3 - 5 禁令
放課後。
私は自宅への帰り道を、ヨゼフと並んで歩いている。
ハレマイエル先生の語ったゴーレムと言葉の関係。
もしそれが正しいなら、ヨゼフの言葉はなんと虚ろなのだろう。
私を思いやり禁忌さえ犯して語った感謝の言葉が、ただ機械的に発されたものだなんて。
私はそれを受け入れられない。
きっとヨゼフも同じ気持ちだ。
彼はうつむき、口をへの字に曲げている。持て余した手は意味もなく服の裾をいじる。
まるですねた子供。
これ程人間らしい挙動を採ってもなお、ヨゼフが言葉の意味を理解する証拠にならないのだ。
あくまで、「言葉を理解したように見える」振る舞いを再現しただけ。
私が彼に伝えた感謝も、彼が私に伝えた感謝も、ただ言葉に従ったやり取りでしかない。
そこに意味など介在しない。
そういうことになる。
なぜ、言葉は伝わらないのか。
私を苛む言語への不信は、ひどく根深く残酷な根拠を持っていた。
…
金色に染まる通りと道行く人々。
皆、家族が待つであろう我が家への帰途を急いでいる。
ヨゼフに身を寄せしばらく歩くと、交差点にたどり着いた。
なにやら騒がしい。
どうも、奥は工事中のようだ。
通り抜けできるようだが、その奥からどたん、ばしんと物騒な音が聞こえた。
「暴走だ!」
耳をつんざく叫び声。
工事現場の労働者と通行人がこちらへ駆けてくる。
その奥では工事を放り出したゴーレムが、暴走ゴーレムに殺到していた。
人を守るべくその身を盾に立ちはだかる。
だが。
数体の暴走ゴーレムが、妙に洗練された動きでゴーレムを屠っていく。
その瞳に私の顔が映り込む。
咄嗟に私を抱き上げ走り出すヨゼフ。
それを待っていたかのように、喜々として暴走ゴーレムが追いすがる。
気が付くと、ヨゼフは再開発区画にたどり着いていた。
塔に渡された廊下やアーケードの下に、虚ろな闇が口をあけている。
上を見ると、金色の日差しが黒雲に遮られていった。
やがて闇が周囲を満たし、景色の輪郭は歪んでいく。
書割のような路地、ミニチュアのようなアーケード。
その奥から、何かがこちらへ向かって来る。
ちらちら見える青白い光。
それが何を示しているのか、私は徐々に理解する。
そう、あれは『真理』の三文字。
駆けて来るのは四体のゴーレムだ。
闇の中でもそれと分かる大柄な輪郭。
走りながら、長大な剣や柄の長い戦斧――元は騎兵を地上から攻撃するための武器――を抜き放ち、構えた。
さらにその後ろ、黒い外套を羽織った背の高い男。
帽子の下から金髪が覗く。
唐突に、少女の高く良く通る声がゴーレムたちに告げた。
「全器、禁令一一から一二八を解禁。少女を捕らえる前にゴーレムを無力化。あのゴーレムは『話者』だから、気をつけて」
…
私を脇の路地へと押し込んだヨゼフは、敵の懐へ飛び込んでいった。
私を守るという原則を遵守すべく、ヨゼフは障害を排除しようとする。
この狭い街に暮らす以上、彼らから逃げ続けることはできない。それを理解しているらしい。
ヨゼフは戦斧を持ったゴーレムに肉薄する。
額を狙った一撃必殺。
しかし、脇に控えるもう一体がそれを妨害した。
長大な剣による牽制に飛び退くヨゼフ。
あの夜とは全く様子の違うゴーレムたち。
みな連携し、機敏に動き回る。
加えて、彼らが纏うのはゴーレム専用の軍装。
銃の効かないゴーレムとの戦闘は、ひどく原始的なものになる。
すなわち拳や槌による打撃、刀剣や戦斧による斬撃、あるいは可動部を破壊する関節技。
これらによる損壊を防ぐため、ゴーレムの胸や背中、肘や膝は機能的に分割された鎧で守られている。
そして人が素手で破壊できる唯一の部位、額の『真理』の文字もまた、ヘルメットにより保護されている。
彼らが躍動する度、ヘルメットの隙間から青白く光る『真理』の文字が見え隠れする。
ゴーレムの立ち振る舞いは隙が無い。
半身に構え、ヘルメットが最大限効果を発揮するよううつむきがちに、ヨゼフを視界に捕らえる。
二体一組で連携し互いに死角を補う。
長大な剣と斧が劇的にリーチを伸ばす。
ある程度の自動化と相互の補助を前提とした、猟兵型ゴーレム独特の挙動。
街を守る衛兵型や戦列を組み突撃する歩兵型に比べると、ずいぶん器用なゴーレムだ。
ヨゼフは若干リーチの短い剣を持ったゴーレムを狙う。
しかし上手くいかない。懐へ飛び込もうとするたび、相棒の斧による妨害が入るのだ。
二日前ヨゼフと渡り合ったゴーレムたちとよく似た、しかしはるかに洗練された動作。
白髪の少女が暴走させた市井のゴーレムとは全く違う原則で動く、殺傷を目的とした戦闘用ゴーレム。
彼らは四体のゴーレムを二体ずつ分けて運用している。
ヨゼフが手前の一組にてこずっている間に、もう一組が跳躍しヨゼフを飛び越えた。
太く強靭な足は、鈍重な外見から想像もつかないほどの跳躍力を発揮する。
がつんと石畳を砕き着地する、もう二体のゴーレム。
ヨゼフは今、前後をゴーレムに、左右を壁に挟まれている。
彼らの包囲を抜けるべく、壁を蹴り高く飛び上がった。
しかしそれを待っていたかのように、黒い男の銃が火を噴く。
腕で額を庇い『真理』の文字を守るヨゼフ。数多の銃弾が腕にめり込んでいる。
致命傷にはなりえないが、確実に体力を削られる銃撃。
着弾の衝撃で力を失った土が砂となり零れ落ちる。
辛うじて包囲は抜けたが状況は改善されない。
再び彼を取り囲もうと機敏に走り、跳ね回る二組のゴーレムたち。
四体同時に動きを止める術はなく、配置は幾分異なるがまた包囲されてしまった。
全力で回避しつつ隙をうかがう。
だが反撃の時は訪れない。
今のヨゼフは逃げの一手だ。
大剣と戦斧と銃弾を潜り抜け、辛抱強く機会を待つ。
路地から身を乗り出し、様子を伺う私。
一瞬、黒い男と目が合った。
私へ放たれた銃弾が足元の石畳を削る。
隠れても無駄だ。
低く静かで冷酷な声が聞こえた。
足がすくんだ私は路地の影から出られない。
恐怖に胸が締め付けられる。
呼吸が浅くなり、私は膝をつく。
……彼らを倒さない限り、私たちは決して逃げられないのだ。
ヨゼフの包囲と脱出が幾度か繰り返された。
ヨゼフは独特の柔軟な動きで、どうにか命を繋いでいる。
直感的な動きやランダムな挙動を織り込んだひどく人間的な動き。
重心を保つための予備動作や、視線の巡らせ方など、端々に人らしさが伺える。
柔軟なヨゼフと対照的に、猟兵型ゴーレムは同じルーチンを繰り返すだけ。
機転の利かない愚直なアルゴリズム。
にも関わらず、彼らはヨゼフの柔軟な動きに対応できている。
ヨゼフの挙動を学習し、瞬時に反映させているように見える。
それはゴーレムが最も苦手とするもの。
彼らの樹形図はある程度の自己学習は可能だが、完全な自律はできないはずなのだ。
ゴーレムは口がきけない以上、自らに追記し学習していくことが出来ない。
だとすれば、猟兵型ゴーレムの挙動をどう説明すればよいのか。
そこで私は気付く。
あの、白髪の少女だ。
彼女が戦闘を監視し、挙動の修正を命じているのかもしれない。
痛む胸を押さえながら立ち上がり、顔を上げ視線を巡らす。
高い尖塔の中程、風にたなびくスカートが覗いた。
目深にかぶったキャスケット帽のつばと白髪も見える。
死角ゆえその口元は伺い知れないが、何かのケーブルがはためいている。
おそらく無線機。
今、ヨゼフは包囲を抜けた。しかしまた囲まれる。
彼らの戦いを眺めているうちに、私はあることに気付く。
つまるところ、これはパズルなのだ。
路地の形と『戒律の書』のアルゴリズムに合わせ、ゴーレムたちは陣形を変える。
ヨゼフの行動半径とゴーレムの示威範囲、周囲の地形を勘定し、パターンを修正して効率よく追い詰める。
始めのうちは大味だった攻撃も、徐々に精度が増している。
各々の攻撃が最大の効率を持つように、距離とタイミングを詰めている。
このままでは、いずれヨゼフは回避しきれなくなるだろう。
地面の上で二次元的に戦っていては包囲を抜けられない。しかし、飛び上がれば男の機関銃の餌食になる。
頭を押さえつけられ、ゴーレムならでは身体能力を活かせないヨゼフ。人間並みの柔軟な判断能力が、辛うじてヨゼフを刃圏から逃している。
無情にも完成へ近づいていくパターン。
ヨゼフを倒すというただ一つの目的に従い、猟兵型ゴーレムの挙動は枝分かれを失っていく。
無駄を排し、徐々に精緻に硬直していく。
行動範囲を狭められたヨゼフは対処が追いつかなくなる。ヨゼフも同様に選択肢の枝分かれが断ち切られているのだ。
その枝分かれが無くなった時、彼は。
ヨゼフがそれを増やせないのなら……!
私は、すくんだ足に力を込める。
ゴーレムが得物を振り抜いた直後、その僅かな隙に被せるように、私はヨゼフへ向かって走り出した。
立ちすくむでもなく逃げ出すでもなく、あえて彼らに向かって行った。
私は明らかな足手まとい。こんなことをしてもヨゼフに得は無い。
しかし、だからこそ誰も予測しないはず。
ようやく完成しつつあるパターンに割り込む、私という不確定要素。
黒い男が僅かに逡巡した。
短い銃口が迷いを見せ、私とヨゼフの間を彷徨う。
その銃口は、やがて私を捉えるだろう。
だが、ここで躊躇うわけにはいかない。
躊躇えば、ヨゼフの言葉は伝わらなかったことになる。
私は、彼の言葉に心動かされた。彼を失いたくないと感じたのだ。
だからこうして、身を投げ出してもいいと思えた。
私がヨゼフの言葉を肯定しなければ、だれが認めるというのだろう。
人の言葉がゴーレムに届くかはわからない。
けれど、ゴーレムの言葉は人に届くのだ。
ヨゼフと分かち合った温かな時間を嘘にしないため、私は走り続ける。
その手をヨゼフへと伸ばす。
足がもつれ、私は転びそうになる。
大きく前にのめった私へ、ゴーレムが注意を向ける。
黒い男の銃口が、私へ差し向けられた。
理屈が通らない不意討ちに停滞するパターン。
その隙を突き飛び上がるヨゼフ。
反応が遅れた黒い男は、ヨゼフに銃を向けられない。
ヨゼフの足が機関銃を蹴り落とす。
続く連撃をいなし黒い男は引き下がる。
白髪の少女はヨゼフの選択肢を剪定していったが、それは同時に猟兵型ゴーレムの振る舞いをも刈り取った。
既に枝別れは袋越路に陥っている。
ヨゼフへの追撃を諦め黒い男を守ろうと駆け寄るゴーレムたち。
おそらく、非常事態において導師を守るよう『戒律の書』に刻まれているのだろう。
白髪の少女はそれを打ち消せず、ゴーレムの連携は崩壊した。
ヨゼフの攻勢。
通常のゴーレムを上回る状況判断能力。人間味のある、直感的で揺らぎを持つ行動。
それらのがむしゃらな挙動に応える柔軟な泥土の肉体が、躍動する。
一体のゴーレムが額のヘルメットごと文字を砕かれた。
結合を失いざらざらと崩れていく体。
がらんと戦斧が地面に落ちる。
数の上ではまだ不利だが、ヨゼフの状況判断能力は一騎当千だ。
片割れを失ったゴーレムは自衛のため大きく飛び退いた。
もう一組のゴーレムが控える方向の真逆、路地にかかった渡り廊下の真下へと。
場当たり的な回避が彼を孤立させる。
間髪居れず追随するヨゼフ。
孤立したゴーレムは大剣で応戦するが、ヨゼフはものともしない。
ぎりぎりの間合いで大剣を潜り足元を掬う。
倒れ伏したゴーレムの頭部を、ヨゼフの足が襲う。
二体目のゴーレムも土に還った。
残りの二体と黒い男に応戦しようと体勢を立て直したその時、ヨゼフの背後に戦斧が迫る。
もう一組のゴーレムたちの攻撃ではない。
黒い男自身が、斧を携えヨゼフに攻撃を加えてきたのだ。
ヨゼフにとって予想外の攻撃。
かろうじて避けるヨゼフ。
しかし男の足が追撃する。斧の勢いを加えた回し蹴り。
ヨゼフは横様に弾き飛ばされた。
対する男も無事では済まず、腹部に苛烈な反撃を受けている。
埃を巻き上げもんどり打つヨゼフ。
どこかの腱が切れたのだろうか、すぐには起き上がれずもがいている。
突如、高くよく通るあの声が降り注いだ。
人間のものとは思えない早口言葉。
無線機による僅かな遅延さえ厭わしかったのか、少女は大きな声で直接語りかける。
その朗誦に誘われ、残ったゴーレムが疾駆する。
異様な走り方。
それは走行などという行儀のいいものではなく、ただ自身を前へと推進するための挙動だった。
張りつめた健が、引き絞られた筋肉が、強度を度外視して駆動されている。
人体の協調を捨てた動作がこれほど不気味に見えることを、私は初めて知った。
ヨゼフへ殺到するかと思われた彼らは、しかし同時に渡り廊下へと飛び掛かる。
自らの損壊を顧みず、渾身の力で得物を振り下ろす。
渡り廊下の付け根が砕ける。
鈍い音と共に崩落。
その下にはまだ、ヨゼフがいる。
「ヨゼフ!」
廊下が地面へ墜落する。
耳を震わす轟音。
埃と瓦礫が舞い上がる。
思わず駆け寄る私。
どうか、無事でいて……!
埃が晴れた時目にしたのは、腰を押しつぶされたヨゼフだった。
埃を払い、ゆっくり起き上がった黒い男が指示を出す。
「残器二器は『話者』の四肢を切断し、拘束せよ」
すばやく近づき、ヨゼフの両腕を切り飛ばす二体のゴーレム。
残酷な光景に息を呑む私。
確かに、ゴーレムの傷は簡単に治る。
土を盛れば元通りだ。
頭では分かっているが、しかし視覚から受けた衝撃は理屈を受け入れない。
ひっと小さな声を漏らし、私は体が硬直してしまった。
後はもう、黙って眺めるだけ。
冷たい瞳でヨゼフを見下ろす黒い男。
ヨゼフを抑えつける二体のゴーレム。
呆けたように立ちすくむ私。
そして、肢を失いもがく事すら出来ない、ヨゼフ。
唐突に、私の口は言葉を発した。
「……守るんでしょ?」
絞り出すように、懸命に。
「守ってよ……! お兄ちゃんみたいに……!」
私の涙声が響いた後、静寂が訪れた。
黒い男は懐から無線機を取り出し、私を横目で見ながら会話している。
その低い声に不思議な音が重なる。
ううう、という低く響く音。
塔の風鳴りだろうか。
徐々に音量が大きくなっていく。
やがてそれは、獣のような唸り声になっていった。
これはいったい……。
もしや。
「ヨゼフ……?」
そう、ヨゼフの声だ。
また別の音が響き渡る。
ざらざらざらという、砂を踏みしだくような音。
その音はヨゼフを中心として響いており、音量を徐々に上げている。
異変に気付く黒い男。
私はその声に引き寄せられる。
虚ろに足を踏み出し、私はヨゼフと黒い男に近づいて行った。
やがて砂煙が舞い上がる。
濃いそれは視界を阻み、私はヨゼフを窺い知れない。
唐突に、黒い男が斧を振るった。
斧の風圧で一時晴れる視界。
焦燥を隠せない男の顔と、戦斧で切り飛ばされ宙を舞うヨゼフの上半身が見えた。
切断面から内臓のように湿り気を帯びた土を撒き散らし、落下していくヨゼフ。
しかし、その腕――いつの間にか生えそろっていた歪な二本の腕――が二階の窓の欄干を掴んだ。
再び唸り声が大きくなる。
同時に、ざらざらという音も。
埃が、砂煙が、ヨゼフに集まっていく。
いや、それだけではない。
彼が打ち倒したゴーレムの残骸、街路の土や石、建材の漆喰までもがヨゼフめがけて壁と地面を這っている。
およそ土と分類されるものが全て、ヨゼフに集中していく。
そうして掻き集まった土たちは、ヨゼフの体を歪に再生していった。
白目を剥き、唸り声を上げ続けるヨゼフ。
その形相に正気はうかがえない。
下半身が生え足がそろった。
しかし再生は止まらない。
いや、これは再生などではない。
既にヨゼフの体の大きさは、人間の範疇を超えている。
そして、まだ大きくなっていく。
元から無事だった顔も覆われ、のっぺりとした顔面に目らしきくぼみが穿たれる。
赤い光を放ちながら徐々に浮き出る『真理』の三文字。
眉をしかめ、それを見上げる黒い男。
「禁令たる巨大化の実行、そして暴走か」
私を睨みつけ、男が告げた。
「お前の言葉が禁令を実行させた」
私はただ、呆然と立ち竦むしかない。
「よく見ておけ。これが、禁忌の行き着く先だ」
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