1 - 2 暴走

 歯を剥いたゴーレム。

 その瞳が激情を宿し、虚ろな眼差しは消え失せた。

 

 言い知れぬ不安に、薄い胸が早鐘を打つ。


 すると、突然走り出すゴーレム。

 太い腕を大きく振りかぶる。

 まるで、お前を叩き潰してやるとでもいうように。


 あっけにとられる私。


 事態が呑み込めないまま、咄嗟に後ろへ逃げ出す。

 けれど石畳に足を取られ、盛大に転んでしまう。


 その頭上をゴーレムの拳が通り過ぎた。

 振り抜いた拳をもう片方の手と組み合わせ、頭上へ大きく掲げる。


 あんなものを叩きつけられたら無事ではすまない。

 打ち付けた膝が痛むが、どうにか立ち上がり駆けだす。


 先ほどまで私がいた場所に大きな拳がめり込んだ。

 砕け散る石畳。


 そうしてようやく理解する。

 ゴーレムが、襲い掛かってきたことを。


 そんな馬鹿な……!

 恐怖に急かされ走りながら、私は必死に考える。


 ゴーレムが人を傷つけるなどありえない。

 それどころか、身を粉にしてでも人を救えと、『戒律の書』の基幹部分セントラルドグマに記されているのに……!


 にもかかわらず、このゴーレムは私へ危害を加えようとした。


 これは暴走。

 明確に原則を逸脱した行為。


 あの少女の囁きを聞いてから、ゴーレムをはおかしくなった。


 ふと後頭部に違和感。

 長い黒髪に何かが触れる。


 ゴーレムのごつごつした大きな手。

 髪をつかんで引き倒そうと、腕を大きく伸ばしている。

 咄嗟に私は横の路地へと飛び込んだ。


 ゴーレムは機敏な動きが苦手だ。

 急な方向転換に追いつけず、私と大きく距離をあける。


 とはいえ、私の足取りもおぼつかない。

 ひたすら恐怖が足を踏み出させるだけ。


 よろけた私は古道具屋の店先に置かれた、錆付いたあぶみやスケート靴に躓く。

 崩れるがらくた。

 くすんだボヘミアグラスが石畳で砕け散った。

 私に追いすがるゴーレムも、がらくたに足をとられ転倒する。


 しかしそれは痛みなど感じない。


 大して気にする様子も無く、起き上がり追跡を再開した。

 歯を剥き噛み締めた口元が、無言で私を責め立てる。


 百塔の街の旧市街は幾つもの枝分かれを持つ。

 古来より継ぎ足されたそれはあまりに複雑で、でたらめに逃げ回った私は、自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。


 息も絶え絶えに辺りを見渡す。

 気がつくと人通りが完全に途絶えている。

 家の窓から漏れる明かりも無い。


 私は旧市街のはずれ、人気のない再開発区画へと迷い込んでしまったらしい。


 私を見捨てるかのように、最後の夕日が途切れる。

 集合住宅のファサードや穴蔵のような軒下に、虚ろな暗がりが口を開けた。


 路地を曲がり振り返ると、追いすがるゴーレムが増えていた。


 いつの間に……!?


 二体のゴーレムは、額の『真理』を意味する三文字から青白い光を放ち、すぐそこまで迫っている。


 はちきれんばかりに脈打つ心臓。理不尽な恐怖に胸が締め付けられる。


 足元はおぼつかない。

 滑らかに磨き上げられた石畳でも、夜目の利かない人間には充分な障害となる。

 足がもつれて転んでしまった。


 黒いタイツが破ける。

 膝から血が流れ出した。

 鋭い痛みが、これは夢ではないのだと告げる。

 こんな寝入りばなの悪夢のような場面が、現実だなんて。


 そうして行き当たりばったりに曲がった路地の枝分かれに、あの少女が立っていた。

 闇に浮かぶ白絹のような髪。

 目深にかぶったキャスケット帽に遮られ、その表情は伺い知れない。


 彼女の横には二体のゴーレム。

 少女はちらりと私を見た後、ゴーレム達へ何かを囁いた。

 そして走り去る。


 最初の時と同じように、そのゴーレム達も歯を剥き突撃してきた。


 ……暴走の引き金はあの少女だ。

 近年多発するゴーレムの暴走、そのいくらかは彼女の仕業かもしれない。


 痛む足を引きずりながら、朦朧とした頭で考える。

 なぜ彼女は、私を標的に……。

 家でも学校でも一人ぼっちの私が、何をしたというのだ。

 母も兄も既に亡く、父さえ行方知れずの私から、これ以上何を奪おうというのか。


 夜の訪れと共に冷えていく空気。

 喉と肺がいっそうひりつく。

 足は重く、もう踏み出すことすら億劫だ。

 とりわけ打ち付けた膝が痛む。

 これ以上は、走れない。


「お兄ちゃん……」


 私の口から弱々しく漏れるつぶやき。

 兄なら、きっとこんな状況からも救ってくれただろう。


 兄はいつだって私を助けてくれた。


 数年前の大水害で、濁流に飲まれて死ぬまでは。


 兄の最後が頭をかすめ、私へ追い打ちをかける。

 胸が締め付けられ息が詰まる。


 路地の奥に壁が見えた。

 すなわち、行き止まり。

 左右には廃墟の高い壁。


 逃げ道は、ない。


 振り向きゴーレムの様子を伺う。

 既に追い詰めた事を理解したのか、四体のゴーレムは横に広がり道を塞いだ。


 走ることをやめ、ゆっくり距離を詰めてくる。


 じりじりと後ずさる私。

 その背にとうとう壁が触れた。


 淡いベージュの漆喰。

 長い時を経て古びたそれが、ぼそりと剥がれ落ちる。

 埃の乾いた臭いが焦燥を掻き立てる。


 不意にゴーレムが道を空けた。

 一人の男が進み出てくる。

 黒い外套の襟に顔をうずめた、背の高い男。


 目深にかぶった帽子から僅かに金髪が覗く。

 男の後ろには小さな人影。

 ああ、あの白い髪の少女だ。


 つかつかと歩み寄る黒い男は、外套の前を開き、ゆっくり銃を取り出した。


 小型の機関銃サモパル

 蠍の尾のように銃身にかぶさる銃床を、ゆっくりと広げる。


 その禍々しい黒光りに怯え、私は腰が抜けてしまう。


「……おまえがレーヴ教授の娘か?」


 男の口から告げられたのは、私の父の名前だった。


 父はこの街の大学で教鞭を振るう学者だ。

 百塔の街を統べる結社『その三文字』に所属し、『神の文字』の謎を解き明かすべく神学へと邁進する導師。

 しかしその父は失踪し、かれこれ半年行方が分からない。


 黒い男の質問へ肯定の言葉を返そうとするが、体中がこわばって声すら出なかった。

 ただ、ひっ、という小さな息が漏れただけ。


 返事をしない私に焦れたのか、銃をこちらに向けたまま、男が一歩踏み出した。

 再び何かを問いただそうと口を開く。


 白い歯が、覗いた。


 その時、不意に遮られる月光。

 すばやく飛び退く黒い男。


 今しがた彼の居た場所に何かが降ってきた。


 高い背丈としなやかな体躯。

 おそらくは大人の男だ。

 その顔は闇夜紛れて伺い知れない。


 着地した闖入者は勢いを殺さず足のばねを溜め、黒い男へ挑みかかった。


 身を屈め際どくかわす黒い男。

 二撃目をいなした彼は路地の奥へと退く。


 闖入者は黒い男への追撃を諦め脇のゴーレムへ肉薄した。

 その素早く柔軟な動きは、ゴーレムの持ち合わせない資質。


 ゴーレムはのだ。

 たとえ、自分の身を守ることであっても。

 黒い男、あるいは白髪の少女が退けと命じるより早く、闖入者がゴーレムの額を打ち砕いた。


 ひび割れかき消される『真理』の三文字。

 奇跡の文字を失ったゴーレムはもはや泥塊に過ぎない。

 結合を失いざらざらと崩れていく。


「対象を変更、その男を無力化して」


 白髪の少女の声を聞き、ようやく戦いの構えをとる三体のゴーレム。

 反応の遅れた一体は、体の向きを変えることすらままならなかった。


 引き絞られた右手に、一瞬で額を打ち抜かれる。

 文字を砕かれ力を失い、ただ一塊の土くれに。


 闖入者が次なる目標へ跳躍した時、白髪の少女が再び言葉を発した。


 高く、よく通る声。

 しかしそれは尋常ならざる速度で発音され、言葉としては聞き取れない。


 残った二体が間合いを計り、共闘の構えを見せる。

 少女の韻に合わせ闖入者に迫る。


 交錯する三つの影。


 闖入者を打ち倒さんと躍動するゴーレム達は、先程砕かれた二体とまるで動きが違う。

 少女の朗誦――人外の域に達した早口言葉――に合わせ、舞踏の様に連携する。


 拳を半身で避ける上体、重心を捉えた反撃。

 その動きはまるで操り人形ハンスヴルストのようにこわばっているが、それゆえ精緻で綻びがない。


 予備動作を排除しつつ重心を維持し続ける、結社『その三文字』の戦闘用ゴーレムと酷似した動き。

 唯一傷害を許された、特殊なゴーレムの挙動だ。


 しかし、二体の服装は至って普通に見える。

 今まさに畑仕事を終えたところ、主人の使いに出ているところ、そんな風情。

 体つきも野暮ったく、人との組み手などこなせないだろう。

 見た目は明らかに市井のゴーレムなのだ。


 本来彼らに刷り込まれた『戒律の書』は、人を傷付けることを禁じ、高度な格闘技など望むべくもない。


 ならば、なぜ。


 おそらく、白髪の少女が命令を上書きしている。


 闖入者を倒すため、腕の角度や足の位置、もしくは拳の速度など、そういったものを勘定し、尋常ならざる早口で命令している。

 その口語は『戒律の書』と同じ構文で語られ、ゴーレムに刷り込まれた命令を直接上書きしていく。


 通常のゴーレムにこんな一方的な上書きは出来ない。

 それを防ぐよう、『戒律の書』には論理の防壁が張り巡らされているのだから。


 おそらくあの少女は、何らかの手段で防壁を無効化し、ゴーレムに直接追記を施しているのだ。


 人外の早口言葉は二体のゴーレムを遅延無く格闘させる。

 その場で書き足されていく戦闘用の挙動。常人にはありえないゴーレムの操作方法。


 対する闖入者も引けを取らない。

 人間ならではの曖昧で柔軟な動き。

 高度な陽動で確実に打撃を加える。


 闖入者がゴーレムの腕を捉えた。

 嫌な音を立てへし折れる右腕。


 一瞬、少女の指示が鈍る。

 腕の折れたゴーレムでは攻めも守りもままならない。

 中途半端に構えた腕の奥に、闖入者の拳が到達した。


 重く湿った音が響く。

 崩れ去るゴーレムの片割れ。

 土くれは土くれに。


 残りは一体。


 ゴーレムは減り闖入者が優位に立ったかに見える。

 しかし残った一体は、より素早く苛烈な攻撃を仕掛けてきた。

 少女の負荷が減り高速な挙動が繰り出される。


 量より質が増した結果、速度も精度も向上した打撃、蹴撃。

 人より重みの乗った鈍器のような手足が、闖入者に襲いかかる。


 屈み、ひねり、しなやかにかわす闖入者。

 何らかの近接格闘術クラヴ・マガを習熟しているようだが、彼の動きは我流で先が読めない。

 私は状況が呑み込めないまま、なぜだか冷静な頭で成り行きを見守る。


 そんな私をたしなめるように、黒い男の銃が火を吹いた。

 私へ向けて放たれる弾丸。


 お前も役者の一人だぞ。


 私を睨み付ける瞳――澄んだ青白い瞳――が黙して私にそう告げた。

 私は恐怖に目を塞ぐ。何もできず体をこわばらせる。


 着弾。

 肉を切り裂く嫌な音。


 しかしそれは、身を投げ出した闖入者から響いていた。


 一瞬で跳躍し、私への銃弾を遮ったのだ。


 鮮血――闇夜ではあんなにも黒々と見えるのか――を滴らせながら、射線にそって疾駆する闖入者。


 小刻みに陽動し射線を逸らすが、銃弾をかわしきれるはずがない。

 その身に弾をめり込ませ、それでも砲弾のように黒い男へ迫る。


 彼を止めるべく最後のゴーレムをけしかける白髪の少女。


 闖入者を捕らえ、銃弾の餌食にしようと迫るゴーレム。

 四肢がもつれ合う。


 今、銃弾が彼の足を穿ち回避を阻害した。

 ゴーレムの拳が迫る。

 しかしその拳は闖入者を打ち据えず、眼前でぴたりと止まってしまった。


「凍結……!」


 焦りを露わにする少女。


 凍結。

 それは暴走の一種。

 矛盾した定義や無限に循環する構文は、ゴーレムを凍りつかせることがある。

 彼らは言葉に忠実である以上、言葉で決着出来ない問題には対処できない。


 『戒律の書』に与えられた定義や原則を無視し暴走したゴーレムたち。

 そこに追記された大量の命令は、ゴーレムの思考を蹂躙し、凍結させた。

 少女はきっとゴーレムへの追記を誤ったのだろう。

 古より洗練されてきた『戒律の書』を差し置いて、無作法な言葉を捻じ込んだ結果。


 不動のゴーレムの額を砕き、『真理』の三文字をかき消す闖入者。

 最後の一体も、土くれとなる。


「……退くぞ」


 静かにそう告げ、黒い男は少女を抱きかかえた。

 ほんの一瞬で靄が晴れるかのように、二人は消えてしまった。


 闖入者は静かに佇立するのみ。

 彼は度重なる打撲や銃撃に堪えた様子もなく、ゆっくりこちらを振り返った。

 月光に照らされるその姿。

 私は、はっと息をのむ。


 ああ、この姿は……。


 私と同じ黒い頭髪、琥珀のような金色の瞳。

 そしてその優しげな面差しは、


「お兄ちゃん……?」


 死んだ兄そっくりの、いや、全く同じ顔。


 しかしその額には、赤く光る『

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