうのだ。


 人間が無意識に理解する規律や規範を無視し、ただ言葉として正しい解釈にだけ従うでくのぼう。

 それが、ゴーレム。


 そうしてしばらくの間、導師はゆっくり語りかけていた。まるで幼児をたしなめるように。

 いや、胎児ゴールミに言い聞かせる、と形容した方がしっくりくるかもしれない。


 ようやく主人の命令を理解したのか、こくりとうなずくゴーレム。

 ぎくしゃくと元来た路地へ引き返していく。

 老いた導師も気だるげに、ゴーレムの後を追いかける。


 おそらく、ゴーレムにありがちな命令の取り違いがあったのだろう。

 行き先や作業内容を間違って解釈したのかもしれない。


 状況に照らせば間違った命令でも、言語として正しいならゴーレムは実行してしまう。

 意志や感情を持たないがゆえに、人の感じる正しさを理解できない。

 人が伝えたかった「言葉の意味」をくみ取れない。


 そんな愚直なゴーレムが人と共存できているのは、ひとえに『戒律の書セーフェル・ミツヴォート』のおかげ。


 『戒律の書』は、人がゴーレムに読み聞かせる長大な書物だ。

 呪文の如く朗誦されるそれは、明言されない規律や規範、常識的な尺度や限度をゴーレムに刷り込む。

 人間の曖昧な言葉を事細かに定義づけし、ゴーレムが受け取れる理路整然とした言葉へ置き換える役割を持つのだ。


 そして、どのような命令に対してどのような行動を採るべきなのか、ゴーレムへ明示する。

 その挙動の枝分かれは樹木の如く複雑に展開しており、ゆえに『戒律の書』は樹形図フローチャートとも呼ばれる。


 この街のゴーレムは皆、結社『その三文字』が記した『戒律の書』を刷り込まれ、労働者レイバーとして完成する。


 こうして人は、『戒律の書』のおかげでゴーレムと共存できている。

 だが、それでもゴーレムは不器用なまま。先程見たような言葉の取り違えは日常茶飯事で、いつでもちょっとした騒ぎを起こす。

 ゴーレムは言葉に忠実である以上、言葉で解決できない問題にひどく脆弱なのだ。


 とはいえ、近年は少々事情が変わってきた。


 正しく言葉を伝えたにもかかわらず、正しい行動を採らないゴーレムが増えてきたのだ。


 すなわち、暴走。

 暴走したゴーレムは凍りついたまま動かなくなったり、歯を剥き暴れ出したりする。

 老朽化した個体が増えたのか、人の言葉が変化したのか。

 暴走の原因には様々な仮説が挙がっているが、未だ万人が納得する理由は明らかになっていない。


 そんな事を考えながら、私は歩き続ける。

 一人旧市街の枝分かれを進む。


 奥の路地から浮かび上がる人影。

 人か、ゴーレムか。


 ああ、あの虚ろな瞳はゴーレムだ。

 そして何より、額に刻まれた『真理』を意味する三文字。


 葡萄のたっぷり入った紙袋を抱え、ふらふらと歩いてくる。

 そのまま私とすれ違うかと思われたが、くるりと向きを変えもと来た道を歩いて行った。


 私は立ち止まり様子をうかがう。


 しばらくすると、また向きを変えこちらに引き返してきた。

 再び私の目前で立ち止まり、もと来た道へ。

 意味も無く往復を繰り返す。


 これは……。


 おそらく命令文から条件が抜け落ち、無限に循環する構文が生まれてしまったのだろう。

 ゆえにそれは、進むことも戻ることもままならない。


 そう、これがゴーレム。

 大真面目に馬鹿をやり、それでいて慎ましく口を噤む。


 さて、どうしよう……。

 声をかけるべきか逡巡する私。


 しばし様子を伺っていると、路地の脇から少女が現れた。

 同年代と思しき――私は今年で一三歳だ――小さな背丈。目深にかぶったキャスケット帽から、真っ白な髪がこぼれている。


 てくてくゴーレムへと歩み寄る。


 その髪を揺らし、まるで口付けでもするかのように、爪先立ちでゴーレムの耳元へ口を寄せた。


 桜色の唇が何かを囁く。

 帽子のつばで隠れた瞳が、ほんの一時私を捉えたように思えた。


 囁き終えた少女は、もと来た道へと去っていく。


 金色に照らされたまま立ち尽くすゴーレム。

 ぴたりと動きを止め、固まってしまった。


 ぽとりと紙袋から落ちる、葡萄の一粒。


 しばらくすると、佇むゴーレムがこちらを向いた。

 だらりと両手が下がり、紙袋も落ちる。

 そのまま手を振り、足を踏み出した。


 ゆっくり私へ近づくゴーレム。

 その両目は私を見据えたまま。

 瞬き一つしない。


 私は不気味に感じ、あとずさる。


 そして。


 ゴーレムの閉ざされた口元が、唐突に

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