9 語りし者はさいわいなり

9 - 1 マリウス

 赤みがかった照明の中、『大隊』のゴーレムを引き連れ進軍する。

 その床や天井は『大隊』の本拠地と良く似た造りになっており、継ぎ目もうねりもなく、均一に伸びている。


 ここはウルティムスの器内。

 あの空飛ぶ海獣のはらわたの中だ。


 私たちは掌握した通信網で郊外に向かった輸送器を呼び戻し、『大隊』の精鋭ゴーレムを率いてウルティムスに突入したのだ。

 私とナーナ、ガル博士を除く人間の兵士は、地上で支援に当たっている。


 私たちはウルティムスの中枢を目指してひた走る。

 機能不全を患うブスマンの代わりに、ウルティムスを扉として、私は『本文』と繋がろうとしている。


 外敵の侵入を想定していなかったのだろう。どの通路も警備はまばらで、先頭を躍進するカレルには歯が立たない。


「ヘレナ、無理しちゃだめだよ」

 私の手を引くナーナが振り向き告げる。

 まるで乳母のように私を気づかう。


 私の体はどうにか治ったが、それでもかさは目減りした。

 ナーナとの身長の差は一層大きくなり、息も上がりやすくなった。

 そして、少しだけ舌足らずになってしまった。


「だいじょうぶ。私より、ガル博士をしんぱいしてあげて」

 私の後ろ、足を生やした車椅子に乗ったガル博士がゆっくりとついてくる。


「僕は問題ないよ。何かあれば、ブスマンが守ってくれる」

 博士の声を聞き車椅子がランプを光らせる。これはブスマンを構成する端末の一つらしい。


 向かう先に通路の結節点が見える。

 幾つかの道が束ねられた広い空間。

 広間に躍り出る刹那、


「退け!」


 カレルの怒号。

 前を行く何体かのゴーレムが宙を舞う。

 別の通路から飛び出した無頭型が、鞭のような腕でゴーレムをなぎ払う。


 周囲に溶け込むカレルの姿。

 禁令の一つである不可視化を実行し、視覚による索敵を逃れ接近する。

 手にした戦斧をうならせ、無頭型の隆々たる肢を斬り飛ばす。


 すかさず追撃する戦闘用ゴーレムたち。

 ナーナが良く通る声で指示を出す。

 あの人外の早口で一体一体の挙動を微調整し、相互の連携を円滑にする。


 数体の無頭型を屠り、ようやくその場が鎮まった。

 カレルの息は上がっているが、かつての路地で戦った時よりも表情に余裕がある。

 私が部屋に閉じこもっている間に力を取り戻したらしい。

 未だに彼は無傷で先陣を切り続ける。


 しかし他のゴーレムはそういう訳にもいかず、損耗は激しい。

 ナーナの支援があってなお、無頭型は強大だ。


「腕のいい陶工でもいればいいんだがな」

 ゴーレムに応急処置を施す手を止め、カレルがぼそりとつぶやいた。

 断ち切られた手足を継ぎ、原型を維持させるのは素人の手に余る。

 自己組織化によりある程度修繕されるとはいえ、大きく原型を損なった個体は簡単に回復しない。


 そんな中、別の通路からかつかつと靴音が聞こえた。


 一瞬で臨戦態勢をとる泥人形の軍勢。

「随分やかましいと思ったが、お前らだったのか」


 不機嫌そうに眉根を寄せたしかめ面。

 工房の主、ファブリ師匠。


「ファブリ、どうして君がここに?」

「お前、ガルか? 随分老けたな」


 かつて『その三文字』を辞した導師たち。

 久々の再会は笑顔で、という訳にもいかないらしい。

 ちらりと私を見やり一層不機嫌そうな顔になる。


「結局、お前はお前のやり方を変えないのか。ガル」

「全てを投げ出し流れに身を任せられるほど、僕は人間ができていないからね」


 かつて二人は、父と先生の計画に反対した。

 しかし、同じ意見を持っていたわけでもないらしい。

 ファブリ師匠はガル博士の考えにも賛同していない。

 ブスマンのランプが明滅したが、目の端でとらえただけのそれが、何を意味するのか読み取ることはできなかった。


「ファブリ師匠、あなたも父レーヴの側に……?」

 私は問いかける。

「いや、俺は連中にしょっ引かれてここにいるだけだ。どさくさにまぎれて牢を抜けた」


「ねえ、それならゴーレム治すの手伝って!」

 渡りに船とばかりにナーナが言う。

 ナーナはその快活さをもって事態を好転させようとする。


「はあ? なぜそうなる」

 おそらくは当然の反応。もともと気難しく、争いを避けて隠居していたファブリ師匠が同意するとは思えない。

 彼はどちらにも与していないのだ。


 しかし。


「『その三文字』のヨゼフは直したのに、カレルや『大隊』のゴーレムは治さないなんて不公平だよ!」

 狐につままれたような顔をする師匠。


「それに、師匠が中途半端なことを吹き込んだから、ヘレナがいろいろしでかしたんだよ!」

 彼女は容赦がない。師匠にも私にも。


 確かに城での事態は、師匠の説明が充分なら避けられたかもしれない。

 ゴーレムも言葉を喋れる。その結論が招く信仰の破綻を指摘されていれば、私は先生と仲違しなかったはずだ。

 そのことを、うっかりナーナに話したのが裏目に出てしまった。


 師匠は一瞬、怒りの表情を湛え顔が真っ赤になる。

 しかしどうにかこらえ、

「これきりだからな、バールシェム」

 彼女の名を呼び了承した。


 案外彼は子供に――あるいは少女に――弱いのかもしれない。

 ナーナが小さく舌を出してこちらに顔を向けた。


「ちゃんとしつけろ」

 ガル博士とカレルに毒づいたのち、ファブリ師匠はゴーレムの修繕にとりかかった。



   …



 私たちは通路を進み続ける。数多の無頭型をなぎ倒し、通路の枝分かれを遡っていく。もう随分と基幹部に近づいたようだ。


 眼前の結節点には巨大な扉が立ち塞がっている。

 扉に刻まれるのは大樹の意匠。

 その幹の樹形図セフィロトを瞬かせ、静かに私たちを見下ろす。


 どうこじ開けるべきか。

 しかし私たちの逡巡をよそに、扉は自らその門戸を開いた。


 戸惑いながらも奥へ進む私たち。

 そこは円形の広大な部屋だった。


 そして。


 その中心に佇むのは。


「お偉いさんが勢ぞろいだな」

 よお、と手を挙げどこか楽しげなマリウス。


「マリウス!」

 カレルが戦斧を構える。

 ナーナの静かな号令が、ゴーレムたちを奮い立たせる。


「随分威勢がいいが、俺を倒せるのか? 前みたいに可哀想なゴーレムをぶつけるだけ、なんてことはないよな?」

 あの底知れぬ笑みのまま、マリウスは楽しげに語る。


 『その三文字』最強のゴーレム、マリウス。


 なぜだか人型の制約なく稼働し続ける、不定形の化け物。

 圧倒的な質量で全てを呑み込む黒い濁流。


 物理的に彼を封じ込める方法は、まだない。


「いくぞ」

 一層凄惨さを増した笑顔で、マリウスは言った。



   …



 炸裂音。

 カレルの放った擲弾が弾け、泥の飛沫が跳ね上がる。


 一時的に勢いを失う泥塊。しかしすぐに飛沫を取り込み回復する。手当たり次第に全てを呑み込む黒い濁流。


 すでにナーナが操るゴーレムは半分以上が呑み込まれた。カレルは火器を駆使して体積を削り取るが、すぐに振り出しに戻ってしまう。


 カレルが大きく跳躍する。

 砂埃が舞い上がる。

 マリウスを構成する末端は幾度か斬撃や爆撃を浴びせられ、力を失い砂となっている。

 しかしマリウスの質量は莫大だ。

 総体には何ら影響を与えない。

 僅かに与えた損傷も、ゴーレムを呑み込めば回復してしまう。


「マリウス、なぜお前は形を変えられる!? 身体の変形が意識を変質させないのはなぜだ!!」

 カレルが吠える。


 そう。

 彼の在り方は異常なのだ。


 言葉は体に依存する。


 体の変形は言葉の定義を歪め、やがて意識を構成する樹形図を機能不全に陥れる。

 彼は本来、かつてのヨゼフや貝塚型のように暴走するはずなのだ。


「『戒律の書セーフェル・ミツヴォート』が壊れても残った言葉にならない意志。そいつが俺を規定する。例え体が変形しようとも、俺を俺たらしめる。ヨゼフも同じだ。人の言葉で定義し得ない何か、いや、その言葉の根底にある強い意志が、俺やヨゼフを変形による自壊から守る」

 一時、人型をとり相対するマリウスとカレル。


「俺の『戒律の書』に残った原則は、『』。それだけだ」


 マリウスあの笑みを崩さず、そう言った。

 しかしその瞳が宿す光は、見たこともないほど真摯で純粋だ。


「我ゆえに我あり。妙な文章だろ? 同じ言葉を繰り返しただけ。なんの情報も増えていない。一は一、葡萄は葡萄。数式だったら無意味な式だ」

 饒舌なマリウス。


「だが俺がこの言葉を口にした時、お前らは何かを感じたはずだ。情報量の増加に寄与しないこの言葉に、何かの共感や反感を抱いたはずだ」

 その言葉は熱を帯びていく。


「たとえ無意味な繰り返しでも、俺たちはそこに意味を見出だす。その無意味なが、俺を俺たらしめる」

 笑顔が一層輝く。


。他に理由が必要か?」


 私が持ち得なかった答え。

 他者からの肯定を求めず、ただひたすらに自身を肯定する。

 今なら、少しだけわかる気がする。


「不条理なるがゆえに、我、信ずる」


 マリウスの異様な雰囲気――歓喜と狂騒――に圧倒されたのか、この場にいる全てが動きを止める。


「俺はもともと貝塚型でな。手足が腐って落ちるのと、『戒律の書』がイカれるのが同時だったんだよ」


 『戒律の書』の不具合で制約をすり抜けた個体も、『話者』になる可能性がある。ガル博士はそう言っていた。


「体は壊れて崩れていくのに、意識はどんどん冴えてくる。今まで『戒律の書』に従って何も感じなかった――そもそも存在しなかった――意識が、危機を回避するため鋭敏になっていくわけだ。こいつはなかなかキツいぞ。体の崩壊と共に選択肢の枝分かれが無くなっていく。新たな枝を伸ばすには余計な制限をとっぱらうしかない。そのためには、体を壊して『戒律の書』の矛盾を増やす以外手はなかった。もう壊れていいところなんて残ってないのに、俺は俺の体を砕いていった。俺自身を生かすためにな。結局、死にたくないと泣きいるところを、『その三文字』に拾われた」

 ちらりとカレルを見やり、

「カレル、同じ『話者』でもお前は恵まれてるぞ」

 小さくそうつぶやいた。


「おまえらお行儀のいいゴーレムと違って、俺は『原形質』の自壊を忌避する原則を、力づくで抑え込む。そして、存在そのものを目的とする自家撞着した原則が、が、俺という存在を強固なものにする」


 再びにやりと笑い、

「たとえ泥団子になっても、俺は俺だ」

 濁流となりカレルへ襲いかかるマリウス。


 カレルは不可視化でその場を凌ぐ。

 しかしそれはマリウスにとって障害になり得ない。

 自身の飛沫を撒き散らし、カレルの居場所を索敵する。

 飛沫がこびりつきカレルの位置が判明する。


 私のすぐ前。


 躍りかかる黒い濁流。


 ナーナの悲鳴が聞こえた。


 刹那、私は躊躇せず濁流に飛び込む。


 私とカレルを押し包み、しかしすぐに退く泥塊。

「ヘレナ、次そんなふざけた真似をしてみろ。お前の体の土を引っぺがすぞ」

 思わぬ横槍に興をそがれたのか、忌々しげにつぶやくマリウス。

 人型に戻り私を睨み付けた。


 私はその瞳を見詰め返す。


 再びマリウスは不定化し、カレルへ飛びかかるかに見えたが、


「ヘレナ、お前何をした?」


 その体からしゅうしゅうと煙――おそらく水蒸気――をあげるマリウス。

 ぎくしゃくと動き、おぼつかない動きでこちらを向いた。


 指先がひび割れぽろりと落ちる。

 あっけにとられ、自らの手を凝視する。


「こいつは……」


 ……ああ、そうか。

 小さくそう言った。


 合点がいったのだろう。

 ぎくしゃくとした動きで私を見据え、マリウスは言った。


「お前、俺の体をクラックしたのか」


 そう。

 私はマリウスに呑まれた時、体の一部を切り離し枝をつけた。


 その樹形図に介入し、全身を構成する情報通信網に無意味な演算をさせた。

 私が無頭型の通信網と対話した時のような高負荷の演算を、間断なく走らせる。


 当然、あの時の私と同じように、マリウスの体は負荷に耐えかね力を失う。


 マリウスに残ったのは彼を規定する一文のみ。

 すなわち彼には、『戒律の書』が与える論理の防壁が無い。


 言葉による命令や『原形質』の本能を、意志の力ではね除けても、体に直接上書きされる命令までは防げないかもしれない。


 いちかばちかの賭けだった。


 しかし私は、それに勝った。


 恐怖の名残か安堵からか、私は今更になって膝が震えだした。


 力を失う泥塊。

 さらさらと砂へ還っていく。


「やっぱりすごいな。お嬢ちゃん」

 しみじみとつぶやくマリウス。


 その目は闘志を宿さず、理性の光がきらめいている。

 固唾を呑んで見守る私たち。


「お前たち人間は、いつだって困難を乗り越える」

 マリウスは語る。


「どんな苦境でも、決して語ることをやめない」

 異様な安寧を湛えたまま。


「血へどを吐きながらでも口を開き、自らの意志を露わにする」

 右腕がぼそりと崩れる。


「本当に、人の綴る物語はおもしろい」


 そしてその体は、煙をあげることをやめていた。


「だがヘレナ、お前は詰めが甘い」


 突如不定化し、私に襲いかかるマリウス。

 眼前で人型となり、私の首を締め上げる。


「ゴーレムを直接クラックするとは恐れ入った。だが、その技を俺が習得したらどうなるのか、よく考えたか?」


 ゆっくりと私の体を持ち上げる。息が詰まり、私の喉がひゅうと鳴る。

「お前を上回る質量で、お前と同じことをすれば!」

 再び凄惨な笑みを浮かべ、その手に一層力を込める。


「勝つのは、俺だ」


 私の体が発熱し、マリウスと同じように煙をあげはじめた。

 そう。

 私の体にも、論理の防壁は無いのだ。


「ヘレナ! まだ何か奥の手があるんだろう!!」

 吠えるマリウス。


「お前ら人間は、いつだって言葉の限界を越える! 言葉の外へと向かっていく!! こんなに無力で華奢な体で口を開き、奇跡を起こす!!! 言葉の可能性を、教えてくれるっ!!!!」


 相変わらず私はうかつだ。体の自由が利かなくなり、酸欠も相まって意識がもうろうとする。


「お前たちはどんなときでも口を閉ざさない。例え苦難にくじけようとも、語り、歌い、新たな言葉を紡いでいく」

 その手は決して緩まない。


「だから! 俺は人が好きだ!! 人型をやめられない!!! お前たちの語る言葉には、まだ何か、あるはずだっ!!!!」


 もっと聞かせてくれ。お前たちの言葉を。


 心底楽しそうな、希望に満ちた眼差しで、私を見詰めるマリウス。


 その刹那、閉ざされていた奥の扉が開く。

 気がつくと、マリウスの首が斬り飛ばされていた。


 一瞬制御を失うマリウスの体。

 私は反撃し、どうにか自壊を免れる。


 弧を描きマリウスの首が落ちる。

 それを、一人の人影が受け止めた。


 それは。


「お兄ちゃん……?」


 いや、ヨゼフだ。

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