6 奇問の対価

6 - 1 城

 かつてこの街を興した巫女リブシェが建造を予言し、数々の王が座したプラハ城。

 時には支配の象徴として、時には民族の誇りとして、百塔の街を見守り続けた麗しの城。


 丘の上のその敷地には、宮殿や聖堂――ひときわ威容を放つヴィート大聖堂――や教会、黄金横丁と称される神秘の小路が広がっている。

 朝、私たちはその城を目指して工房を発った。


 朝日を金色に弾くヴルタヴァ河を越え、新市街から対岸に。

 その瀟洒な街並みを北へ抜けた私たちは、丘にある城下町の坂を登っている。

 後少しでその頂上、すなわち城の正門へたどり着く。

 私の手を引くヨゼフ。その顔は晴れやかで、体は芳醇な土の香りをまとっている。


 きっと私も、穏やかな顔をしているだろう。

 修繕されたヨゼフとの対話、ファブリ師匠との問答。どちらも私に勇気を与えてくれた。


 彼らは私を諭した。

 ゴーレムは語ることが出来る。そして、人と同じように語ることを恐れもする。

 きっと、人とゴーレムに大した違いはないのだ。


 ゴーレムは、ほんの少しだけ不器用なだけ。

 そう考えると、一層ヨゼフが愛しくなった。


 そして父。

 私は始め、父の真意を疑った。一体何のために、ヨゼフを私へ遣わせたのか。

 ヨゼフに心惹かれていても、その疑念だけは晴れなかった。


 けれど今、醜い猜疑心はほとんどない。

 現にヨゼフは私を守り続けたのだ。

 父が命じた「ヘレナを守れ」という命令を遵守し、ひたすらに戦い続けた。


 今日の再会が晴れやかなものになるかはわからない。

 けれど、きっとつらい結末にはならないはずだ。なぜだかそう確信できる。


 丘を登りきり、フラチャヌィ広場にたどり着く私たち。

 石畳の上で立ち止まり後ろを振り返る。

 赤い屋根と幾つもの尖塔の隙間から見え隠れする、ヴルタヴァの奔流。


 正面に目を戻すと城門が見える。

 城の持つ威容とは裏腹に、こじんまりとした城門。

 戦う巨人を象った力強い彫像を戴き、そのたもとでは衛兵型ゴーレムが直立不動で門番をしている。

 さめた色の儀礼服をまとい、ゴーレムには珍しく引き締まった顔の門番。

 その衛兵型ゴーレムには最新版の『戒律の書セーフェル・ミツヴォート』が刷り込まれ、滑らかな動きで人々を驚かせる。


「やっぱり、何かの番をしているゴーレムは様になるな」

 マリウスがつぶやく。

 ゴーレムは守護者として造られたわけではない。

 伝承では、知識を極めた導師がその業を確かめるために生み出す、ある種の力試しなのだ。にもかかわらず、ゴーレムは施設や財宝を守るというイメージを持つ人が多い。


「もう少しで門番ゴーレムの交代式が見られるんだが、あんまりもたもたしてられん」

 先を行くマリウスが残念そうに言ったが、その顔は心底どうでもいいという表情だった。

 まあ、それはそうだろう。なんせ私の隣を歩くヨゼフの方が、よほど驚愕に値するのだから。

 マリウスの顔からそれを読み取ったのか、今まで笑顔だったヨゼフが何やら複雑な顔をした。


 そう。

 確かにもたもたしている暇はないのだ。

 数日前のヨゼフ暴走を契機に『大隊』は表立って動き始めたらしい。しかしその目的は不明なまま。


 呼応するかのように『その三文字』も戦備を整え始めた。まさか『破局』当時のような市街戦を演じるつもりはないだろうが、あまり楽観してはいられない。


 城門の向こうで軍装をまとい整列するゴーレムが、ちらちらと見えた。

 マリウスに続き城門をくぐる。

 一つ目の小さな中庭を埋め尽くす『その三文字』の兵士たち。すなわち泥人形の兵隊。そのほとんどは衛兵型ゴーレムで、基本的には人を傷つけられない。あくまで人を守護するだけ。

 対する『大隊』は独自に改良した猟兵型ゴーレムを所有しており、質の優位は圧倒的だ。


 一つ目の中庭を歩きながらマリウスが言った。

「レーヴ教授はまだ着いてないそうだ。奥で待とう」


 宮殿の一部を成す門をくぐると二つ目の中庭に出た。

 左手には噴水。

 その周りには如何にもインテリといった顔立ちの大人たち――その多くは老人だ――が不安げな顔つきのままたむろしている。

 政治や学問に明け暮れ、この街のために働く政治家、学者、技術者たち。『その三文字』の導師たちは、『破局』を繰り返さぬようにと全てを注ぎこの街を守ってきた。


「コペンハーゲン学派だかウィーン学団だか知らんが、『破局』を生き延びた数少ない学者さまはここで研究を続けている」

 不安に色めき立つ彼らを見て、ヨゼフも表情を引き締めた。


 先を行くマリウスが促す。

 中庭を分断する宮殿の一部を潜り、三つ目の中庭に入る。


 左手には二つの尖塔をもつヴィート大聖堂。

 その右手、中庭へ突き出た旧王宮を眺めるマリウス。

「今日は、役人は降ってこないみたいだな」

 曇り時々役人、なんてことはないか。場を和ませるためだろうか、彼はそんなことを口走った。

 中世において、長きにわたる宗教戦争の発端となった二度の窓外放擲事件。二度目にその舞台となったのが、この旧王宮だ。

 カトリックの横暴に耐えかねたプロテスタントは、役人とその秘書官を窓の外へ放り出し大怪我を負わせたのだ。

 ただ、役人が放り出されたのは城の外側。この中庭ではない。


 ヨゼフはきょとんとしている。私はじっとりとマリウスを見詰める。

「こっちだ」

 マリウスは左に曲がり、大聖堂の正面へと私たちを先導した。

 元々はロマネスク様式のロトンダ式聖堂として建てられたヴィート大聖堂。

 後にカレル四世がゴシック様式に建て替え、その大がかりな改築は今世紀まで続いていた。

 その大聖堂の中へ足を踏み入れる私たち。


 厳かな空気。

 中には石造りの柱が林立している。

 私はその柱を見上げる。

 網目状のヴォールト天井が目に入った。

 柱の先端は天井付近で枝分かれし、優雅なアーチを描き互いに依り合わさっている。


 それは森林の樹木を連想させ、鮮やかなグラデーションのステンドグラス――聖人キュリロスとメトディオスの生涯をムハミュシャが描いたもの――から差し込む光は、石造りの森に神秘的な色彩を与える。


 その木立の奥に、一つの人影が見えた。


 私と同じように枝分かれへと目を凝らす。

 しばらくすると足音に気付いたのだろう。

 逆光の中こちらを向き口を開いた。


「如何に秀才とはいえ、授業をサボってはいかんぞ」

 赤ぶち眼鏡の老紳士。

「三日ぶりだな。ヘレナ君」

 その人影は、ハレマイエル先生だった。

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