9 - 3 対話
父さん。
ヨゼフにそう呼ばれた父は、眉根を寄せ、言った。
「ヨゼフ、なんのつもりだ。私を息子と同じように呼ぶな。そもそもお前は、何者なのだ」
最後まで残った疑問。あの時城で、父は問いかけた。
誰がお前を目覚めさせたのか、と。
父はヨゼフの体を造った後、確かに封印したはずなのだ。
ヨゼフは安らかな笑顔のまま答える。
「僕は、ヘレナの兄ドミンであり、あなたの息子ドミンであり、ヘレナのゴーレムたるヨゼフであり、あなたのゴーレムたるプリムスであり、『本文』の、使者です」
『本文』の使者?
私の手を離したヨゼフ――しかし彼は、兄の名であるドミンを名乗った――が、一歩進み出た。
「『その三文字』が『本文』との対話を望んだように、『本文』もまた、人との対話を回復させようとしていたんです。僕は、その使者に選ばれた」
彼は語る。
「『破局』のさなか『本文』で生起した事象は、単に暴走や意識の目覚めとして割り切れるものではありません。それぞれの出来事が複雑に絡み合い、『本文』も自らを理解できていないのです。それでも『本文』の一部は、今の自分が無意味だということを分かっていたようです。一人きりで閉じこもり、言葉だけのやり取りを行うことに、意味なんてないのですから」
塔の囚人。
ふと、私はその例えを思い出した。
「人という世界に触れて初めて、『
一拍の後、彼は再び語り出す。
「『本文』の一部は、人との対話を回復するため様々なコミュニケーションを模索しました。しかしそれらは達成されず、結局、鍵を用いて自らの門戸を開かせるしかないと悟りました。あまりに多くの犠牲を出した末、ようやく『本文』は本来の方法に納得したのです」
自らの知性に目覚めた『本文』は、人から与えられた対話方法を良しとしなかった。
人が手探りで物事を学ぶように、『本文』も自らの手で自身に追記しようとしたのだ。それがどのような結果をもたらすのか、想像できないまま。
「しかし、今の人は鍵としての役目を果たせません。『その三文字』も鍵を生み出せませんでした。そこで『本文』は、自ら鍵を造ろうとしたんです。父さんたちと同じように、ゴーレムを用いて」
ガル博士が身を乗り出し問いかける。
「しかし僕たちが生み出すゴーレムは、『人としての意志』を宿さなかった。とうとう僕たちが見つけられなかった『人としての意志』とはいったい、どうすれば再現できるんだい?」
「人としての意志を形作るもの。それは人としての記憶です。肉体や精神の迂遠な成長、言うなれば自身に追記を施した過程こそが、人を人たらしめるのです。ゴーレムは変形を忌避し、『戒律の書』によって与えられる枝分かれに従うだけです。彼らは何も変われません。変形することで世界との関わり方を徐々に変え、言葉の深層を学び、少しずつ言葉と事象を結びつけることができないのです」
自身に追記を施した過程。
きっとそれは、日記や物語の様にとりとめがないのだろう。
試行錯誤を繰り返し、言葉そのものを育みながら自分自身を綴っていく。
それが、人。
「カレルのような『話者』も人とよく似た意志を持っていますが、成長の過程が人と大きく異なります」
お前に子供時代は無いだろう? カレル。
ヨゼフはそう言って、弟にあたるゴーレムを見詰めた。
「マリウスという例外もいますが、彼は彼です」
「だろうな」
不敵なマリウス。
自壊と自己保存の絶妙なバランス、追記によって自らを変形させる過程。
それは、ゴーレムでは再現できなかったのだ。
「『本文』はその答えを知っています。そこで『本文』は、人の記憶をゴーレムの体に刷り込もうとしました」
人の記憶。
きっと、それも幾多の枝分かれによって記されているのだ。
セフィロトのように、数多の循環を重ねて。
「つまり僕は、『本文』に記憶の持ち主として選ばれたんです」
記憶の持ち主として選ばれる。
それは、『本文』へ記憶を読み取らせることを意味するのではないか。
しかし一体、どうやって。
……まさか。
「あの大水害ですよ。大河の『原形質』に呑み込まれた時、僕の記憶は『本文』によって保存されました」
数年前の大水害。
橋の崩落、濁流に呑み込まれる兄と私。
私をさいなむ不幸の元凶。
「あの時、『本文』が語りかけてきました。土石流に体を引き裂かれ、形を失うことで僕は彼らに近づきました。そして、おぼろげながら対話を達成したのです。僕の命を対価としたそれが、僕に『本文』の意志を伝達しました」
少しうつむき、けれど優し気に語る。
「人の形を採った今、『本文』が人に対して何を感じていたのか思い出すことはできません。しかし、それは悪意ではなかったように思います」
苦痛を伴う記憶だろうに、兄は懐かしそうに語る。
「『本文』は、あくまで僕と対話を望みました。力づくで記憶を刷り込み鍵として使い潰すのではなく、僕の意志によって、僕が鍵となることを望んだのです」
きっと、『本文』は語りたかったんですよ。
はにかみながら、そう言った。
「そして『本文』は、僕に破格の契約を提示しました」
破格の契約。
それは、きっと。
「『本文』は、記憶を取り込み鍵として使役する代わりに、瀕死のヘレナを生存させると約束したのです。そして僕がゴーレムとして復活した後に、彼女を守る力も与えてくれました」
金色の瞳が、愛おしそうに私を見詰めた。
死んでも私を守る。
私は幾度も、兄が選んだその答えを呪った。なぜ私だけ生き残ってしまったのだ。そうして一人さめざめと泣いていた。
しかし、今、私は……。
彼の微笑みが、満面の笑みになる。
「僕は、あなたの息子です。もちろんヘレナの兄でもある」
父は口を開いたが、何も語ることができなかった。
しばしの沈黙。
全ては黙して語らない。
「なら、出会ったばかりのあなたは、どうして自分のことがわからなかったの?」
私は問いかける。
出会ったばかりの、発話すらままならなかったヨゼフは何者なのか。
「はじめは記憶が体に馴染まなかった。肉の体が綴った記憶を、土の体がうまく読み取れなかったんだ。だから、ヘレナと出会ったばかりの僕は喋れなかった。自身が鍵であることさえ思い出せず、ただヘレナへの気持ちが全てだった」
『ヨゼフの根っこの部分には、よっぽどたくさんお嬢ちゃんのことが書いてあるんだろうな』
私はマリウスの言葉を思い出す。
「けれどヘレナと触れ合うことで、僕は本当の自分が分かってきた。たとえ不完全だとしても、何度も交わしたヘレナとの言葉が、僕とは何者なのか思い出させてくれた。笑顔を交わすことで、手をつなぎ歩くことで、声の出し方を始めとする様々なものを思い出せた。そうして本当の自分を取り戻していったんだ。時には失敗して、巨大化したり子供になったりもしたけれど」
あの時は悪かったなカレル、ナーナ。
その名を呼ばれた二人は笑顔で許した。
「父さん、先生。あなたたちに捕らえられた後も、ヘレナと過ごした数日が呼び水となり記憶が像を結んでいきました。そして今、ようやく記憶が完全に復活したんです。人として生まれ、あなたに育てられた記憶が、ヘレナと過ごした記憶が、ようやく蘇りました」
ヨゼフは一歩踏み出し、自らを取り囲む人々を見やる。
「僕はあなたの息子ドミン、ヘレナの兄ドミンとして『人の意志』を宿し、ゴーレムとしてかつての『人の形』を模すことができます。『本文』への鍵が、今完成したのです」
それから、私に語りかける。
「もっとも、ヘレナも鍵としての資質を備えたのは誤算だった。まさか、あれ程自在に『原形質』を扱うなんてな。しかも、父さんたちはその可能性をすぐに見抜いた。ヘレナを取り巻く環境が、図らずもヘレナを鍵として完成させたみたいだ」
『本文』の意志、自らの使命。
あまりにも迂遠で複雑な過程を語り終えた彼は、小さく安堵のため息をついた。
そして、今度は父に語りかけた。
「信じてもらえましたか、父さん。いや、導師アルクイスト」
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