第七章エピローグ

メッセージ

第七章 エピローグ


  メッセージ


痛い人生を最後までお読みいただきありがとうございます。

冒頭、近親姦にも色々あると書きましたが、私の父の場合、DVが先で、父は幼児趣味ではありません。私は小学四年の頃から一人で電車に乗る時は大人運賃で乗っておりました。駅員さんに呼び止められ、「どこの高校かいいなさい。」と大人運賃を請求される事が多かったからです。父が私に手を付けた高校生の頃には見た目、二十代中盤ごろによく間違えられておりました。。。


近親姦には他の分け方として私の主治医だった院長が言ったようにファンタジーがある場合と無い場合と言う風に区分けも出来るのですが、私の父の場合ファンタジーがある場合ということになります。


院長から何度か聞いた事は、近親姦は一般的な家庭にも起こり得る。幼児趣味等の性癖を持つ親で無くても。。と言う事です。

そもそも男性には支配欲というものがあります。それの度を超えて行った先にDV支配と言う結果になっていくのです。パートナーの選び方ひとつでDV支配にはならない場合もあるのです。父の場合、義母になった佳代さんにはDV支配はしておりません。そしてもし、二人の間に子供がいた場合、佳代さんは母が私に接したような教育はしなかった筈です。そして父はその子には手を付けなかった筈です。

先妻が私の母、後妻が佳代さんという関係性では無く、本妻が佳代さん、愛人が母であったとするなら、これも又私には父の魔の手が伸びなかったか?私と言う存在は最初からいなかったかもしれません。

我が家の場合、母があのような自堕落で且つ、あのような亡くなり方をした。。

ボタンの掛け違いのように始まった近親姦と言えるでしょう。

と言う事は、歯車さえ揃ってしまえば、支配の芽を持つ程度の父親のいる家庭でも起こり得るのです。

外でバリバリ仕事をする。。部下に嫌味を言うほどの支配欲がある。女房との性生活だけでは足らず、外でチョイチョイ悪さをするような殿方、パートナー選びから始まって、条件さえ揃ってしまえば、心に歪みを生じさせ。。。。と言う事も無い訳では無い。

そもそも人の心などそんなに強くはありません。過度のストレスは人の気を狂わせる。。そして現代はストレス社会とも言われております。そして近親姦は増える傾向にある。。それは上流家庭であっても貧困家庭であっても。。。

主治医だった院長の言っていた事も頷けるような気がします。


私には幼児趣味の父親の心理はわかりません。我が家の場合、父の心が大きく捻じれたのが母の死。すなわち父が四十二歳の時です。そしてそれから徐々に狂気の世界に入って行き、五十歳手前で私に手を付けたことになります。この物語は四十~五十代の娘を持つ父親にぜひ読んでもらいたい。。勿論その他の方にも読んでもらって社会認知を広めたいのですが。。。


私が言いたいのは、この近親姦、家族みんなが幸せからどんどん遠ざかっていく人生を歩まねばならないと言う事。。誰だってこんな痛い人生を歩みたいとは思わないでしょう。。さぁ前を向いて生きていきましょう!というスタートラインに立つために回りくどい過去との対峙から始めないとスタートさえ切れないのですから。。

そして、加害した親も決して幸せにはなれない。私の父も最後になってとても幸せとは言えない生きざまになっています。。

親子。。力関係はいつか逆転する。但し親が長生きをして娘も脱落することなく力強く生きた場合に限られますが。。


被害について


この被害には五段階のレベルがありますが、それは比較をして優劣をつけるというのではなく、その程度によってどんな障害をもたらすか?どのように治療していくのか?の為の院長が決めた区分けですが、

貫通が一番の重度。言葉や、軽いタッチ程度のものは軽度。。となっているようです。

私は重度ですが、その期間、回数などにもよって同じ重度でも様々です。。

そして私の場合とは違ってファンタジーの欠片も無い、むごいケースも私は承知しております。主な被害経験は幼児期から十代ということになりますが、このような時期にリアルタイムで心の整理は無理です。

ただし、いち早く親と離れねばなりません。

第一関門は少しでも被害の程度を抑える事。。しかし、これが中々難しい。。

発見されにくいからです。子供のSOSはデリケートです。だから社会の力が一番必要とされる時期なのです。。


次の関門は、二十代をどう生きるか?ですが、これは現状、運を天に任せるか?の時代です。人との出会いが大きく左右するからです。そして被害者たちは後遺症のようなものを抱えている時期でもあります。

それは私と同じく、セックスや自傷に依存するという事に限らず、病院から処方される薬に依存している場合もある。。その場合は医師が指導してくれますが、そのほかの薬物としては昔はシンナーなどに依存する場合もあったでしょう。。今は?と考えると多種多様な薬物が手に入りやすいので恐ろしさを感じますが、それら依存をどのように断ち切っていくか?これも中々難しい事です。

知識ある専門家、心療内科や自助グループの助けが必要と思いますが、そこまでたどりつけるかどうか?運を天に任せる時期もあります。私の場合はこの時期、自助グループは皆無。精神科はあっても心療内科はありませんでした。傷つき切りましたが、ただ、運が良かった。。

父が佳代さんに言っていた事、「医者は三軒まわりなさい。」と。。私には精神科へは行くなと言っていたのですから皮肉ですが、この問題こそ、若い被害者に言いたいのは、自分に合う医者が見つかるまで何軒でも回りなさいと言う事です。。地方で通える自助ミーティングが無ければ、ネットを活用してください。ネットでも自助グループはあります。「近親姦被害」でくぐれば、嫌なサイトもあるでしょうが、何軒かヒットするでしょう。。数が少ないのが歯がゆいですが。。

二十代をどう生きるか?によって、早くて三十代で過去との対峙が出来るでしょう。。

但し、四十代までに過去との対峙が出来る様に生きていないと、失うものがどんどん増えてきます。

私の三十代の場合、残念だったのは向かう社会にも父の存在があった事。精神医療に関する詳しい情報が三十代以降であり、それまでDV被害や虐待、洗脳、マインドコントロール、フラッシュバック、PTSDに至るまでの情報が無かった事です。

四十代では私は完全に過去を封印しきっておりました。

どうか、私のような遠回りをしないでほしい。


現代は、被害子供にとって、自分に起きていることは虐待だという情報は多数あるというのに、自分を真に救ってくれる情報は限りなくゼロに近い。昭和の被害者と平成の被害者。この情報の変化が何を意味するのか?それは、子供のうちに殺意を持つか持たないか?の差です。そして、この被害者たちが一番短絡的な行動に出るのが未成年の時期でもあります。自分に起きていることが虐待であると明確にわかるのに、救いの情報が無い。ある意味、現代は残酷な時代です。


被害者の方へ。。


若いうち(子供~未成年)はこの手の物語は読めないでしょう。。それはR15だからだけではなく、フラッシュバックしちゃいますからね。。

でも、サバイバーになってくると違いますよね。あえてこの手の本を読んでフラッシュバックさせて何かをつかもうとする。。

何せ私たちは薬や治療でなおるのではなく、「考え」を深めて「思い」を変えてなおしていくのですから。。


それぞれ、被害に至る環境や被害の状態、その後の人との出会い。。色んな条件が違うと思います。

ただ、私が自分の経験を通じて言える事が一つあります。過去との対峙をする際、答えは必ず自分の歴史にあると言う事です。

被害家庭の親というものは閉鎖的だと言う事も良く聞きますが、例えば親の生い立ちが分からなくても、親が言っていた言葉の中で忘れてしまうようなたった一言が心理の深い処からの言葉だったりする。。書物や映画などの情報と照らし合わせ、想像するのです。そこで、私の親はこういった環境で育ったのではないか?と仮定する。。その仮定を基にどうして私にこういう被害をもたらしたのか?も仮定し、それを子供の時、自分がどう感じたか?それを大人であるあなたが今後自分が生きやすくなる様に意味を持たせれば良いのです。もし、それが事実と異なっていたとしても、あなたが生きやすくなれば、それが真実になるのです。仮定を想像する時、非常に苦しい時期があるでしょう。医師等に相談しながら進めていけば、ブレない方向性を示してくれるはずです。

どうして?何故?の道のりを経ないと、過去の重荷はそのままです。

でも、どうして?何故?の答えが出なければ堂々巡りは続きます。

そしてその先をもう一つ言うなら、ある程度考えを深め、残りの人生をゆるゆるとでも生きていけそうだな~と思った時、考えをズバッっと手放してください。そもそも、完全なる心の持ち主などいないのです。少々歪でも個性と思えばいい。。この事は今、私が自分に言い聞かせている事です。。

本当に理不尽な被害です。


私たちに「忘れろ。」という言葉は残酷ですよね。まるで自分を否定されたような気がする。

「忘れろ。」という人の心の裏側には、理解不能なことは排除したい。面倒くさい事は身の側には置きたくない。とした心根がある事を私たちは知っています。それは言った本人が気づかなくても、その方の顕在意識ではない潜在意識からの言葉だと私たちは本能的に見抜きます。そして忘れて形が付くような問題でもありませんし。。。

そして私達に頑張れと言う言葉は残酷なのも知っています。

だから安易に頑張れとは言って欲しくない。。ですよね。

ただ、これは、経験上から言うと、もう頑張れない。といった状況の中、誰に言われるでも無く、自分の意志で後一歩。半歩でも心を動かし無意識であっても頑張っていた時、私に助ける人が現れて運命が変わっていたような気がします。

そして明るさを失わないでください。これもきついでしょうが、良い運をこちらに向けるテクニックでもあります。

どうか、ギリギリの道程でしょうが、生き抜いていってください。

風が変わる時はやって来る筈です。




          紫ぐれ 麻衣


追記。。2017年5月24日。。

現在著者の生活環境も随分と変化。。そして父親も到頭、陥落。。その辺りは

「生まれてきた目的に辿り着くまで」に書いておりますが。

こちらの自叙伝も数年かけて、もう少しブラッシュアップさせたものに書きなおしたいと考えております。


更に追記

2020年


記憶を何度か辿る出来事があり、ある時、私の幼少期の記憶のすり替えがあった事に気づいてしまいました。異次元に行ったという突飛な記憶ですが。。

正しい記憶が戻りました。私は4歳頃知らないおじさんから性被害を受けています。

それを異次元に行ったという武勇伝に置き換えて記憶した。という事をハッキリと思い出しました。


さて、父が何故狂いを増幅させたのかの原因は母の死に方にある。

この考えは今も変わりませんが?父が何故近親姦と言う行為を私に強いたのか?

の根本的理由が、忘れてしまうような父の言葉。。認知症を患いながら、ふと漏らした言葉をかさねていくと、ある仮定に行き当たりました。その仮定を更に深く焦点をあててみると。パズルのように心理と言葉がピタリと合致。。仮定は確信に変わり。。

それは。父に同性愛の性癖はありませんが、若き頃。父の場合は、同性からの性被害者ではないか?という事です。

「近親姦はあなたの弱さを叩き直すためにやった。」経済制裁に関しても自分の苦労を乗り越えてみろ。。獅子の子落としのように。。若かりし頃の自分の苦難を私に再現しようとしたのではないか?と思われます。同じ芸能界で生きていくのなら、俺のように同じ苦難を乗り越えてみろ。と。。。

昨年、クローズアップ現代+で性暴力についてのテーマでの番組があり、私もいくつか投稿しましたが、男性の被害者。についての心理をあらためて考えてみると、父にぴたりとはまります。元々、未遂の案件の話は聞いて知っていました。逃げ切ったという話です。しかし、当時の父の生活環境。逃げた後どうしたのか?については細かな事は話したがらなかった事も思い出されてくる。。この頃父は大学を中退しています。

学歴など関係の無い役者であり、中堅どころとはいえ、その道でそこそこ仕事が続いて行っている40代、50代になってまでも大学に行けなかった事を兄や姉のせいにしては喧嘩になっています。喧嘩だけではなく、当時中学生の私に酒を飲んで言い募ることもありました。あれだけストイックな努力を出来る人間性でありながら、あの時代苦学する事は難しくとも、父なら出来たはずです。それをしなかったのは、打ちのめされる大きな出来事があったのではないか?と仮定しても辻褄の合う事でもあります。大学に行けなかった事で言い募り喧嘩をする本当の心理は「あんな目に合わずに済んだのに。」という強い思いからそれを兄や姉のせいにしたのではないかと思うのです。

認知症になり、私が通いの介護をしていた時、「男に襲われた。」「昨夜部屋に侵入されて殴られて無理矢理。。」「血だらけになって逃げられなかった。」とその恐怖をリアルに私に話していました。勿論80歳過ぎた父にそのような事実はありません。認知症は昔に戻る事が多い病です。まるで昨日の出来事のように昔の事を話してしまう見当識障害だったのだと現在介護福祉士になった私にはわかります。恐怖に震えて私に話した事は昨日の事では無いが、昔の怖くて苦しくて辛かった感情をおそらく昨日の事のように私に訴えたのだと今は思っています。

その他にも思い当たるエピソードはあります。

本来なら父が墓まで持って行こうとしたことであるなら、家族としてその意志は尊重せねばなりません。しかし、家族であると同時に父は私に過酷な近親姦被害をもたらした加害者であることは事実です。その事を書く上で、父自身の被害があるのだとしたら避ける訳にはいかないと同時に真実は何処まで行ってもかもしれないお話だとしても、そういった条件付けの中で、私には書く権利は与えられているのだと確信しています。書き直しは単に父が加害者で悪者であるとした印象をなるべく払拭して父自身も苦しかったのだという真実に触れて書ければと思っています。

性暴力と言う物の根深さだけでなく個別性。近親姦被害と言うのは身内からの被害であることから法律を整えるだけでは解決にならない事を最近になって思い知る事と被害者が加害者に転じやすい事にも触れられればと思っています。


何より父も被害者だったのだ。。という事を確信した事で父に対する感情は随分と変化する事になったのですから。。


本文の中で出てくる。。「父と私は同士でもある。」と言った表現。。

本当に同士だったのだ。と今は思っています。


かといってもう二度と父に会う事は無いと思います。

それは、獅子の子落とし。。父自身も私に対して獅子の子落としの話をしていました。

自分の子を谷底に落として、まして這い上がってきた子を父は更に落としています。


その子が巡り巡って遅まきながら父とは違う場所に這い上がった。

ある時、老いた獅子と子が山で出会ったとして、弱った獅子は谷底に落とし見限った子に助けてくれと言えるだろうか?

最後の最後まで支配し続けたかった子にこそ自分の落ちた姿は絶対に見られたくない。。誰かに助けてもらいたくとも落とした子にだけは拒否をする。

その父の自尊心は守らねばならないのかもしれません。。


まったく、悲しい親子です。



その事をいつか盛り込みたいと考えております。

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歪んだ座標軸~近親姦サバイバー~ 紫ぐれ 麻衣 @sigure-mai

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