6 - 2 審問

 旧王宮の脇から地下へ降りる。

 その通路は狭く長く、多くの枝分かれを持つ。

 『破局』の以前、近代を迎えたこの城は軍事拠点としての能力を失っていた。その地下空間も避難所程度の能力しか持っていなかったため、『破局』のさなか地下要塞として改修が施された。


 通路に配置された厳めしい姿の衛兵型ゴーレムを横目に、ハレマイエル先生は語る。


「あれは私の髪が白くなる前の話だ。まだ『その三文字』がいかがわしい秘密結社にすぎなかった当時、この国はようやく欧州各国に認知され始めた」

 私とヨゼフとマリウス、そしてお供の衛兵型ゴーレムを従え通路を歩くハレマイエル先生。懐かしそうに語る。


「それからしばらくすると『破局』が訪れた。まだこの地域が国として機能していた当時、国中から重要な文化財や芸術作品がここに集積された。我らの文化を守り伝えるため。この国の歩んだ道のりは、受難の連続であると同時に克服の歴史でもあった。それゆえ、我々の世代は自国に対する思い入れが強い。今となっては懐かしい話だ」


 オーストリア=ハンガリー二重帝国からの独立をどれほど喜んだことか。先生にしては珍しく年齢を感じさせる発言。

 先生が好奇心ではなく郷愁から何かを語る所を、私は初めて見た。


「しかし今は民族主義など掲げている場合ではない。生き残った人々をかき集めてなお人は足りず、髪や肌の色の違いを議論する余裕はない。束の間の安寧が訪れてはいるが、各々が社会を回さなければ、この街は簡単に滅んでしまう」


 この歪な楽園を維持するためには、人と人が――あまつさえゴーレムとも――協力し合わなければならない。


「幸い、今ほど同族意識を強く抱く時代はない。信仰もある程度統一された。今は人種や民族の違いより、まず人か否かが問われる」

 そう言って先生はちらりとゴーレムたちを見た。


 同族。人間。

 しかし人の形はお前たちの特権ではないのだと、泥人形は黙して語る。


「今、私たちはどこに向かっているのですか……?」


「書庫だ」

 マリウスが答えた。


 城の地下に根を張る広大な書庫、そこにはゴーレムに関する大量の書物――『その三文字』を創設した導師アルクイストが残したとされる『創造の書セーフェル・イェツィーラー』、『光輝の書セーフェル・ハ・ゾーハル』、『光明の書セーフェル・ハ・バヒール』といった、未だに解読を受け付けない書物――や旧版の『戒律の書』が眠っているらしい。


 続いて先生が答える。

「プリムスに刷り込まれた『戒律の書』が、いつの版を元にしているのか確かめる必要がある。レーヴ君に先んじて最低限の情報をそろえておかなければな。その……禁忌への足がかりを」


 ハレマイエル先生が口にした「プリムス」という名前、それは父がヨゼフに与えた本当の名だった。

 しかし、ヨゼフがその名に示す反応は薄い。私やマリウスが呼ぶ「ヨゼフ」という名前の方がなじんでいるのだろうか。

 私は少しだけ優越感に浸る。


「先生はヨゼフのことを知っていたのですか?」

「存在自体は知っていた。しかしまさか喋るとは。いや、そもそも起動していることさえ知らなかった。私の知る限り、プリムスは封印されたままだった」

 先生の顔に憂いが差す。


「あの大水害の後、レーヴ君はこの町一番の陶工に息子そっくりのゴーレムを作らせた。それがプリムスだ」

 躊躇い、言い淀み、先生はどうにか言葉を紡ぐ。

「あの時、レーヴ君が何をするつもりだったのかは分からん。私にさえ話してくれなかったからな。だが、どこかで気付いたのだろう。これから行おうとすることに意味はないと。結局、レーヴ君はプリムスを封印した。プリムスはかりそめの命を吹き込まれることなく、永遠の眠りについた」


 そう語る先生の横顔には、教育者としての快活さも、研究者としての明晰さも、感じられない。

 ただ疲れた老人の面差しがあるだけだ。

 孫のような子供を失い、教え子が道を踏みはずした。

 『破局』を生き延びてなお、先生の人生は苦難に満ちているのだろう。


 ……兄の死。

 それは私にとっても辛い話題だ。

 おそらく、ヨゼフにも。


 ふいに、ヨゼフが後ろから私を抱き締めた。いつもの素振りとは少し違う。

 私を気づかうのではなく、何かにすがるような手つき。

 私は薄い胸に当てられた手のひらを、優しく握り返す。

 もうすぐ父と再会するのだ。気を引き締めなければ。


「この街一番の陶工とはファブリ師匠のことですよね?」

 そうだ、とうなずく先生。

「ハレマイエル先生とファブリ師匠は昔馴染みだ」

 マリウスが補足する。

「腐れ縁だがね」

 旧友の名を出され気を取り直したのだろう。先生は不敵に答えた。


 ということは、ファブリ師匠はヨゼフの生みの親の一人になる。

 師匠はヨゼフの造形にずいぶん執心していたが、そういう事だったのか……。

 ヨゼフも意外そうな顔をしている。


「ファブリが『その三文字』を抜けたのもあの水害の頃だ。奴は、理屈をこねるより土をこねる方が良い、などととうそぶいていたよ」

 もう『その三文字』に属している昔馴染みはいなくなってしまった。ガルもファブリも隠居の身だ。小さな声でつぶやく先生をよそに、私の思考はヨゼフへ、『話者』へと沈みこむ。


 理屈をこねるより土をこねる方が良い。

 そんな師匠のこねた理屈は、ゴーレムも言葉を理解できるという結論に至った。いくらか歪ではあるが、それは塔の囚人たるゴーレムのまやかしを看破し、無限が持つ不可能性さえ突き崩せるものだった。


 そして何より、ヨゼフという疑う余地の無い反証。


 ヨゼフはまだ先生の前で口を開いていない。しかし先生はヨゼフの発話をすんなりと信じ、こうして追及のために地下通路を進んでいる。

 碩学たる先生には、何か思い当たる節があったのだろう。


 師匠の反論とヨゼフという反証。

 ハレマイエル先生は、この論理をどう考えるのだろう。

「……ファブリ師匠は、ゴーレムも言葉の意味を理解できる、と言っていました」

 それゆえ口をきくこともできると。


「ほう」

 マリウスが面白そうに振り返る。

 私は少し間を置き、頭の中を整理する。

 そして静かに口を開く。


「言葉は事象と結び付いた時、初めて意味を持ちます。けれどあの塔では、私の受け取る言葉は事象と巧妙に切り離されています。だから意味は生まれない。生まれないのなら理解もできない……」

 先生は何も言わず、ただ黙々と歩みを進める。


「けれど、現実にこんな監獄はありません。あの塔の例えは、言葉と意味を結びつける体という存在を無視したまま、展開されています」

 やはり先生は黙したまま。


「つまりあの塔の監獄は、ゴーレムの思考や知性を正しく表現できていないはずです。それゆえ、ゴーレムが言葉の意味を理解できない証明にはならない……」


 私は言葉を紡ぐ。

「ゴーレムは人と等しく体を持ち、記号と事象に触れることができます。記号と事象がどう結びつくのか、それはまだ分かりません。けれど、ゴーレムも、いつかその二つを結びつけることができるはずです。たとえ不完全だとしても」


「なら、無限の世界をどう書き下したんだ?」

 マリウスの問い。

「世界が生み出す無限の事象、すなわち無限の条件文を、どうやってゴーレムに刷り込んだ?」


 私は自ら思い至った仮説を述べる。

「ヨゼフに刷り込まれた『戒律の書』はきっと、無限を有限に落とし込んでいるわけではありません。世界が生み出す無限の条件文、それらを書き下し書物として完成させるなら、無限の文章が必要でしょう。けれど『戒律の書』が始めから完成している必要などなかったのです。無限を記すなら、無限に追記していけばいい。『戒律の書』を刷り込まれた後でも、ヨゼフ自身が『戒律の書』に書き足せばいいんです。人と同じように。言葉の意味が分かるなら、それが可能です」


「数ある反論の中から、よりにもよってそれを選ぶとは」


 今まで黙っていた先生が小さくつぶやき、ため息をついた。


「君は、大事な前提を一つ見落としているぞ」


 私から目を逸らしたまま、先生は赤ぶちの眼鏡を押し上げる。


「……ヘレナ君。君は言葉が事象と結び付いた時、意味が生まれると言ったな。そしてその根底にあるのは、言葉だけでは意味を生み出せないという論理だ。確かに統語論的操作は意味を創出しない。だが、いま一度思い出してほしい。この世界を、誰が、何で、創ったのかを」


 誰が、何で。



 まさか。


「言葉と事象が結び付き意味が生まれる? 違うな」


 そうだ、私の理論は。



 信仰を否定する。


「学校の授業で教えたはずだぞ、ヘレナ君」

 ぞっとするほど冷たい声で、ハレマイエル先生が言った。

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