7 - 2 完全言語
「『破局』より昔のはるか以前、この星には『本文』と呼ばれる巨大なシステムが存在した。それは、端的にいえば地球規模の記憶装置と自動計算機だ。世界中に根を張り枝を伸ばし、その末節に据えられた機械の目や耳で、文章、通信、機械、建築物、自然環境、物理的運動、この星のありとあらゆる出来事を記録していた。元は単なる情報通信網だったらしいけれど、やがて通信網自体が記録装置と融合し、莫大な計算資源として運用された」
カレルの持ってきた椅子に座ったまま、私は茫漠とガル博士の話を聞く。
「同時期に生まれたのが『
今の我々では的確に表現できない事象がたくさんあるんだ。
儚げな笑みと共に、ガル博士は語る。
「それは適切な入力に対し、物理的な構造、あるいは運動として、出力を返す。正しい手順で機械や生物の構造を伝えれば、『原形質』はなんでも象ることができる。すなわち、文字や記号の操作だけで物理的な実体を起こすことができた」
なんだか聞き覚えのあるものだ。
「『原形質』は小さな小さな機械でね。砂粒よりなお細かな体を持ち、群れとなって命令を受け取る。そして、活動を休止するとまるで」
土のように見える。
すなわち、ゴーレムを象る土こそ『原形質』。
「あらゆる知識を記録する書物と、あらゆる知識を体現する素材。これら二つの出現により、人は大きな変革を迎えた」
それはあまりにも大きな変革なのだろう。
記号のやり取りが、実体を持って立ち上がる。
たとえその奇跡の枝葉の末節たるゴーレムに触れていても、私はその技術の行き着く先を想像できない。
「やがてこの星は『原形質』と分かちがたく混ざり合い、『本文』がそれを統合した。そして人は『本文』を介して地球を思うがまま操れるようになった」
けれど、全てがうまくいくはずもない。
僅かに肩を落とし伏し目がちに語る博士。
「ここで大いなる災いが訪れた」
『本文』によって統括された地球。
それは、裏を返せば『本文』の許可なくこの星を操作できないことを意味する。
にも関わらず。
「人は『本文』との対話ができなくなってしまった」
人は全てと切り離され、この地の表に孤立する。
「それがどのような原因に因るのかは分からない。なんせ、その記録を読み取れないのだからね。今分かっているのは、その原因が彼らの言葉にあるらしい、ということだけだ」
かつての言葉が招いた災厄。
「当時の人は非常に高度な共通言語――
齟齬無き意志の疎通。私が望み、手に入らなかったもの。
それは幸せをもたらすのではないだろうか。
そんな疑問が顔に出ていたのだろう。
ガル博士は再び口を開く。
「かつての完全言語は無駄の無い洗練された言語だった。しかし、それを操るのは世界中の人々だ。多種多様な文化や民族が用いる場合、先鋭化した言語では表現力が不足する」
言語は話者に適した形で洗練されていく。
その共同体に相応しく語彙を増減させ、文法を適合させる。
しかし、地球規模の共同体でそれを実現するのは困難だ。
一つの言語に世界中の文化を内包させるには、膨大な語彙とそれに適した文法を組み立てる必要がある。
それが不可能であるがゆえに、かつてのエスペラントやヴォラピュクは挫折を味わったのだ。
そう。
世界は言葉から溢れ出すのだ。
「では、どうやって完全言語を成り立たせたのか。おそらく、人間を言語に適合させたんだろうね」
表現の限られた完全言語に合わせ、人の情動を制限したということだろうか。
「不完全な言語は多くの災厄を招く。けれど、その不完全さが人を進化させた。言葉の制約から時間や表現が限られるからこそ、有限な人は何かを伝えようと必死になる。言葉を育むだけじゃない。科学や文化を洗練し、人をさらなる高みに押し上げたんだ」
言葉にできないことを言葉にする。
そのために口を開き続ける。今際の時にも何かを伝えようとする。
人は、語らずにはいられないのだ。
「けれどもし、完全な意志の疎通が実現されたら」
私の望んだ世界。
幼い私が築こうとした、兄と二人だけの小さな世界。
「そこに進化の余地は有り得ない。互いが完全な理解を得たまま、ただその輪に閉じこもるだけだろうね。死も苦痛も遠ざかり、言葉と言う大樹を育むことは無くなってしまう」
けれど、私はその世界を否定できない。
「きっと、完全言語が人を変えてしまったんだ。ほぼ完璧な相互理解、齟齬と葛藤の無い意志疎通は、人を弱くした」
それゆえ、災厄に耐えられなかった。
「そうして災厄を経た人は、『本文』との対話を失った。そのせいで『本文』を介して生み出された構造物は崩れ去った。『原形質』に命令を与えるものはいなくなり、それは何物も象らない。『本文』と『原形質』による支援を前提とした社会は崩壊し、人は大きく衰退したそうだ」
カレルが口を開く。
「言葉は散乱し、科学技術は喪失された。ゆえに、この災厄をバベルと呼ぶ」
「人は混沌の歴史を再び一から歩むことになった。けれど、全てが無に帰したわけじゃない。僕たち人間だって、頭でものを記憶し口で伝えることはできる」
例えそれが不完全で、齟齬を含むものだとしても。
「人は衰退したが完全言語は僅かながら残された。それは『本文』との対話に用いる言葉でもある。かつての人々はその言語の切れ端を大切に受け継いできた。科学技術についても同様でね。今の技術で当時の全ては再現できないけれど、膨大な情報を扱う理論やノウハウは、後の発展や『
ゴーレムを象りかりそめの命を吹き込む奇跡の言葉。
十六進数で記される失われた言語。
「『その三文字』は知識を継承し独自に洗練していった。『原形質』は本来、『本文』の指示を受けて自己組織化する。人がこねあげたって動き出すわけじゃない。けれど、幾つかの手順を踏むことで、人が手で象った『原形質』でも機能を発現させられるようになった。それが、今につながるゴーレム創造の秘儀。陶工の手作業が生み出す精巧な人体、そこに施される奇跡の手順、そして体に刻まれる『
爛熟した科学技術の要請する手順は突拍子もなく、我々からすれば儀式にしか見えないのだろう。
『その三文字』は気が遠くなるほどの時間をかけて、それを探り当てた。
「『その名』とはすなわち図面の名前。『その三文字』は人型ゴーレムを生み出すために必要な『その名』の扱いに随分と習熟した。人型であれば物理的にも精神的にも、僕らと世界を共有できるからね」
ふう、と一息つき、博士は首を回した。もう僕も歳でね。はにかみながら私へ語りかける。
「人型ゴーレムに使われる『その名』は、何と発音したかな……」
カレルが答える。
「『ロボット』だ」
ロボット。
かつてこの国で、
再び私を見据え、博士は話を再開した。
「目覚めたゴーレムに基幹となる知性を授けるのは『本文』だ。まるで神の奇跡のように、泥人形へ言葉を吹き込む。しかしその知性は必要最低限のもので、人と共存するには追加の知識が必要となる。人間社会の要請する暗黙の規律と規範、常識的な尺度や限度を示す必要があった。それをゴーレムが読み取れる形で示したのが『戒律の書』」
人の言葉で書かれた、人とゴーレムを共存させる長大な辞書。
「もともとゴーレムは、導師がその業を修めた証に生み出すものだった。その後、創造法が安定してからは労働力としての運用が計画された。けれどゴーレムは人と同じ形を成し、人と同じ言葉を扱える。全ての個体がそうだという訳ではないけれど、彼らの知性は成長しいずれ人と等しい存在になってしまう。そうなれば、彼らを労働力として使い潰すことはできない。それゆえ彼らから人間性を剥奪すべく、『戒律の書』はゴーレムの発話や知性の萌芽を摘み取るように洗練されていった。口をきけない、是か非でしか返答できないといった制約は、すべて労働力としての使役を前提とした仕様だ」
『
ハレマイエル先生の言葉が蘇る。
「この制約を外せば、ある程度の確率で『話者』を生み出すことができる。つまり、『戒律の書』の不具合で制約をすり抜けた個体も『話者』になる可能性がある」
ハレマイエル先生の恐れたこと。
私は見るともなしにカレルを見る。
いつもの無表情のまま、彼は列柱の森を見上げていた。
「『その三文字』は、ゴーレムを人類の進歩に役立てようとした。しかしそれはあまりに不完全で曖昧な技術だ。制御もままならず、それでいて強い力を持つ。結局『その三文字』は『破局』を迎えるまでこの技術を秘匿した」
伝説として伝わる中世のゴーレムはこういった試行錯誤の中生み出され、僅かながら歴史の表舞台に姿を現したものたちだったのだろう。
そして、彼らの歪さと危うさを教訓として残した。
文献によって創造法や運用の仕組みが異なるのは、それぞれが独自の研鑽を重ねた技術体系を持っていたからかもしれない。
「近代にはいると、人は大きな変革を迎えた。すなわち前世紀の産業革命だ。かつての文明を取り戻す足掛かりとなる大きな変革。けれどこの頃から、地球の雲行きが怪しくなっていった。各地の工業化に連動して疫病や天災が多発し、砂漠化や土壌の汚染が進行した。確かに、急激な工業化は地球を痛めつけた。けれどこの異常な環境劣化は、それだけで説明することはできない。その時、『その三文字』は気づいたんだ」
これは、『本文』の暴走だと。
「『本文』は人と途絶してから長い時間が経っている。適切な対話を欠いた『本文』は言葉を正しく操れなくなったらしい。声の出し方を忘れたこと。それが暴走の一因だ」
語りたい事が沢山あるというのに、『本文』は沈黙を強いられているのだ。
「言葉も生き物だからね。接ぎ木や枝分かれで、どんどん変化していく」
樹木と同じように、人による適切な剪定が必要なんだ。ガル博士が付け足した。
人の手を離れたまま、あまりにも長い時間自律し続けた『本文』は、何らかの機能不全を引き起こしている。
そして、地球環境の制御を大きく誤った。
「もしかしたら、環境の劣化は意図的なものかもしれない」
あくまで可能性の一つだ。ガル博士は前置きをした。
「人は死ねば土に還る。『原形質』に覆われたこの星は、死者となり土へ還った人から多くの言葉を知覚する。その記憶をコードとして記録し、読みとれずとも収集することができる。つまり言葉を集めるために、『破局』を起こしたのかもしれない」
口を塞がれた『本文』は、言葉に飢えているのだ。
ゆえに読めもしない言葉を集め続けている。多くの人命を犠牲にしながら。
「各地で天災が相次ぎ疫病が蔓延した。人が住める土地は減り、結果として『破局』が訪れた。人は自らの生存を賭け二度の大戦を戦い、ようやく築き上げた文明を衰退させてしまった。もう手段を選ぶ余裕はない。今まで秘密結社として歴史に干渉しなかった『その三文字』が、ゴーレムという秘儀を用いて滅亡を食い止めた」
今まで伝説やオカルトとして語られていた泥人形たちは、こうして百塔の街に顕現したのだった。
「『破局』による崩壊を逃れ文明を維持できているのは、欧州ではこの街を含む僅かな都市だけだ。おそらく別の大陸も似たようなものだろうね。この百塔の街は、人類に残された僅かな楽園の一つ。そして、未だに『本文』は暴走を続けている」
あの時城で見た先生の焦りと怒り。
その根幹を成すのは『本文』の暴走だったのだ。
「今、『本文』はいくらか安定している。しかし猶予はない。『本文』暴走の影響は、現在この街を支えるゴーレムにも現れている。近年多発する暴走という形で」
『本文』がゴーレムに授ける知性が、徐々に不安定になっている。
このままいけばゴーレムは、『戒律の書』が翻訳する言葉さえ受け取れなくなるだろう。
博士が眉根を寄せながら言った。
「その上、残された人の数も徐々に減っている。どの都市でも少子高齢化が進行し、次の世代が生まれない。どうも、この楽園は人の姿を歪めているらしい。人のまがい物と閉じこもる僕らと、枝別れを失う言葉。僕たちは外へ出て多様性を確保しなければならないのかもしれない。文化的にも言語的にも」
『楽園の人間は無垢ゆえ殖え方を知らない』
虚ろな瞳で父が語った言葉。
「人に残された時間は少ない。『破局』では滅びを免れたが、またいつ『本文』が牙をむくのか分からない。だから僕たちは『本文』との対話を復活させ、世界をあるべき姿に戻す必要がある」
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