第三章 生き延びて、戦って、前を向いて。。。

ショーダンサー~転々


  ショーダンサー~点々


バブル景気に突入する1980年代、私は赤坂で或る有名ナイトクラブのレビューショーのダンサーだった。1990年過ぎには商業ミュージカルで役を貰い出演した事もある。地方のヘルスセンターや都内のナイトクラブで歌を歌ったこともあった。その頃はそれなりで、良く色っぽいなんて言われていた。まぁ、本気を出せば、若さも加わって、綺麗だとはよく言われたけれど、今は本気を出していない。若さもとうに終わり、実ったのは脂身だけだ。


ダンサーになったのは二十二歳手前だった。

キッカケは痛いお話。母が亡くなった後からの私の人生は痛いどころでは無い。特にこのダンサーになるまでの五年間。

私自身がまるで記憶喪失なのだろうかと疑いたくなる程に記憶はあるもののしっかりとは振り返れなかった出来事があった。そのお話ははまぁ、後に書くとして、とにかく奈落の底に落ちた。落ちたと思ったら、まるでバンジージャンプのようにポ~ンと急ジャンプをして流れに任せダンサーになってしまったのです。ダンサーにも色々ある。私の場合はナイトクラブのトップレスダンサー。毎月出し物が変わり、その度に有名芸能人でもあるメインゲストさんがやってくる。歌のバックダンスもあるが、ソロやデュエットで踊るシーンもある。一時間のショーの中で二十六シーンくらいあるのだから、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような急展開。衣装や照明も相まって豪華で華やかなレビューショーだった。

私は一年のうち九か月契約していたので生活には困らないだけ稼げた。「生きていて良かった。」と思った。

辛い事や悲しい事は忘れて前を向いて生きろ。そんな時代だったし、私自身、非常に前向きに生きていると思い込んでいた。

その頃の口癖がある。「考えても答えの出ない事は考えない。悩んでも解決しない悩みは悩まない。」しかし、今の私の考え方は違う。抱えている物が考えないで済む程度のものならそれも良いとは思うが、とてつもなく重たい荷物は降ろさないと前を向く事に負荷がかかる。前を向くのはきちんと自分と向き合ってからの方が良い。それに「悩み」、そこから拾い上げられるものがあればそれは恵みになる。「悩みは恵み」なのだ。悩みがあるのに悩まないでいたら恵みにはならず、いつまで経っても悩みは悩みのまま心の深い処で無意識レベルであってもくすぶり続ける。


このレビュー小屋を卒業したのが三十歳手前。そして天王洲に出来たばかりの劇場で商業ミュージカルがあり、これもひょんな事から役を貰い、出演する事になった。この出演がキッカケで、その後、都合三本のミュージカル出演のオファーを貰った。そのうち、一本は事の流れで出演した。他二本は断った。私の抱える心の荷物。そこから蘇った使者。あの男がちらつき始めていた。

そもそも闇から逃げられなかった私にも責任があると思っていたが、情報番組を視て考えが変わった。逃げられなかったのは私のせいではない。そのうえまだ私につきまとってくるあの男と同じ様な世界では生きられない。私が積み上げてきた仕事を手放す事も含めてあの男のせいにする事で私はそれまで向けようの無かった怒りや憎しみを募らせた。きっぱりとあの男と縁を切り、過去を封じ込め、前だけ見る事にした。人の心などそんなに強くは無い。あの男の手の届かないところでないと私は生きられないような気がしたのだから。


丁度その頃、今のパートナーとの出会いがあり、私は過去の何もかもを捨てて彼と共に生きる事にした。今現在のパートナーがその時の彼だ。

その後、私はデパートの食品マネキンなんかをしながら働くが、何処の職場でも問題が起きた。正義感が災った事もある。休憩時間通りに行動しない相方を何とかしてほしいと願い出たら、その子は願い出た社員の上司の愛人だった訳で、逆に私は売り場から外された。別の売り場では理不尽な事で叱責され、その上生まれて初めてババァ呼ばわりされた時は、その場で仕事を放棄して帰ってきた事もある。海千山千のおばちゃんと催事売り場を回った時にはチクチクと嫌味を言われ、それでも我慢して憂鬱な仕事をした事もある。やっと良い売り場に回されたと思って、真面目に働いていたら二人に結託されて横領犯に仕立て上げられそうになった。三人で回す売り場だったから二対一では中々派遣事務所には信じて貰えなかった。いっそのこと警察に届け出てくれればきちんと調査してもらえるのではないかと思ったが、横領額の少なさから事務所としてはメーカーサイドに内緒にして事を大袈裟にしたくなかったようだ。やった事の証明は簡単であろうが、やっていない事の証明の難しさを知った。やっとの思いで疑いが晴れて、次に回った売り場では一年経たぬうちに売り上げが落ち込み、マネキンをリストラしてアルバイトだけにすると宣言され契約を打ち切られた。当時まだ他の売り場を紹介すると事務所からは言われたけれど、何だかデパートで働く事に嫌気がさし、自宅近くのハーフタイムのパートに転職した。収入は減ったけれど、私はパートナーにパラサイトしていたから生活には困らなかった。パート勤めをしだすと、今度はイジメと言う問題にも遭遇した。

この頃、私は起きた出来事に怒りを感じる日々だったが、その怒りは何処から来るものか?良く分かっていなかった。ただ、職を転々とした。


二十代で飼い始めた犬二匹が臨終の時にパート仕事を辞めて虹の橋に送るが、パートナーの余りの意気消沈にもう一度犬を飼う事になり、いきがかり上、二匹を迎えた。一匹は若齢性の慢性膵炎と分かり、投薬と給仕が一日に四回で、パート勤めも出来なくなった。それでも何かの足しにと勤務時間に融通のきくフリーペーパー新聞の配達員の仕事を私がした矢先、軽微な症状からもう一匹の子の肝臓が半分しかない奇形が分かり、二匹共のの闘病生活に入った。その上、肝臓病の子には大学病院でのお薬の処方ミスという災いまで舞い込んできたのだ。私が四十代中盤を過ぎた頃だった。過去に起きた母の処方ミス。そして数年後の母の死。

飼い犬にまで起きた処方ミスがキッカケで私の頭の中で因縁と言う言葉がぐるぐる回りだし、動物病院探しジプシーが始まり、私の運命を変える箴言をしてくれる獣医師と出会ってしまった。過去にしまい込んだ心の闇の中に誘い込まれ、果ての無い心の旅が始まったのだ。

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