3 - 4 神は言葉ばかり

 もう少しこうしていたい。


 けれど。

 ここは学校なのだ。それも一般人の立ち入れない閉架。

 学校の人間に見付かれば一大事だ。

 ゴーレムといえど、あきらかな不審者なのだから。


 少し語気を強め、けれど声を潜めて話しかける。


「誰にも見つかってないよね? 絶対、人に見つかっちゃ駄目だよ」


 こくこくとうなずくヨゼフ。

 彼に書棚の影へ身を隠すよう伝え、私は自分の荷物をまとめ始める。もう日も傾いてきた。

 そろそろ家へ帰ろう。


 そんな私の背に、老いた声が投げ掛けられた。

「放課後も勉強かね? ヘレナ君」

 びくりと身を震わせる私。今日はよく驚かされる。


 振り向くと、そこには眼光鋭く不敵に笑う老紳士が居た。


 彼はハレマイエル先生。


「せいが出るな」


 勤勉なのは良いことだ。

 うんうんと頷きながら先生は独りごちる。

 そしていつものように、赤ぶち眼鏡を押し上げた。


 ハレマイエル先生はこの学校の教師。

 かつては父と同じく研究に励む『その三文字』の導師だったが、今では老いを理由に一線を退き、こうして後進の育成に励んでいる。


 先生の専門は言語学であり、言葉に対する情熱には並々ならぬものがある。

 それは授業の時も変わらず、先生は初等科の生徒を相手にしても、難解な言語学の講義を始めてしまう。


 ある時など、まだ十にも満たない生徒たちが「ラング、パロール、ランガージュ」と口ずさみながら廊下を歩いていた。

 結局、先生の言葉の意味は理解されず、ただ呪文のような響きだけが流行してしまったらしい。


「レーヴ君はまだ見つからんようだな」

 ハレマイエル先生は我が父レーヴの恩師でもある。

 そういう縁もあり、先生は私のことを気にかけてくれる。こうして図書室に忍び込むことも黙認。

 私が父の失踪を真っ先に相談したのも、ハレマイエル先生だ。


「はい。手掛かりも何も……」

 ひとまず話をあわせる私。何も無いと返答する。


 本当は違う。


 現に、手掛かりがすぐ近くに潜んでいるのだ。


 しかしヨゼフのことはあまりにも告げづらい。

 それは父の禁忌の証拠。

 もう少し、私の心が落ち着くまでは黙っていたい。

 先生にとっても、つらいことだろうから。


 葛藤と罪悪感から少しうつむく私。


「つらいことを聞いてすまんな」


 顔を上げたまえ。

 そう言って、目尻に皺を寄せながら朗らかに笑う先生。


「君の顔がレーヴ君に似なくてよかった。しかし、表情は似てきたぞ。もう少し明るい顔をしたらどうかね」


「元からこういう顔なんです」


 私の困り眉は暗く見えるらしい。

 口の減らない生徒だ、とでも言うように、先生はまた笑った。


 私は先生と雑談を続ける。

 いつの間にか、話題はゴーレムへと移っていた。


「そもそもゴーレムの暴走は、大半が人間の言葉づかいに由来する」


 ハレマイエル先生の目は、気のよい老人のものから研究者のそれへと変わっていた。


「『戒律の書』の高度化は、より抽象的、人間的な表現を受領可能にした」


 抽象的、人間的な表現。

 すなわち、暗黙の規律や規範を含む発言、尺度や限度を定めない命令。


「一昔前の『戒律の書』は、そういった曖昧な命令を跳ね除けるようになっていた。しかしゴーレムの需要が増加するにつれ、専門知識を持たない人間もゴーレムを操るようになった。百塔の街において労働力の確保は急務だ。多少未熟であろうとも、ゴーレムを操る人間は多いほうがいい」


 腕を組み語る先生。その姿勢はどことなく父に似ている。


「そういうわけで、専門知識の乏しい人間でも使役できるよう曖昧な表現を受領可能な『戒律の書』が多く公布された。おかげで表面上、ゴーレムとのやり取りは円滑になっている。しかし素人の命令は細かな条件が無視されたままだ。命令の実行、すなわち演算に必要な初期条件を不定にしたまま、ゴーレムは解としての行動を出力している」


 怒涛の勢いで喋り続ける先生。

 専門用語の羅列に、私は置いて行かれそうになっている。


「日常的には問題の無い範囲だが、この不定に端を発する齟齬が積み重なった時、ゴーレムの挙動は暴走と受け取られても仕方の無いものになる。そして残念なことに、彼らはどの程度齟齬が蓄積しているのか表現する術を持たない。ゴーレムに柔軟な意思表示が可能ならば避けられる問題なのだがな」


 もっとも、近年多発する暴走の原因は別にあるようだが。

 そう言って先生は話をまとめた。


 柔軟な意思表示。

 要は、口がきければよいのだ。


 ならば。


「なぜ、ゴーレムは喋れないのでしょうか」


「喋るのが当然だとでも言いたげだな、ヘレナ君」


 鋭い指摘にびくりと肩を震わせる。

 一瞬、先生の表情が曇ったように思う。

 ……どうか気のせいであってほしい。


 僅かに沈黙する先生。


「……摂理だから、という理由が聞きたいわけではないのだろう?」


 上目遣いで、私は遠慮がちにうなずく。


 そう。


 まさに、私の求めている解答。ヨゼフという例外を理解するために、必要不可欠な条件。


「ゴーレムが喋らない理由。……それは単純だ。彼らは、言葉の意味を理解していない」


 言葉の意味を理解していない?

 思いもよらない理由。

 言葉が分からないから喋れない、ということだろうか。


「ゴーレムは私たちの言葉に対して、ある程度適切な行動を返します。それは言葉を理解している証拠ではないでしょうか?」


 確かにそうとも考えられる。先生はひとまず肯定した。


「しかしそれは、譜面に応じてピアノを弾く自動人形と同じではないかね? 入力に対し機械的に反応した結果では?」


「ですが、ゴーレムは人と同じ体を持っています。人と同じように言葉を受け取れるのなら、その意味も同じように受け取れるのではないでしょうか? ゴーレムは単なる機械とは違うはずです」


 『神の文字』によって知性を吹き込まれ、人と世界を共有できる人型を成している。

 言葉を受け取れるのなら、言葉を理解していることになるはず。


「ふむ」


 そう言って、先生は一拍の後語り始めた。

「では、君が塔の中にいるとしよう。その塔は監獄だ。出入り口は、遥か頭上の通気口のみ」


 先生の講義が始まった。

 しかしこれは何の講義だろう。

 言語学か論理学か、はたまた神学か。


「唯一光が射しこむ小窓からは時折手紙が差し入れられる。囚人たる君に課せられた刑罰は、その手紙を翻訳することだ」


 塔の囚人。

 その陰鬱な比喩が、何故だか不安を掻き立てる。


「しかし君は、手紙に綴られた言語――仮に中国語としよう――を読むことが出来ない。同様に、翻訳すべき言語――こちらは英語としよう――も一切知らない。そこで君には一冊の辞書が与えられた。それは、『


 塔の囚人たる私は果て無き手紙の翻訳を強いられているのだ。

 たった一冊の辞書だけを頼りに。


「ここまでは分かるかね?」

 先生の問いに肯定のうなずきを返す。

 さて、ここからがややこしい。先生は前置きの後、語り始める。


「しかしこの辞書には、は載っていない。同様に、も記されていない。あくまで、を示しているだけだ」


 少しの間黙考し、私は意味を咀嚼する。


「どういった書物か想像しづらいだろうが、気楽に考えてくれ。要は、言葉の置き換えを示しているのだ。中国語と英語、それぞれ同じ意味を持つ単語――もしくは文章――を等号で結び、機械的に置換できる事を明示している。そういったごく単純な内容が、『君の読める言葉』で記されている」


 言語とは、言い換えれば記号のやり取り。翻訳もまた記号の置き換えに過ぎないのだ。


「君は辞書を見れば、中国語を英語へ翻訳できる」


 私は理解を示すため、先生の目を見て頷いた。


「当然、辞書が正しければ君の翻訳文も正しくなる」


 それも分かる。


「翻訳文が正しい以上、翻訳文を受け取った人間は君が中国語と英語を理解していると考えるだろう」


 にもかかわらず。


 そう言ってハレマイエル先生は、私を真正面から見据えた。


「君は、手紙の内容を理解していない」


 ああ。

 そうか……!


「私は中国語も英語も知らないまま……」


 厳かにうなずく先生。


「そうだ。君が手にした辞書は言葉を置き換える方法を示すのみで、


 双方を置き換えることは出来るが、『のだ。

 手紙を翻訳できても、その内容はわからないまま。

 ようやく、先生の意図が見えてきた。


「ゴーレムも、これと同じではないかね?」


 厳かに問いかける先生。


「中国語で書かれた手紙が『人からの命令』。英語で書かれた翻訳文が『命令に従ったゴーレムの行動』。辞書が『戒律の書』。そして『君の読める言葉』が、『ゴーレムの言葉』だ」


 先生の言う塔の監獄は、ゴーレムの在り方そのものだったのだ。


「確かにゴーレムは命令に対し適切な行動を採る。しかし塔の囚人たる君がそうであるように、ゴーレムは『人からの命令』の意味を理解できない。『命令に従った行動』の意味も、同様だ」


 命令に応じた適切な行動を採っていても、その命令と行動の意味は知らないまま。


「これでも、君はゴーレムが言葉を理解していると言えるかね?」


 私は言い知れぬ違和感を抱く。

 しかし、反論の糸口は見つからない。


「この例えから導かれる結論は二つ。一つは『意味を理解すること』と『意味を理解したように見えること』は等号で結べない、ということだ。ゴーレムはあくまで機械的な置換の結果、意味を理解したかのように振る舞う。その振る舞いの正しさは辞書の――すなわち『戒律の書』の――精度に依存するのみで、理解の有無とは関係がない」


 塔の外の人間には、私が中国語と英語を理解したように見えるのと、同じこと。


「二つ目は、このやり取りを続けても『意味を理解すること』は不可能である、ということだ」


 そう。このやり取りには、原理的に欠けているものがある。


「塔の中の君はどれだけ中国語と英語に触れても、その意味を知る手掛かりを得られない。その二言語の意味は、『君が読める言葉』で一切記されていないのだからな」


 私は何も反論できない。

 ただじっと、ハレマイエル先生の顔を見るだけ。


「つまり、ゴーレムは言葉の意味など理解していないのだ。ただ『理解したように見える』振る舞いを返すのみ」

 私の瞳を見据えながら、先生はそう言った。


 一息つくと優しげに私を諭し始める。

「ゴーレムは人の言葉を理解していないのだから喋れるはずがない。仮に喋れたとしても、それは会話とは言えない。うなずきを返すだけの自動人形が言葉を理解しているといえないように、な」


 けれど……。

 もし、そうだとするならば。


「人もまた、その塔に囚われているはずです」


 そうなのだ。

 私は、ようやく違和感の正体を掴んだ。


「なぜ人はその手紙の意味を理解できるのでしょうか? 先生の仮定が正しいなら、私も先生も言葉の意味を理解できないはずです」


 現に私はこの塔で、言葉の意味を理解できないとされたのだ。

 これではゴーレムだけでなく、人もまた意味を理解できないという結論になってしまう。


 しかし。


 先生は、赤ぶち眼鏡を押し上げながら言った。


「それこそが、神のあたえたもうた奇跡だよ」


 あまりにも、呆気ない答え。


「人に与えられた辞書は――『戒律の書』は――神が記した。奇跡の言語たる『神の文字』は、塔の矛盾をものともしない」


 私は何も言えない。

 再び腕を組む先生。


「ゴーレムに言葉の意味は伝わらない。ゴーレムは言葉の意味を伝えられない。……かつてレーヴ君はこう言っていたよ」


『語りえぬものについては、沈黙せねばならない』


 だからこそ。


「虚ろな言葉で人を惑わさぬよう、彼らは口を噤むのだ」

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