7 - 3 土と肉と
ほんの束の間黙りこみ、博士は急にげほげほと咳き込んだ。
「少し休んだ方がいいよ」
ナーナが博士の背中をさする。
ハンカチで口元をぬぐった後、博士は再び語りだす。
「僕も元々『その三文字』の導師でね。当時は僕とハレマイエル、ファブリ、レーヴが真の最高位権限者だった」
少しだけさびしそうな眼をしながら、博士は言葉を紡ぐ。
「『その三文字』が目指すのは、再び『本文』と繋がること。そしてそれに追記することだ。『原形質』は『本文』の記述を忠実に再現する。すなわち『本文』に楽園を書き込めば、この地に楽園が現れる」
『世界は神によって記された一冊の書物である』
それが、『その三文字』の教義。
「『その三文字』の気の遠くなるような努力のおかげで、ようやく『本文』との対話の準備が整った。しかし上手くはいかなかった」
博士が遠くを見詰めている。
その目に僅かな郷愁を宿して。
「『本文』は、資格を持たない者に対してその門戸を閉ざす。『本文』の主であるはずの僕たちは、いつの間にか主としての資格を失っていた。途方に暮れる中、それでも僕たちは主の資格が何なのか、その鍵を探し続けた」
また少し咳き込む博士。
「僕たちは多くの犠牲と試行錯誤の末に、どうにか鍵を同定することができた。しかしそれは、あまりに単純なものだった。すなわち、『人の証』」
人の証?
人である証拠、ということだろうか。
そんなものなら、すぐにでも用意できるだろうに。
いったい何が問題なのだろう。
「『人としての意志』、『人としての形』、それが『人の証』だ。そして『本文』は、僕らに『人としての意志』を認めたが、『人としての形』は認めなかった。目を疑ったよ。君たちは人外だと宣言されたのだからね。だとすれば人の形とは何なのか。僕たちはゴーレムを使ってその同定を行った。その結果判明した人の形は、僕たちより幾分体の器官が多く、良く似ているが確かに異なるものだった。おそらく、進化の結果なのだろうね。バベルの災厄からあまりに長い時間が経ち、僕たち人の体は当時と異なるものになった。無駄な器官が無くなり、より機能的な人体を構成していた」
『本文』と同じように、人も変質しているのだ。
「僕たちは頭を抱えた。こんなもの、外科的に再現することはできない。それが可能になるまで、まだまだ時間がかかるだろう。その上『破局』によって文明は停滞している。『話者』ならばあるいは、とも考えた。しかし、彼らがどれだけ『本文』の望む人体を忠実に再現し、どれだけ人らしく振舞おうと、『本文』は『話者』を認めなかった」
随分哲学的な話だ。
人とは何か。
それを語れるものは少ない。
にもかかわらず『本文』はその証を求めた。
そうするように、当時の人は設計した。
おそらく『破局』の以前には、『話者』のような知性があふれていたのだろう。
人、人以上、人未満。だからこれほどまでに「人」にこだわった。お前たちの主は人なのだという、造物主の虚勢。
「もう、我々に採るべき手段は無い。正攻法では『本文』との対話を回復できない。そこで当時提唱されたのが、ゴーレムで特大規模の自動計算機――ブスマンと同じようなものだ――を建造し、『本文』に総当たりの攻撃を仕掛けることだった。彼らが正しい鍵を認めないのなら、力づくで鍵穴を浚いこじ開けてしまおう。そう考えた。幸い、ブスマンのような自動計算機であれば、『原形質』でどうにか建造できる。僅かに継承されたバベル以前の知識と、『破局』のさなか進歩した言語学、情報工学、暗号解読や弾道計算、情報通信網の効率的な運用方法を応用して。そしてそれを基に『本文』へ間断なく攻撃を加える。しかしその攻撃で効果を及ぼすためには、あまりに莫大な『原形質』が必要となる。軽く見積もっても欧州全域の『原形質』が必要だった。すなわち、ゴーレムのおかげで『破局』を乗り越えた僅かな主要都市が、砂に還ることになる」
博士の瞳が静かに閉ざされる。
「この計画が成功すれば楽園を取り戻すことができるだろう。けれど計算資源としてゴーレムを消費し続ければ、この街は確実に滅ぶ。楽園を取り戻す頃にはほんの一握りの人間しか生き残っていないだろう。下手をうてば、人間同士の争いで滅亡することさえ有り得る」
それは、もう一度『破局』を演じる事に他ならない。
「街を差し出し僅かな生き残りに希望を託すか、あるいは限界まで永らえて滅びを受け入れるか。我々は苦渋の決断を迫られていた。そんな時、君の家族に悲劇が襲いかかった」
数年前の大水害。
黒い濁流に呑まれた兄と、なぜか生き残る私。
「だが、それが解決の糸口となりえた」
解決の糸口?
……なんだそれは。
それはいったい、どういう意味だ。
なぜだろう。
今更、私の心に激情の火がともった。
こぶしを握りしめ、ガル博士を凝視する。
やがて、怒りをこらえることができなくなった。
立ち上がり、ただ感情のほとばしるまま叫ぶ私。
しかしそんな私を裏切るように、
「」
私の口は、何も言えなかったのだった。
…
厚い雲が垂れこめる空を、赤い光を明滅させゴーレムが泳ぐ。
あの時天頂から現れた巨大な海獣は、腹から海豚のように小さなゴーレム――それも無頭型の一種だ――を吐き出した。
それらは情報通信網を仲介する電子戦器。
宙を舞いながら無頭型の通信を支援する。
あんな形ものが空を飛べるのかと、私はぼんやり考える。
今、私は一人黒い廃墟をさまよっている。『大隊』の拠点を抜けだして。
もうどれだけ歩いただろう。
しかし私は、誰ともすれ違わなかった。
百塔の街にいた人々は皆、父と先生の企てを妨げぬようプラハ城に軟禁されている。
そして今、無人の街を頭の無い化け物が闊歩している。
街に残った主無きゴーレムを砕くため。
その土塊、すなわち『原型質』を集めてまわるため。
父とハレマイエル先生が推し進める計画――特大規模の自動計算機で『本文』をこじ開ける計画――には、莫大な『原形質』が必要となる。
本来、地球と分かちがたく結びついた『原形質』を扱うには精製が必要だ。
けれど、精製済みの『原形質』ならこの街に幾らでもある。
すなわち、ゴーレム。
父と先生は街を――ひいては欧州を――維持するゴーレム全てを犠牲にして、『本文』へと攻撃を仕掛けるつもりなのだ。
その代償は再びの『破局』。
ゴーレムが消えた大地は、ほんの僅かな人しか養えない。
父は今、あの空飛ぶ海獣――ウルティムスと呼称される巨大な自動計算機を成すゴーレム――の中で着々と計画を遂行している。
おそらく先生やマリウス、そしてヨゼフもそこにいるのだろう。
この街を我が物顔で闊歩する、あるいは飛行する無頭型に、切り札たるナーナの号令は届かない。
無頭型はその形も対話方法も、人型ゴーレムと大きく異なるのだ。
当然、『戒律の書』も別物だ。
その基幹部分に
加えて彼らは、言葉でやりとりする。
無頭型は人外の形状を持つ以上、どれだけ知性が成長しても人にはならない。
それゆえ言葉との接触を制限されず、独自の言語で情報通信網を張り巡らせ、自律することが許される。
彼らは主の手を煩わせることなく、『原形質』を回収し続けている。
あんな異形の化け物すら言葉を交わす。
たとえそれが、人間未満の機械的なやり取りだったとしても。
そして言葉を交わす同族がいる限り、彼らの寄る辺は揺るがない。
対する私は、言葉を発することも自身の寄る辺を確かめることも叶わない。
私の喉は、何ら損傷を受けていないにも関わらず黙ったまま。
それだけではない。
私の体は、もはや人間のものではなくなっていたのだ。
少し考えれば分かることだった。
私の体には、不審な点が幾つもあるのだから。
その不審の最たるものが、数年前の大水害からの生還。
兄を呑みこんだ黒い濁流は、なぜだか私を無傷で返した。
しかし、その発想が間違っていたのだ。
私は、無傷などではなかった。
そもそも、あんな土石流に巻き込まれて傷つかないわけがない。
私は濁流に体を引き裂かれ瀕死になったが、どういう理由からか、大河の土が私の体を修繕していたのだ。
欠けた肉を土で補い、ひとまず人の形にとどめてくれた。
つまり私は、体のいくらかが『原形質』で構成されている。
私の半分はゴーレムだったのだ。
思い当たる節はまだある。
例えば、事故の後体の成長が遅れたこと。
ゴーレムは、いや『原形質』は、本能的な性質として変形を忌避する。
可能な限り原型を維持しようとする。
私を庇い重傷を負ったヨゼフの体が、自然と回復したように。
対して人の成長とは、言うなれば変形だ。
『原形質』にとって肉体の成長は、仕様を損なう破損に等しいのだ。
それゆえ土は私の肉の成長を阻害した。
この華奢な手足は、低い背丈は、小さな胸は、全て土が私を押しとどめた結果。
そして、地下鉄での怪我。
あの時私は貝塚型に腹をえぐられ意識を失った。そして目覚めた時に感じた激痛、その痛みに釣り合わない外傷。
はじめは不自然に思ったが、残った腕を失ったヨゼフを見て、私はまた彼に助けられたのだと勝手に納得してしまった。
しかし、ヨゼフが腕を失ったのは私を庇ったからではなかった。
彼は私の腹の傷を埋めるため、その腕を犠牲にしたのだ。
私は貝塚型により致命傷を負い、その傷をヨゼフの『原形質』によって修繕された。
それが激痛の真相だ。
結局あの地下での行軍に、純粋な人間は一人もいなかったのだ。
子供の姿をした『話者』。
化け物としての本性を隠した『話者』。
そして、人でもゴーレムでもない半端ものの私。
あの時の貝塚型は土を求め、襲うべくして三人全てを襲っていたのだ。
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