ミュージカル



  ミュージカル


デビュー話が消えてからほぼ一年。父からの電話は面倒なので、途中から地方の歌の仕事が入ったから、東京には居ないと嘘を言っておきましたが、このような高待遇の仕事が入った事で父を見返してやろうと電話をしました。父が言ったのは「お前なんかにそんなギャラでそんな役が来る訳がない。きっと何か罠がある筈だ。お前は芸能界の怖さを知らなさすぎる。今すぐ断れ。」だった。

罠なんてある筈がない。。。

父から言われた事を無視していると佳代さんから電話があった。佳代さんは「良かったね~頑張ってね。」と言ってくれた。私は佳代さんが賛成なら父からの電話攻撃も落ち着くだろうと一安心した。


お稽古では落ち込みました。私は人の顔色を気にしてしまいます。それに、私の動きはショーになってしまう。立ち振る舞いを芝居にするのに苦労しました。よく考えたらお芝居なんて勉強すらした事が無かったのです。お稽古の帰りは毎回落ち込みましたが出演者は仲が良く、みんなが私を励まし、アドバイスまでしてくれました。みんなに助けられていた。


レビュー小屋の時からそうですが本番になって化粧をして衣装を着るといつも何かが下りてくるのですが、お稽古の時がダメでした。

いよいよ天王洲にある劇場での稽古になり、衣裳を着た瞬間から私の中で何かが変わった。

そして演出家に褒められた途端、私は豚もおだてりゃ木に登ると言う風に、どんどんはじけられた。思えば子供の頃、母から私は煽てられて育っていたのです。私は煽てられるのは大好きだったのかもしれない。


初日があいたある日、父と佳代さんが観に来ました。楽屋にも来て、佳代さんも父も驚いていた。

父は「ちゃんと演技しているじゃないか。大したもんだ。」と言い、佳代さんは「苦労したでしょあなた~亡くなったママが喜んでるわ。良くここまで這い上がってきたわね~これからは事務所を探しなさい。この世界は事務所に入らないとダメ。委託ではだめよ。」とアドバイスしてくれた。その翌日、父から電話があった。「俺はずっとお前にパワーを送っていたからあの役が来たんだ。偶然じゃないよ。必然だよ。ここからがチャンスだ。だから俺の愛人になれ。そうしたら、事務所探しも手伝ってやる。」。。

罠がある。断れ。とまで言った父がまるで自分の手柄のように言うのには驚いた。当然、愛人になるなどあり得ない。


その後父からの電話はほぼ毎日。

それは単に愛人になれと言うだけではありません。

昔、私は無反応にしていた。歯を食いしばっても声を出さないようにしていた。

それを罵り、「俺で練習しろ。そうでないとプロデューサーの一人も誑し込めないぞ。」と言ったり、

佳代さんには内緒にしている女性関係の話をねちっこく私に言ったり、

ある時はその情事の録音を電話で私に聞かせたり。父のやって居る事は今でいうストーカーそのものでした。しかも父親だというのに。。。


私が一番言われて堪えたのは母の遺言でした。亡くなる直前の母が最期の力を振り絞って言った言葉。。目に、耳に、私の五感すべてに焼き付いているのです。教育のように言ったり、恫喝したり。。。

「十七歳で逃げなかったのは合意でしょ。お前は悲劇の主人公になったつもりか。」と恫喝された時、どうして私は逃げなかったのだろうと。。

あんなに苦しくて自殺未遂も二度したのに。どうして。。と自分を責めました。

この時、まだ世の中にDVという概念は無かった。逃げなかった私を自分自身で責める気持ちが募っていきました。

いざ、ミュージカルに出てみると、父の知り合いが数名居た。

父が観に来て楽屋に来たことで私の父が誰であるか分かってしまいました。

「お父さんによろしくね。」

「お父さんの領域に近づいてるね。」等、

お父さん。お父さん。。


父からは叩きのめされた事はあっても私は何の恩恵も受けたことは無い。あの辛かった五年間。私が泥水飲んでアップアップしているのを救ってくれたのは父とは縁も所縁も無い恩師なのだ。

私はこの世界を目指す限りずっと父からこういう事を言われ続けるのかと絶望でもない、憂鬱でもない、何かもっと恐ろしさのようなものを感じました。それだけその頃の父の俳優としてのポジションはどんどん上がっいて勢いがあった。

東京公演の間中、父の電話が頻繁でした。愛人にならねば~ダメになる!母の遺言、自堕落な女、ろくな生き方しかしない!俺の体を乗り越えろ!いろんな言葉が頭の中をグルグル駆けめぐる。

劇場でみんなと居る時は楽しく明るくしていられるのに、家に帰ると不安、恐怖、電話の音に怯えた。

なるべく仲間との飲み会に率先して参加していました。泥酔して帰る事で、心のバランスを取っていた。大阪公演になって少し解放されました。それでも宿泊先に父から何度か電話があった。大阪では、たとえ一人ででも飲み歩いていました。千秋楽を迎え、東京に帰りたくないと私は思った。


東京に戻って暫くすると、父からの電話のがあったその日、ミュージカルでご一緒した大物舞台俳優さんのマネーシャーさんから電話が入った。話を聞くと、その方がある大型ミュージカルの大阪公演から私も一緒にと私の為に役をとるようにマネージャーさんに指示されたらしく、やっと役が取れましたので又ご一緒出来るのを楽しみにしています。との事でした。私はこれを断りました。勿論咄嗟の判断です。たまたまもう一つ仕事のオファーがあった事も理由ですが、どちらの仕事の方を優先させるべきか分かっていました。

この世界はこういったご縁を繋いでいく事がどれほど大事かこんなチャンスを棒に振るのはバカな事です。私の今後のためにはミュージカルの仕事の方が大事でした。しかし、父の領域に近づく事。これを私は本能的に拒否したのです。それは積み上げた仕事を捨てるという事も意味して居ました。

私は古巣であるレビュー小屋でサブシンガーの仕事と、メインシンガーの仕事計二か月の仕事の方を選びました。

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