不思議な治療からの記憶と箴言



その獣医師は岐阜にいた。そしてその獣医師は私の抱えているカルマを見抜き、私のものの考え方を変えた。


どこで治療させるか?その医師を探す間、日常食べさせているドッグフードを止めようと考えました。中々腐らないドッグフードではなく、添加物を抑えた食事が内臓疾患に良いと思ったからです。食育専門の獣医師さんとも出会い、そこへ通い、手作りの食事の栄養面を指導して貰いました。しかし、それだけでは治療にはならない。何せ二匹共に生涯闘病という難病を抱えていたと同時に下の子には、気休め程度の強肝剤や胃薬程度しか与えていなかったのですから。

私は我が家にあるお金と支払日を睨めっこしながら、犬二匹を連れて行く費用や治療費などを算段し、直感だけを頼りに岐阜へ行く事を決めました。

まともに考えたなら、そんな費用は何処にもなかったのです。しかし、パートナーである彼も、この子達だけでも幸せにしないといけないと言って私の岐阜行きを快諾してくれていました。いづれ手放さなければならない子達に健康だけは与えてやりたい。そんな何かに突き動かされた診療旅でした。


出発当日、私は定期的にやってくる偏頭痛に悩まされていた。この偏頭痛は寝込めば一日で改善されるが、もし仕事なら三日は酷い状態が続きます。それを知っている彼は、運転が危険だから延期するように言いましたが、私はそれを押しきって出発しました。

出発までの間、私は下の子のルーツを調べていました。ペットショップ出身の二匹でしたが、下の子は愛知の方の所謂バックヤードブリーダーが生家で、たまたま血統書より奥を知る事が出来たのですが、アメリカで何十年にも及ぶ尋常ではない近親交配の繰り返しの末の子だと知りました。ブリーダーには電話で連絡をし、交配をストップするように下の子の奇形を報告していましたが、帰りにどんな生家なのか?この目で見たかった事と、何より少しでも早く、きちんとした治療をさせてやりたいという気持ちで無理をしての出発だったのです。


高速道路の料金が深夜安くなりますので、午後七時に出発。途中SAで夜明かしをして節約するつもりでしたが、休憩の度に下の子を見ると、目から涙を一杯流しているのです。それまでに見た事が無いほどの分量の涙で、下の子は酷い顔になっていた。私の体調は酷くても、犬たちの体調は落ち着いていた筈なのにと、途中心配で何度も休憩しました。

勿論私の体調は酷いものでした。

浜名湖で夜明かしをして、私の頭痛は一旦良くなったものの、再び出発すると、偏頭痛は復活し、今度は眼をもぎ取って捨てたいくらいに酷くなった。その横で下の子はずっと大量の涙を流しっぱなしなのです。ようやく岐阜羽島を出て市内に入り、大学病院に到着。

処方ミスを受けた東京の大学病院で後処置をして貰った副院長からの紹介で概ねの状況は伝えて貰っていました。西洋医学の軟部外科(内臓疾患)でのスペシャリストでもあり、東洋医学、及びホメオパシーも出来る大学の教授に辿りついたわけです。


診察室に入ると、教授とその助手である女医さんお二人が私を見るなり驚いた表情で後ずさりなさった事が印象的でした。その他には助手の医師と学生さんらしき数名もいました。

下の子の血液検査データは病気が分かった当初、二桁オーバーだったものが、食事を変えた事で一桁オーバーに改善されていましたが、教授曰く、この病気でこの数値なら安定していると言えますが、どうなさりたいのですかと聞いてきました。私はどうしてそんな風に言ってしまったのか?「奇跡を起こしたいんです。」と答えた。すると、教授は「分かりました。」と言ったのです。大学の教授が「奇跡」なんていう言葉に反応してくださるとは驚きました。そしてそれから下の子に鍼治療をしながら助手の女医さんと教授の奇妙な会話が始まったのです。


 教授 「前頭葉かな?」

 女医 「いいえ、頭の中心です。」

 教授 「前頭葉のような気もするが。」

 女医 「大元は頭の中心です。」

そこで教授が私に言いました。「今言っているのは思いつくままに言っています。こういうのが嫌いな人にはやりません。あなたは大丈夫。このまま聞き流してください。」。。。


私はこの時、実はこういうのが好きではありませんでした。言いかえれば、こういうチャンネリングと思しきものは過去に嫌悪を感じていたのです。父が私を洗脳する際に使ったスピリチュアルの分野でしたから。。しかし、そんな事より何かに引き寄せられるように耳を傾けた。


前頭葉か?頭の中心か?の問答の後。。。女医さんが「頭が痛い。」と言いだしました。その瞬間、私も昨日から頭が痛いと思った。

  教授 「前頭葉じゃないね。」

  女医 「良くなりました。」

  教授 「大元は頭の中心だね。」

  女医 「あ~又痛い。目をもぎ取って捨てたいくらい痛いです。」

そこで、教授が私に「あなたももう気づいているでしょう。」と言った。それは昨日からの私の症状です。と私は答えました。教授は、この子の病気の大元は頭の中心が破壊されている。頭に腫瘍があるとかそういった問題では無く、頭の中心の気の流れが破壊されていてそれが原因で肝臓に奇形が出来てしまったんです。この子はあなたを引き受けようとしていると言った。。。

私は目が点になってしまいました。


頭の中心。。脳下垂体。。

母の最期の手術は脳下垂体に放射性物質を打ち込んで破壊し、血糖値をコントロールし、目の出血を止める。といった手術で、亡くなった時の母は脳下垂体、すなわち頭の中心が破壊された状態だったのです。それに母と同じようにこの子は処方ミスを受けている。

そしてこの子は近親交配の犠牲を受けている。私は近親姦被害者。

その上、昨日からの私の症状をこの子は引き受けようとしていたなんて。。。

私はたまらなくなって女医さんに聞きました。

「この子は私の母ですか?」と。分かったらいいじゃないですか。と女医さんは言った。「本当に母?」と聞くと、

ピシャリ一言。「あなたは流さないとダメです。」

教授は「あ~お母さん何とかしないとこの子が良くならない。僕は獣医ですから体には触れません。ちょっと後ろを向いて光を見ないようにしてください。害は無いですから。」と言って私の椅子を半回転させました。何やら光のようなものを当てられ、再び椅子を半回転。「どうですか?」と聞かれた瞬間、前日から断続的に続いていた偏頭痛が一瞬で消えていました。そして、下の子の顔を見ると、涙でグズグズだったのがまるで塩が引くように目の周りが乾いていったのです。

上の子も診て貰い、東京での鍼とホメオパシーの先生を紹介して貰い、教授に言われたのは、「今すぐ流しなさい。今ならまだ間に合う。」でした。この翌月に私に重大な事が起きるとはこの時、知る由もありませんでしたが、岐阜から帰って来る時から考え始めました。


「流せ。」とは父の事だろうと思った。気がついていない事を気づけば正す事が出来る。しかし、気づいている事をどう流せというのか?


どんなに縁を切っていても私につきまとうかのようにテレビで父の姿をみせつけられた。それは私とは裏腹に順調に仕事をしている姿だった。しかし、犬たちが病気になった辺りで映像で見る父の姿に老いを感じ始めた頃、これで良いのだろうか?と考えた事もある。しかし、そういった思いが沸き起こる度に私は打ち消していた。忘れてはならない。父が私にした事を。憎む気持ちを忘れてはならないと自分に言い聞かせていた。

父には佳代さんが居る。彼女は何も知らないのです。

私が中学生の頃、元々国語の教師をしていた彼女は私の教科書を朗読してくれたことがある。私はこそばゆかったのだけれど心穏やかな彼女が好きだった。父と縁を切る時も、本当の事が彼女の耳に入らぬように、私は親戚にも黙って縁を切った。赤坂で偶然彼女に出会った時、何も知らない彼女は私に「昔の事は問わないわ。」と優しく言ってくれた。

今私が出て行けば昔を問わないといった時限は遥かに超えている。父は私が姿を消した理由を分かって居ても、彼女は何も知らない筈。父より十七歳も若い彼女はきっといつか父を診とるのだろう。今更私は出て行くべきではない。彼女を傷つける事態にならぬ保障などどこにもないのだ。一体どう流せというのだ。。。


帰りは足柄SAで夜明かしでした。それまで二匹は旅の疲れでぐっすりだったのに、下の子だけが起きてきて普段大人しい子が悲壮に鳴くのです。ふと母の墓が近い事に思いがよぎり、私は時々、母の事も恨んでいたのを思い出した。あんな遺言をされなければ。。。あんな妙な教育をされなければ。。。そういった感情が沸き起こる時、実家から持って出ていた母の仏壇を揺さぶり泣いた事もある。位牌を壊した事も。。。

父には絶対に会いたくなかった私は母の墓参りも封印していた。そんな事も思い出しながら明けてくる群青の空の東名高速。大型トラックに紛れながら東京へと車を走らせた。

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