歌舞伎町の門
歌舞伎町の門
私は、求人誌を見ながら何軒かお店をあたり、チェーン展開しているクラブで仕事をする事にしました。
当然の如く私は先輩ホステスのヘルプからの仕事でした。
しかしクラブでヘルプというのは酒飲み係でもあります。飲むのが止まっていると、足でコンコンと合図される。私の毎日は、飲んではトイレで吐く。といったきつい状況でした。
クラブで働くという事はそれ相応の服も必要で、且つ犬の病院代だけで月に五万円は下らないという私の経済状態は厳しいものがありました。
お店は本店以外に何店舗かあり「他の店舗で深夜も働かないか?」と言われ、私は系列店舗のピアノバーでも働き始める事にした。その店舗で働く時は歌う事が出来ましたので嬉しかった。
しかしその店は暇な店でもあり、お客様が居ない時は深夜営業の別店舗のクラブのヘルプに回されます。そうなると再び酒を飲まなくてはなりません。そのせいで私はこの時期から現在までウイスキーが大嫌いになりました。
深夜まで働くと言う事は帰りにタクシーというのは当たり前ですが、私は少しでも節約したかったので、引っ越しをした新井薬師から歌舞伎町迄自転車で出勤。行きは軽装からサブナードのトイレでスーツに着替え化粧をし、帰りはスーツから軽装に着替えて帰る。サブナードは閉まっていますので、お客様が全員はけた後、更衣室で着替えていると先輩ホステスに「ホステスとしてのプライドは無いの?」と言われて情けなくなった。けれど心の中ではプライドを持つほどホステスをやりたい訳ではない。そんなプライドならいらないと思った。
仕事中、吐くとは言え、ウイスキー一本以上は飲んでいますので、帰りの自転車は危険です。
今なら考えられません。危険運転はいけません。
しかし、当時は世の中全体にそういった意識は欠落していました。結局は自転車を押して歩く事になったりしながらも夜道は別の意味でも女性にとって危険です。全行程歩いたとしても、もしもの危険な時、自転車で逃げられる。。そんな意識でした。
犬の待つマンションへ「絶対死なないぞ。」と念じながら帰っていた。この時期より十年前は死ぬ事ばかり考えていたというのに、経済的には一番どん底のこの時、私は歌舞伎町を彷徨いながらも生きる意欲で溢れかえっていました。
ある時、六本木のピアノバーの黒服だった方から連絡があって、聞くと六本木のお店をやめ、赤坂で深夜ゲイバーで早い時間をホステスとゲイボーイさん交えて営業してる店にいるようで、そこでゲイの人と一緒にショーをしながらホステスに来ないか?と誘われた。ショーと言ってもカラオケを予めテープでつないでスポット一本で連続して流す程度のものでしたが、酒浸りになる新宿のクラブより良いだろう。それに終電で間に合う時間で働けそうだった。自転車とはおさらばできる。何か一つ袋小路から抜け出せそうな気がして職場を変えました。
そんなある日、恩師が偶然に赤坂の店にやって来て、私がホステスしている事を知り、悲しそうな顔をして帰って行かれた。それから暫らくしてレビュー小屋に時々ダンサーを臨時で送り込んでくる当時の大手ダンス事務所の社長から電話があったのです。
「麻衣ちゃん元気?ホステスしてるって聞いたけれど、どうしてるかな~って心配してたんだよ。」。。
聞くと或るミュージカルで私にピッタリな役が誰にも決まっていないらしく、私の事を話したら是非会いたいと先方が言っているらしい。そして簡単なオーデションをしてくれないかと言う事でした。そのミュージカルはテレビで既に宣伝していました。待ち合わせはプロデューサーの事務所で、待っていたのは有名演出家さんでした。私がやるであろう役の曲の譜面を渡され、テープが回り、オーデション。結果は合格。演出家さんはこの役だけが決まって居なかったようで、「やっと決まった~。」と言っておられた。キャスト構成はメインキャストは有名処の人たち六人で、サブキャストが六人、そして男女という人員で、私はサブキャストに入った。ギャラは一桁違う。これで一息つけると思った。
「いつからお稽古ですか?」と私が聞くと実はもう始まってるからなるべく早く合流してと言われた。私の役は立ちんぼ娼婦の親玉の役でした。
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