4 尽きる言葉、尽きぬ世界
4 - 1 全てを破壊する黒き巨人
巨人。
大木のようにそびえるヨゼフは、そうとしか形容できない。
もしくは、巨塔。
莫大な自重を支えるため肥大化した両足、丸太のように太い両腕。
それらを駆使し、黒い男と残ったゴーレムを叩き潰そうとする。
既にゴーレムの片割れは土くれになった。
しかし安息は訪れない。
その土すら、ヨゼフに吸収され再び使役される。
へたり込み、事の成り行きを見守る私。
呆然としたままその巨体を見上げる。
塔の崩壊による轟音の最中、私は嫌な事実に気付いた。
ヨゼフの唸り声、それはよくよく聞くと、「守る」と言っているのだ。
守る。
……誰を?
もちろん、私を。
小さくくぐもった声が聞こえた。
それは黒い男が漏らす呻き。
よく見れば、その左腕はだらりと脱力しきっている。
おそらくヨゼフの豪腕がかすったのだ。もう、反撃すらままならない。
そして今、もう一体のゴーレムが粉々になった。
まるで蝿でも潰すかのように、開かれた拳がゴーレムを叩き潰した。
石畳にこすりつけられ、ずたずたに裂けた人型が飛び散る。
塔の上からこだまする少女の声が途切れる。
彼女の操作が如何に精緻を極めようと、この圧倒的な質量差を埋めることはできなかったのだ。
そして、私の声もとうに止んでいる。
巨人と化したヨゼフに、私の言葉は届かなかったから。
「どうして……!」
私はこんな事を命じていない。
確かに私は、「守って」と言った。
だが可哀想なゴーレムをすり潰し、人間さえも手にかけろと言った覚えは無い。
ただ私を抱きかかえ、逃げればよかったというのに。
こんな意味で、「守って」と叫んだわけでは……!
私は必死に取り消した。
けれど、ヨゼフは聞く耳を持たない。
そもそも、のっぺりとした頭部には耳が形成されていないのだ。
ただ、目らしきくぼみと『真理』の三文字を光らせるだけ。
口の形さえままならないというのに、私の命令を虚ろに反復する。
「どうして、言葉は伝わらないの……!?」
唯一の救いは、その顔がすでに兄のものではないこと。
かき集められた土と瓦礫は、絵本の挿絵の様におぼろげな顔を象るのみ。
これは、人型と言えるのだろうか。
それでも胸に浮き出た『
「形が崩れたせいで、たがが外れたな」
黒い男が言った。
ああ、そうだ。
如何に「人」型といえど、これは人の大きさではない。
当然、ヨゼフに刷り込まれた『
言葉の尺度が変質し、思考が破綻する。
私を守るため、なりふり構わず土をかき集めたヨゼフは、自ら形を損ない暴走した。
こうした暴走を防ぐために、『戒律の書』には論理の防壁が張り巡らされているというのに。
きっと禁忌たるヨゼフに防壁は無いのだ。
『これが禁忌の行き着く先だ』
黒い男のつぶやきが脳裏をよぎる。
巨人の拳が石畳を砕きめり込む。
きわどくかわす黒い男。
その腕に戦斧を打ち込むが、片腕では力が足りない。
巨人はびくともしないのだ。
巨人はただ、守るうううううううううううう、と唸るだけ。
刃の抜けない斧を捨て飛び退く。
その眼前にもう片方の拳が突きたてられる。
武器を失った黒い男に、反撃の余地は無い。
勝ち目のない持久戦。
彼が倒れた時、私はどうなるのだろう。
その時。
ひゅるるるるという間の抜けた音が響いた。
続いて大きな炸裂音。
耳をふさぐ私。
爆煙に包まれる巨人。
煙が晴れた時、巨人の右肩に大きな穴が開いていた。
自身を支えきれず、右腕がちぎれる。
平衡感覚を失った巨人は建物に寄りかかる。
めりめりと木が裂けるような音を立てながら、膝をついた。
巻き添えとなり崩れ去る尖塔。
轟音と耳鳴りの中、私は軽快な足音を聞く。
振り向くと、通り過ぎる大柄な影。
さめた色の外套が尾を曳いている。
新たな闖入者。
彼は何者なのだろう。
その人影は黒い男を追い抜く時、筒状の何かを投げ渡した。
そして巨人が体勢を立て直す直前、大きく跳躍。
胸をのけぞらせ高く飛ぶ。
脚から腰へ、その巨体を登っていく闖入者。
ふらつきながらも立ち上がる巨人。
また唸りながら、巨人は体を検めだした。
そして、腰から胸へと這い上がる人影を探り当てる。
残った片腕が闖入者へ迫る。
巨大な人差し指が、闖入者の顎に添えられた。
親指が頭を小突く。
やがて頭を挟み込み、二本の指が強く力を込めようとした。
小さく息をのむ私の横で、黒い男は巨人を阻もうとしている。
彼が無事な右腕で構えた重火器、闖入者が投げ渡したそれは、装甲車両に対して用いられる
射出された擲弾が、僅かな弧を描き巨人へと吸い込まれていく。
毛布を殴りつけるような気の抜けた音。
直後に大きく炸裂。
黒い男の放ったそれは、巨人のもう片方の腕を破砕した。
肩口に虚ろな穴が開き、残った腕が落下する。
まるで突き崩される巨塔。
突風と土煙が、私の視界を奪い去る。
埃で涙ぐんだ目で巨人の額を見ると、そこにはあの闖入者がしがみついていた。
手には小ぶりな短刀。逆手に持って掲げている。
うううううううううううううううううううと唸り、粉々になった諸手を再生し始める巨人。
舞い上がる砂礫と塵を吸い込みながら、千切れた腕が急激に再生していく。
ようやく象られた指が、額の闖入者へ猪突する。
しかし間に合わない。
短刀が勢いよく振り下ろされた。
額の『真理』の三文字が、大きく穿たれる。
ぴたりと動きを止める巨人。
唸り声が消え、冗談のような沈黙が辺りを包み込んだ。
そして、一瞬の後。
巨人の体は崩壊し始めた。
まるで土砂崩れ。いや、そのもの。
突風が再び私の視界を奪う。
額にぶつかる何かの瓦礫。
強い衝撃を受け、私は気を失った。
…
気がつくと、黒い男が廃墟の屋根伝いに走り去って行くところだった。
傍らには白髪の少女。
二筋の髪をたなびかせ、男に寄り添い走り去る。
ざりっ、という砂を踏みしめる音。
私は視線を通りに戻す。
逃げ出す二人に目もくれず、大柄な人影がこちらへ歩いてきた。
砂に煙る通りの中、私を見据え口を開く。
「お嬢ちゃんがヘレナか。無事でよかった」
私の前に現れたのは、さめた色の外套をまとう筋骨隆々の大男。
彼は自ら「マリウス」と名乗った。
年はおそらく三〇から四〇。
赤茶けた肌に、色の薄い頭髪が映える。
「もっと早く助けに来る予定だったんだが、『大隊』の連中がしぶとくてな」
何より目を引くのは顔の右半分を覆う大きな眼帯。
頬から額まで黒い革に遮られ、その下は伺い知れない。
「俺が来たからにはもう安心だ。後片付けをするぞ」
薄い眉の下見開かれた左目は、強い意志と余裕を感じさせる。
そういえば、中世にこんな騎士がいた。
フス派として教義を厳格に守り、片目のみならず両の目が塞がった後も、教皇や皇帝相手に戦い続けた英雄、ヤン・ジシュカ。
私は現実感を欠いたまま、よろよろと立ち上がった。
…
土砂崩れの中に踏み込む私とマリウス。
土と瓦礫は見た目以上に柔らかく、私の足を呑み込んでいく。
「足元を良く見て探せ」
見付かればいいんだが。
マリウスがつぶやく。
しかし、何を探せというのだろう。
私は未だにぼんやりしていて、彼の話を半分も聞いていない。
……うつむきひたすらに自問する。
私の言葉は、ヨゼフに伝わらなかった。
どうしてあんなことに。
私は、ただ……。
埃を吸い込みむせ返る。
涙をにじませながら――それは悲しみによるのか、咳によるのかわからない――立ち止まり、ふらりとまた歩き出す。
せっかく、言葉を好きになれたのに。
蘇るのはハレマイエル先生の言葉。
『虚ろな言葉で人を惑わさぬよう、彼らは口をつぐむのだ』
巨人と化したヨゼフが唱え続けた、「守る」という言葉。
意味を取り違えられたそれは、私の中で虚ろに反響し続ける。
そんな私を見向きもせず、マリウスは言う。
「俺の任務はレーヴ教授の娘ヘレナと、教授特製のゴーレムを保護すること。そして二人を、『その三文字』の本拠地であるプラハ城に送り届けることだ」
低い声は良く通り、力強く響き渡る。
きっと、彼の言葉は齟齬なく伝わるのだろう。
そんな安堵を抱かせる。
「お嬢ちゃん同様、レーヴ教授も狙われていてな。お嬢ちゃんを巻き込まないよう行方をくらませていたんだが、ようやく反撃の準備が整った」
そして、ぐるぐると渦巻く胸中に「父」という言葉が差し込まれる。
父との再会。
半年前から行方知れずの肉親との再会だ。
私は喜ぶべきなのだろう。
しかし父の名を聞くたび、心に暗雲が垂れこめる。
父という言葉は黒く重く、私にとっては泥塊のよう。
「教授は今も『大隊』に襲撃されている。だが安心しろ。俺たち『その三文字』にも充分な戦力がある。お嬢ちゃんもレーヴ教授も守り抜いて、城で再会させてやる」
マリウスの口走る『大隊』という名、それが父を追い私を襲った組織らしい。
私は気持ちを紛らわすため、『大隊』とは何かを問いかけた。
「『大隊』は『その三文字』の秘密部隊だ。もともと、禁忌やそれに関わる人間を取り締まっていた」
白髪の少女のゴーレムを狂わせる囁き。
それも禁忌の業なのだろうか。
彼女の言葉は齟齬なくゴーレムに伝達され、暴走さえも制御した。
「だが連中は禁忌に溺れた。禁忌を防ぐため、より罪深い禁忌を行使する。その矛盾をはらんだまま力を強め、今ではレーヴ教授の力を奪おうと躍起になっている」
現行の『戒律の書』へ多くの改訂を加えた父。
その叡智から生み出されたのが禁忌たるヨゼフ。
マリウスは立ち止まり、肩越しに私を見据えた。
「そして俺たち『その三文字』は、そいつを阻止せにゃならん」
彼は再び歩き出す。私を導き、力強く踏み出す。
しかし、ほんの僅か歩いたところで足取りが鈍る。
やがて立ち止まり、しゃがんで土を掘り始めた。
唐突に、いたぞと叫ぶ。
「早く来い、見てみろ」
急かされ走り出す私。
瓦礫が土煙を上げ、汗ばんだ私の黒いタイツを灰色に染めていく。
マリウスの傍らへ辿り着くと、そこには瓦礫に半ば埋もれた子供がいた。
巨人との戦闘に巻き込まれたのだろうか。
だが。
よく見るとそれは、
「……ヨゼフ?」
閉ざされた目元に、ヨゼフの、兄の面影が見える。
瓦礫を払いのけマリウスが抱き上げる。
こぼれた前髪の奥に、赤褐色の『真理』の三文字が覗いた。
「随分小さくなったな。土の力を使い果たして自身を切り詰めたのか」
ああ、この子供は、やはりヨゼフなのだ。
私はその体を凝視する。
あまりにも小さく、華奢な体。
年の頃は十○くらいだろうか。
背丈は私と同じくらい。
丸太を思わせた手足は、若木の如くほっそりとしている。
なぜかおかっぱになった頭髪も相まって中性的だ。
彼を降ろし、静かに立たせるマリウス。
やがてヨゼフは目を開けた。
しかし焦点は合わず、足元もおぼつかない。
「こりゃあ重症だな」
外套を脱ぎ、ヨゼフへ着せるマリウス。
ヨゼフの小さな手が覗く裾から、さらさらと砂が落ちる。
体にこびりついていた瓦礫だろうか。
「この砂は、こいつ自身を構成する土だ。力を失って崩れ始めてる」
今のヨゼフからは、あの芳醇な土の香りがしない。
あるのは乾いた埃の匂い。
やがて、その虚ろな瞳に光が灯った。
金色の虹彩に映るのは、薄汚れた私。
すると彼は、はっ、と小さく息飲む。
私を認め、何かの感情を露わにする。
その顔に浮かぶのは悲壮、あるいは後悔だ。
もどかし気に口を開き、しかし言葉を発さない。
代わりに私へ手を差し伸べ、よろけながらも歩き出す。
ゆっくりと近づいてくる。
喘ぐかのように、また大きく口が開く。
それでも。
やはり、言葉は出てこない。
言葉のつかえる彼に代わり、私が口を開くべきだろうか。
けれど、彼に言葉は伝わらなかったのだ。
その間にもヨゼフは私へ迫る。
兄が私にしたように、抱きとめるべきなのだろうか。
けれど、私はあの巨人の姿を思い出し、身を引いてしまった。
ヨゼフの顔が青ざめ、絶望に染まる。
食いしばった歯の奥、ようやく言葉が絞り出された。
「ごめんなさい……」
そうして、ふらりと倒れこんだ。
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