2 ゴーレム

2 - 1 金色の夢

 木々の切れ目から覗く、金色の夕陽。

 その光を背負い、一人の少年が立っている。


 彼の向こうに見えるのは百塔の街。

 数多の尖塔が空を目指し伸びる。


 がらんがらんという、鐘の音が聞こえた。

 日の入りを告げる尖塔の鐘だ。


 吹き渡る風が木々を撫でる。

 地面に落ちたまだらの影が、時折少年を捕らえる。


 少年がはにかむように笑う。

 ああ、これは。


 夢だ。


 いつも見る、あの夢。


 まだ私が幼く、父も兄も居た頃。

 母は既に亡かったが、それでも残された家族に笑顔が残っていた時代。


 少年が手を振っている。


 私は彼の元へ駆けていく。


 彼は私の兄。

 家を空けがちな父に代わり、いつも私の面倒を見てくれた。

 私のことを一番に考え、決して私が悲しまないよう守ってくれた。

 幼い私にとって、最愛の人。


 もつれた足に絡む下草がくすぐったい。

 風が土の香りを舞いあげる。

 兄は私に向け腕を広げ、優しく微笑んでいる。


 もう、これ以上速く走れない。

 はやる気持ちに急かされて、私は兄の名を呼んだ。


 あと少し。


 あとほんの少しで、その胸に飛び込める。


 そうして私が手を差し伸べた刹那、日が沈む。


 真っ黒に染まる木々。


 風が止み、私と兄の息づかいも途絶える。


 森を包み込む静寂。

 全ては黙して何も語らない。


 不意に、水の音が聞こえた。

 どこからともなく現れる、全てを呑み込む黒い濁流。

 あまりに唐突で理不尽で、私は事態を理解できない。


 その流れが、一瞬で兄を呑み込み、押し流した。


 恐怖に息を呑む私。

 そうして濁流に兄を見失い、私は。


 目覚めた。




   …




 日の光がまぶしい。

 私がゆっくり目を開けると、見慣れた二重窓から朝日が差し込んでいた。


 視線を上げると低い天井。

 そこには草花をあしらった室内灯が据えられており、アール・ヌーヴォーの柔らかな曲線を晒している。


 しばし室内を見渡す。

 使い古されたテーブルの上には、もう日付も定かでないプラハ日報が置かれたまま。


 ああ、ここは我が家だ。

 旧市街にある一室。

 母と兄が死に、父すら行方知れずの私がたった一人で暮らす家。


 もう、朝なのか。

 まぶたはまだ重く、嗜眠をむさぼろうと閉ざされていく。


 私はもぞりと身を動かす。

 すると何やら、懐かしい匂い。

 どこからか土の香りがする。

 栄養をたっぷり含んだ森の土。

 その芳醇な匂いが、部屋の中に漂っているのだ。


 束の間、外で遊びまわった幼い頃を思い出す。

 眠気と裏腹に覚醒していく意識。


 やがて頬に当たる少し硬い感触に気付いた。

 ごわごわした布だ。

 なんだろう、かすかな違和感。

 私の枕はもっとふかふかなはずだ。


 そうだ、そもそもここは私の部屋ではない。

 いつも私が寝るベッドは、一つ上の階にある。

 ここは下のリビング。


 そう思った時、私は自分が何に頭をもたれているのか悟った。

 がばりと身を起こす。


 私の頭をよけるように、何かがのけぞった。


 その「何か」は男の形をしている。


 三人がけのソファに座る彼の足、その膝の上で、私は寝ていたらしい。


 驚いて彼から身を引き、ソファの隅で固まる。

 じっと彼を見詰める。

 首をこちらに向け、彼も私を見返す。

 少しの間見つめあう二人。

 私は怯えながら、それでもまじまじと男を眺めた。


 高い背丈。

 けれど華奢な輪郭。


 そして。


 黒い頭髪と金色の瞳。

 優しさを湛え、少したれた眉。

 整った鼻筋と優しげな口元。


 すなわち、死んだ兄と同じ顔。


 そして前髪に隠れた『真理』を意味する三文字。

 そう、ゴーレムの証だ。


 私はようやく昨日の出来事を思い出す。

 夕暮れの中家路を急ぐ私は、暴走ゴーレムとそれを使役する二人組に襲われた。

 そして、目の前の彼に助けられたのだ。


 あの後私は緊張が解け、張りつめた糸が切れるように気を失った。

 それから目覚めるまで、記憶は無い。

 このゴーレムが私を家まで運んだのだろうか。


 私は徐々に事態を理解してく。

 けれど頭の中は疑問符だらけ。

 何も分からず、ただ目の前の彼を凝視する。


 そんな私を見て、彼は小さく微笑んだ。

 兄と同じように首をかしげ、頬を緩ませる。

 その懐かしい笑みに安堵が沸き上がる。

 つられて私も微笑みそうになった。


 だが、私は違和感に気付く。


 微笑んだ?

 ゴーレムが?


 自ら微笑むゴーレムなんて珍しい。

 昨夜のゴーレムが自衛すらおろそかだったように、ゴーレムは命じられなければ何もしないのだ。


 そもそもゴーレムは笑わない。

 それらは、意志も感情も持ち合わせないのだから。

 人が何らかの需要を感じ、「笑顔をつくれ」と命じた時、初めて微笑むのだ。


 それに気付き、私ははっとする。


 驚く私に、ゴーレムはそっと手を差し伸べてくる。

 昨夜、暴走したゴーレムを打ち砕いた大きな手。

 けれど今、その手は優しく開かれている。


 まるで飴細工でも扱うように、慎重に、ゆっくりと私の顔に手のひらをあてがう。

 その手は私の頬に触れ、静かに涙をぬぐった。


 ああ、きっと私は夢を見ながら泣いていたのだろう。


 金色の森に佇む兄、濁流に消える兄。

 最も幸福な時間と最も不幸な時間を同時に描き出す夢。

 この夢を見た時はいつも泣いてしまう。


 彼の足を見ると、衣服に涙の大きな染みが出来ていた。

 昨夜彼が流した血――実際は黒々とした泥水だった――よりも、大きく淡い染みを残す。


 誰に言われるでもなく涙をぬぐったゴーレムは、また私を見つめていた。

 その双眸は優しさ、あるいは慈愛を感じさせる。


 ……不思議だ。

 ゴーレムはこんな目をしない。

 もっと虚ろで、ぼんやりした眼差しのはず。


 私は疑問に思う。

 彼は、本当にゴーレムなのだろうか。


 彼の振る舞いは、あまりに人間らしい。

 そして何一つ言葉を交わさず自律し続ける。

 普通ではないのだ。


 そして、彼の容姿はそんな不信を吹き飛ばしてしまう。

 あまりにも優しげな、兄と同じ顔、同じ微笑み。


 事態の呑み込めない状況でなお、彼への親しみは強くなっていく。

 ああ、もしかすると、彼は本物の兄なのかもしれない。


 ……しかし。 


 彼の額には、『真理』を意味する三文字が刻まれているのだ。

 あまりにはっきりと、たがうことなく。


 ……また見詰め合ってしまった。

 私はようやく居住まいを正す。


 もう片方の瞳の涙を自分でぬぐい、乱れたシャツの襟元を直す。

 捲れたスカートの裾をのばした。

 破れたタイツも、後でどうにかしないと。


 私は一三歳。

 年の割に背丈は小さいが、もう子供ではないのだ。

 他人にみっともない姿を見せるわけにはいかない。


 そんな私の様子を眺め、彼はまた小さく笑った。

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