5 - 2 胎土と修繕

 階段を上る私。

 屋内であっても、初冬の空気はひやりとしている。


 この工房は外観こそアール・ヌーヴォー調で洒落ているが、内装は簡素で味気ない。

 どこにもそれらしい装飾は見当たらず、実用一点張りの構造になっている。

 『破局』の後、ゴーレムの需要が急増し、工房として再編されたアパートの一つだ。

 せめて歴史ある外観だけは残そうと、当時の人々は内側を改装するにとどめたのだろう。


 この工房が位置する新市街はカレル四世によって生み出され、創設当初から手工業者の街として発展してきた。

 それゆえ欧州の古都にしては道幅が広く、施設の配置も機能的だ。

 後の西欧に先駆けた、近代的な設計の都市。


 踊り場で工房の職人たちとすれ違う。

 彼らは泥で汚れ、お世辞にも清潔とは言い難い。

 しかし皆こざっぱりとした印象を与え、みすぼらしさとは無縁だ。

 目に快活な光を宿し、職人或いは表現者として日々を生きている。


 そんな彼らを尻目に、私はファブリ師匠の居る部屋まで辿り着いた。


 棟の奥にある大部屋。

 その扉は古めかしく、ひどく威圧的だ。

 私はしばし、扉の前で佇む。

 本当に、開けていいのだろうか。


 ファブリ師匠はずいぶんと気難しそうだった。

 私のせいで仕事が中断されたら、機嫌を損ねるかもしれない。

 この葛藤を誰かに打ち明けたいが、生憎ヨゼフもマリウスも居ない。

 マリウスは用事があると言って工房を離れた。帰って来るのは明日らしい。


 私は不安を胸にしまい込んだまま、ゆっくり扉を開ける。

 ぎいい、とうめくような音。

 室内を見渡し、恐る恐る足を踏み入れる。


 すると、

「とんでもないものを持ち込んでくれたな」

 扉の影から男が現れた。


 ぼさぼさの眉の下、私を睨む二つの瞳。

 ひっと息をのみ、私は尻もちをついてしまう。

「なんちゅう化け物だ。あれは」

 小さくため息をつくファブリ師匠。

「あんなをしたゴーレムは、初めて見た」


 私はゆっくり起き上がる。

 ファブリ師匠から目を背け、けれど顔はそちらに向ける。

 およぐ視線にため息をついた後、ファブリ師匠は私を部屋の奥へ招いた。


 どかっ、と座り込み、台の上に置かれた人型に屈みこむ。

 そこに横たわるのは見慣れた兄の形――すなわちヨゼフの形――だった。

 しかしそれは肉や皮の質感を持たず、あくまで土としての外見を保っている。胎土で象られた人型。


 私はおそるおそる師匠に声をかけた後、隣の椅子へ腰かける。

 私も同じように、ヨゼフへ顔を寄せる。


「決して、これに話しかけるなよ」


 低く凄みを帯びた声。

 私はびくりと顔を上げる。

「お前の言葉が暴走の引き金になった以上、余計な事を喋るな」

 人差し指に口を当て、師匠は沈黙を強要した。


「……レーヴの奴、何を考えとるんだ。このゴーレムに口を開かせるなんぞ……」

 それからしばらく、師匠はヨゼフの顔をいじり続けた。

 ぶつぶつ独り言を言いながら、けれど決してたがわず造形を施す。


 『戒律の書』がゴーレムの形を規定する以上、ゴーレムの形状には厳密な規格が存在する。

 しかし、ゴーレムは機械と異なる。工業製品のように画一的に構成されているわけではなく、人体の緩やかな連合が器官を形成しているのだ。

 当然、『戒律の書』が要請する四角四面な規格との相性は悪い。

 人体としての整合性を成立させながら、融通の利かない工業的規格を組み込むには、高度な技能と才能が必要となる。ファブリ師匠はそういった才能に秀でているらしい。細部の形を詰めながら、全体像を思い描く事が出来るらしいのだ。

 指先の筋がどこにどう接続され、最終的に腕の挙動にどの程度影響をもたらすのか――自由度や可操作性楕円体、思案点といった専門用語ばかりでよく分からなかったが――そういった複雑な構造を直感的に見抜けるそうだ。


「ヘレナ、顔を見せろ」

 そう言って、私の顔へ無造作に手を伸ばした。


 思わず身を引く私。

 泥だらけの手が空を掴む。

「風呂あがりか。すっかり忘れていた」

 私の顔を掴むことはせず、けれどまじまじと見詰めるファブリ師匠。

「目元の造形が気に入らんでな、お前の顔を少し見せてくれ」

 そう言って師匠は私の目を見据えた。

 時折ヨゼフの写真――マリウスが用意していた――を取り出し、何度も何度も見比べる。

「目元は似ているな。情けない困り眉はそっくりだ」

「……よく言われました」


 その後、師匠はしばらくヨゼフとにらめっこしていた。

 ときどきその顔をいじり、細かな調整を加える。

 そうしてようやく納得がいったのか、顔を離し椅子に深く座り込む。


「今日一日で、難しい修繕は大体終わった。後は目覚めた後に筋電位を測定し、腕や足の調子を整えれば充分だろう」

 目元をもみほぐし、深く溜息をつく。

 とんとんと自身の肩を叩き、ごきごきと首を鳴らす。

「普通にゴーレムを造るなら、形に納得がいった段階で『その名シェム』を刻む。そうすると土が徐々に自己組織化し、『その名』が表すものにふさわしい機能と質感を持つようになる。普通はここまで造るのに数カ月かかるが、これは特別だ。既に『その名』が機能し、自己組織化を始めている」


 『その名』が受け入れる形にはある程度幅があるようで、背丈や顔の違いは重要視されないらしい。それどころか、大まかな特徴さえ一致すれば、たとえ巨人でも許容してしまうのだ。


「人を意味する『その名』は、体表に肉の質感と皮膚の透明感を再現し、ひげや頭髪を一本一本に別つ。眼球に水晶体を与え、粘膜による湿り気を帯びさせる」

 新たに象られたヨゼフの胸板に、赤く光る『その名』が浮かび上がっている。

 私の見ている目の前で、体の末端が徐々に――本当にゆっくりと――人間味を帯びていった。

 爪が透け裏の肉が見える。

 その表面が光沢を持つ。


「こうして自己組織化を終えた後に『真理』の三文字を刻む。昔は護符や印章を口に押し込んだりもしたが、今は直接刻むのが主流だ。ゴーレムは、この文字によってかりそめの命を吹き込まれる。額の『真理』の三文字が、熱や流れ、電位の差を与え、文字や記号といったものすら吹き込む。朗誦により『戒律の書』を刷り込むのはこの後だ。もっとも、それは『その三文字』の仕事だからな。俺は詳しく知らん」

 ファブリ師匠はかつて『その三文字』に属する導師だったという。にもかかわらず、彼は『戒律の書』の刷り込みを知らないといった。

 そういえば、マリウスに対してもずいぶん当たりがきつかった。

 何か因縁があるのだろうか。

 だが、私にそれを問い質す勇気はない。


「……なあヘレナ、不公平だと思わんか」

 ヨゼフの目元を見詰めたまま、ファブリ師匠は言う。

「なぜ人は口を閉ざさない。喋る理由はなんだ?」

 その問いかけは独白。

 私の返答など求めていなかった。


「……俺たちが語れる事はひどく少ない。ゴーレムよりいくらかましというだけだ」

 だから俺たち人間は、


「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」


 立ち上がり腕を回す師匠。

 よほど凝っていたのだろうか、ぼきぼきと盛大な音がした。

「真に語るべき言葉を持つのは神のみ。『神の文字』であれば、全てを明瞭に認識し、齟齬なく伝達できる」


 齟齬なき意志の疎通。

 それはどれほど素晴らしいものなのだろう。

 私が求め、ついぞ手に入らなかったもの。


 なぜ神は、それを素直に与えてくれなかったのだろうか。

 私はもう一度ヨゼフを見下ろす。

 兄と同じ形、同じ振る舞い。そして彼は、同じ声で語りさえした。

 しかし今は口を噤んだまま。


 神を裏切りながらも『神の文字』で駆動される被造物。

 神を疑いながらも『神の文字』に希望を見出す私と、良く似ているのかもしれない。

 その共感が、彼を愛おしく感じさせる。

 赤みを帯びたヨゼフの指先が、ほんの僅かにぴくんと動いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る