6 - 5 雫、王道の石を削る

「後少し!」


 ナーナの掛け声。

 気付くと、私たちは地上に出ていた。


 狭い門を潜り抜け一つ目の中庭まで逃げのびる。

 道幅は広がり、もうマリウスに押し包まれることはない。


 意外なことに、マリウスは人間を一人も犠牲にしていない。

 逃げ惑う人々を巧妙に避け、邪魔なゴーレムだけ無力化していく。


 中庭で待機していたゴーレムが私たちを捕らえようと殺到する。


!」


 少女の体からは想像もつかないほどの声量。

 ナーナの号令を受け、主を書き換えられるゴーレムたち。城のあちこちから参集する。


 あきれたような顔で、けれど楽しげな表情のまま人型のマリウスが佇む。

 かつかつと靴音を響かせハレマイエル先生も追いついた。


「根権限を塞ぐため『戒律の書』の改訂を急がねばならんな。あるいは、ナーナ君の口を塞ぐか」


 気がつくと、空には厚く垂れこめる黒雲。じとじとと黒ずんだ雨を降らせる。


 周囲は雨霧に満たされる。

 霧に煙る城門を背にゴーレムを従え相対する私たち。

 束の間、静寂が支配する。

 既に語るべきことはなく、ただ闘争を以て意志を伝達しようとする。


 その静寂に水を差す、低くくぐもった音。

 ずん、ずん。

 何かが近づいてくる。

 ヨゼフが視線を巡らせる。

 私は後ろへ振り返る。


 すると。

 城門の向こうに、霧の中から現れる何かが見えた。

 徐々に、おぼろな人影が浮かぶ。

 虚ろな瞳が光を弾く。

 それは、


「お父さん……?」


 紛れもない父の姿。

 濡れそぼった外套の下、赤いネクタイが覗く。

 失踪した半年前に比べると、よりいっそう頬はこけ病人のようだ。しかし瞳に宿す光は力強く、衰えを感じさせない。


 そして、相も変わらず響きわたる、ずん、ずんという音。

 この不気味な音は何なのだ。

 ナーナやカレルも不審に感じているのだろう、忙しなく視線を巡らせる。

 ただ、ハレマイエル先生とマリウスだけが、気にも留めずに佇んでいる。


 ようやく私に気付いたのだろう、父が虚ろなままつぶやいた。


「ヘレナか。久しぶりだな……」


 城門の前で歩みを止める父。

 ずん、ずん、という音も同時に止まった。


「待っていたぞレーヴ君」

「ようやく準備が整いました。ハレマイエル先生」


 虚ろな、けれど強い光を宿した父の瞳。

 どこを見るでもなく、父は謎めいた言葉を紡ぐ。


「ゴーレムの尽力により楽園は成った。だが、楽園の人間は無垢ゆえ殖え方を知らない。ゆえに『破局』を乗り越えてなお、人は緩やかな滅びに瀕している」


 父の背後に、なにやら影が浮かび上がる。


「そして『神の文字』を目指し枝分かれを失った我らの言葉は、やがて逆鱗に触れる。この街の塔は、一つ残らず突き崩される」


 枝分かれを失った大樹。

 それはまるで、巨塔だ。


「我々『その三文字』は、滅びを防がなければならない」


 そしてふたたび、ずん、ずんという音。


「なに、あれ……」


 ナーナが何かを見上げつぶやいた。


 それは大きな影。周囲の建物に比肩する。

 その上部で、赤い光が高速で明滅していた。


 吹き抜ける風がもやを吹き散らす。

 そこに現れたのは、異形の姿。


 異形。

 そうとしか形容できない存在。


 私はあんな生き物を見たことがない。

 いやそもそも、あれは獣なのか機械なのかすら判別できない。


 塔のようにそびえる巨体。

 厳めしく張った肩とは対照的に、細くしなやかな胴と腰。それはただ雄々しく波打ち、けれどどこか整然と――まるで機械のように――整っている。その体表はゴムのような質感を持ちながらも金属光沢をまとい、鎧を着こんでいるように見えた。


 きっとクレタ島の鍛冶屋がこしらえた青銅の巨人は、こんな偉容を放っていたのだろう。

 神の業で産み出された巨兵。

 私の頭に辛うじて浮かんだのは、そんな言葉だった。


 よく見ると、細部の造形は巨大化したヨゼフに似ている。

 しかし、これが同じ形から派生したものには見えない。


 それはあまりに醜悪だったから。


 霧の奥から覗いた肩は、あるべき器官を欠いていた。


 それには、頭がなかった。


 目も鼻も耳も、そして当然のように口すら据えられていない。


 肩の間にあるのは僅かな盛り上がりだけ。

 おそらくそこが額なのだろう。

 なぜならそこで、『真理』の三文字が瞬いていたから。


 無頭の人型アケパロイ


 いや、それを人型と呼ぶのははばかられる。

 そもそも意志の疎通を想定しない虚ろな形。

 人型を駆動するだけなら、意志も感情も不要なのだ。


 そして言葉さえも。


 そんな傲岸にして不遜な主張を体現した異形。


 幸いというべきか、その胸で妖しく光る『その名』は、人型のゴーレムとは配列が異なる。

 かつて巨人となったヨゼフは耳を象らなかったが、それでも目鼻立ちは辛うじて判別できた。

 たとえ無表情でも人として認識することができた。

 しかし目の前の巨人は完全に人外であるらしい。

 父はそんな異形を従えている。


 雨に煙る街並みの奥、同じように首を欠いた人型がゆっくりと立ち上がる。

 何体も、何体も。


 無頭の巨人の抱く『真理』の三文字が光を発する。

 モールス信号のように二値の符丁が閃く。

 唯一、その瞬きだけが言葉との繋がりを感じさせた。


 目を剥くカレル。


「『本文』をクラックしたのか!」

「不完全だがな」


 疲れた顔のまま、父は答えた。


二進数バイナリの切れ端から直接『その名』を起こすのには苦労した」


 無頭の巨人の胸ではおよそ二十種類の――正確にはの――記号が赤く光っている。


「『その名』は十六進数ニブライの配列に過ぎん。僅かでも『本文』を読み出せれば、いくらかのバリエーションを推測できる」


 目の端で異形を捉えながら父は告げた。


「お前たちはこのゴーレムに勝てん。切り札たるブスマンも既に制圧した」

「どこにそんな計算資源が!?」


 ナーナも愕然としている。

 事態の呑みこめない私とヨゼフだけが、呆けたように傍観している。


「上だ」


 僅かに空を仰ぐ父。


「ウルティムスを高高度から降ろせ。空中管制器としての運用を開始する」


 父が小さな無線機に告げる。

 直後、雲を突き破り天頂から異形が現れる。


 無頭の異形とは比べ物にならない巨体。

 それは宙に浮きながらも、鳥や羽虫ではなく海獣を連想させた。


 緩やかな弧を描き城の尖塔を中心に旋回し始める。

 その額では。


 ああ、『真理』の三文字が明滅している。


「全器へ。以後はウルティムスが展開する電子戦器を基幹とし、自律して状況に当たれ。以上だ」


 無線機を口から離しヨゼフを見据える父。


 もう、カレルもナーナも眼中に無い。

 一歩一歩こちらへ近づいてくる。


「プリムス、お前を目覚めさせたのは誰だ?」


 怯える私を強く抱きしめるヨゼフ。


「命令を吹き込んだのは誰だ?」


 ハレマイエル先生は、ヨゼフを想定外だと言った。

 そして父さえ、ヨゼフの正体を知らない。


 無言で父を見据えるヨゼフ。

 足を止め、ヨゼフの瞳を射抜く父。


「何にせよ、お前にはこちらへ来てもらう。お前は私の妨げになる」


 虚ろな瞳のまま、父は告げた。


「その名の主として命ずる。プリムスよ、私と共に来い」


 私の肩を抱くヨゼフの手が震えている。

 その手に力をこめ、彼は言った。


「僕の名は、ヨゼフだ」


 小さくため息をつく父。

 何の躊躇いもなく、言った。


「マリウス。無頭型と協力し、プリムスを無力化しろ」

「お嬢さんはかまわんのですか?」


 こんな状況でも、マリウスは楽しげだ。


「捨て置け」

「御意」


 首の無い異形がヨゼフに襲いかかる。

 その太い腕を鞭のようにしならせ、全てを破壊しようとする。


 懐へ飛び込みどうにか回避するヨゼフ。

 彼らを誘導するように、ヨゼフは大きく跳躍し、私たちから距離をとる。


「待って!」


 行かないで。


 その言葉に一瞬、苦悶の表情を浮かべるヨゼフ。


「今しかない」


 私とナーナを抱きかかえ、カレルも大きく跳躍した。


「余力ある者はセクンドゥスカレルを追え」


 つまらなそうに告げる父。

 一瞬私と目が合ったが、その瞳は虚ろなまま。


「ヨゼフが!」


 カレルの腕の中で叫ぶ私。

 必死に身をよじり抜け出そうとする。

 もう、父も先生もナーナも知ったことか。


「今は無理だ!」


 ヨゼフへ殺到する無頭型。

 周囲の被害などお構いなしに、その巨大な手足でヨゼフを砕こうとする。


 崩れる城壁。

 穿たれる石畳。

 ヨゼフがあの場に留まっていれば、私たち全員がひき肉になっていただろう。しかしそんなことはどうでもいいのだ。

 私は、ヨゼフが……!


 カレルの腕から抜け出そうとあがくが、彼は決して離さない。

 ナーナが上書きしたゴーレムを足場に、城壁を乗り越え向こう側の広場に着地する。


 建物の陰から計ったように現れる装甲車。

 水しぶきを跳ね飛ばし急激に旋回する。

 すぐにでも丘を下ろうと、減速を最小限にとどめる。

 私とナーナを抱えたカレルがその背に着地し、丘を下るよう運転手に命じる。


 遠ざかる城門では、ヨゼフが異形の四肢と格闘していた。

 マリウスがヨゼフの退路を阻み、無頭型の太い足がヨゼフを蹴り上げた。

 空高く舞い上がり、おもちゃの人形のようにばらばらと砕け散る四肢。


 言葉を失い、呆けたように口を開けたままの私。


「まずい」


 カレルのつぶやき。

 視線を戻すと、進路を塞ぐように立ちはだかる無頭型が、私たちの装甲車をなぎ倒そうと迫っていた。

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