9 - 4 導師アルクイスト

 導師アルクイスト。

 それは『その三文字』を興した伝説の導師の名前ではないのか。


「導師アルクイスト。バベル以前の人、そのただ一人の生き残りが、あなたの正体ですよね。父さん」


 ファブリ師匠がつぶやく。

「レーヴが『その三文字』に現れた時、確かに妙だと思った。その異様な知識と手腕。それは、才能で片付けるにはあまりに突出していた。……ようやく合点がいった」

 ガル博士も眉間に皺を寄せ考え込んでいる。やはり思うところがあったのだろうか。


 しばしの後、父は語り始めた。


「そうだ。我が名はアルクイスト。人の生き残りであり、『ロボット』を生み出した『RURロッサム・ユニバーサル・ロボッツ』の最後の一人でもある」

 厳かな声。


「かつての人は、完全言語という『真理その三文字』を見出した。そして我々『RURその三文字』の生み出した『ロボット』により、あらゆる苦役から解放された」

 父の語る言葉は、あまりに重く、のしかかる。


「だが、それは人にとって望ましいことではなかった」


 告解は続く。

「全てを明瞭に語り、労働さえも明け渡し、人は意志を失った。それは衰退に等しい」

 即時にして完璧な意志の疎通。それを実現するため、かつての人は人を人たらしめるものを幾つも放棄していたのだろう。私が憧れ、ガル博士が滅亡の原因だと語ったものだ。


「同時に『ロボット』は、ゴーレムが『話者』になるのとよく似た理由から意志や感情を持ち、人と等しい存在となった。それゆえ、かつての人といさかいを起こしたのだ。そうしてバベルの災厄の後、生き残ったのは


 そこで私は気付く。


 父は『ロボット』をと言った。


 『ロボット』とは、人を意味する『その名』の発音だったはず。 


 皆、それに気付いたのだろう。

 誰もが事態を呑み込めずうろたえている。

 ただ兄と父だけが、静かな面持ちで佇む。


 カレルが問う。

「『ロボット』とは、人を表わす言葉のはずだ」


 ヨゼフが答える。

「いや、人を意味する『その名』は別にある。『ロボット』とは、まさしくゴーレムのような人造人間を指す言葉。人を意味する『その名』――すなわち『ロボット』やゴーレムの原型――は『ラボル』と発音する」


 父――導師アルクイストと名乗った父――が告げる。

「かつての人と今の人ロボットの体が違うのは、進化の結果ではなく設計の違いなのだ。自然が生み出した人から無駄――不要な器官や意志、感情――を省き、『原形質』によって象った労働用の人造人間、それが今の人である『ロボット』の正体だ」


 労働ロボタを表す言葉とよく似た響き、『ロボット』。

 それは、ゴーレムと似通った存在だった。


「お前たち『ロボット』は、私たちよりも優れていた。そう意図して造りだしたのだからな。完全言語による衰退も相まって、かつての人に勝ち目は無かった。……あの頃の我々は、フランケンシュタイン・コンプレックスに憑りつかれていた。『本文』に設けられた人の証を求める扉は、人が持つ最後の砦であり尊厳だった」


 人とは何か。

 かつての人はそれを明確に定義した。

 人という曖昧で深淵な存在を、強引に言葉へと落とし込んだのだ。

 言葉によって壁を造り、決して侵せぬ塔を築いた。

 そして人は閉じこもり、偽りの楽園に安寧を夢見た。

 

「結局人は『ロボット』を拒み、『ロボット』は『本文』を継承することができなかった。バベルの災厄は人を滅ぼし、『ロボット』は言葉も技術も継承しないまま放逐された」


 父が遠い目をする。

 その目に虚無を湛え、静かに列柱の森を見上げる。


「強引な延命により、私は一人生き残った。『ロボット』に紛れて命を長引かせる中で、私はあることに気付いた」


 父の瞳が――私や兄と同じ金色の瞳が――光を宿す。


「『ロボット』の語る言葉のなんと美しいことか。意志や感情を制限され、命さえも自由にできない彼らは、限られた時間の中で必死に言葉を紡いだ。不完全な、けれども温かく深淵を湛えたそれは、かつての人が紡げなくなったものだった」


 父の顔から影が消える。

 慈愛を湛えた眼差しが、静かに私たちへ注がれた。


「そうして私は確信した。彼らならば、『本文』の鍵になれると。……『RURその三文字』の過ちを償い、彼らにこの星を明け渡すため、私は一人研究を続けた」


 母も兄も居た頃。

 私たちが家族が幸せだった頃。

 今の父は、あの時と同じ顔をしている。


「……息子よ、一つだけわからないことがある」


 父が息子の瞳を見詰める。


「私は人としての意志を生来備えていた。強引な延命により変質した体も、ヘレナとよく似た理由から『人としての体』を再現可能だった。かつての私は『人としての意志』も『人としての体』も備えていたのだ。なぜ私は、『本文』の鍵になれなかったのだ」


 かつて父は鍵としての能力を試したのだろう。

 その身を賭して。


「……言葉は樹木のようなものです。自ら枝分かれを繰り返し、語彙や文法、意味や定義を育んでいく。しかしその大樹は、豊かな土壌と適切な剪定が無ければ枯れてしまう。言葉という大樹を育むには、庭師たちが必要不可欠なのです」


 しかし。


「父さんは、もうたった一人だけの種族です。一人では対話もままならず、言葉を育むことができません。意味を乗せ意志をやり取りしなければ言葉は健やかに育ちません。今の父さんは言葉にとって相応しい土壌を用意できず、剪定さえもままならない。それゆえ、不適と見なされたのです」


 一人だけの種族。

 寄る辺なき者。


 父もまた、私と同じ孤独を背負っていたのだ。

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