遠い記憶~転落の足音~



  遠い記憶~転落の足音~


真新しい十三階建ての団地に引っ越したのも束の間、父の副業でもあったテニスの仕事関係の女性を母は疑い、自分も浮気をしているというのに、父に相当なヤキモチを焼いていた。二人の喧嘩がどんどん酷くなり、私への父からのとばっちりも増えていった。

ある日、私は身の縮まる思いを経験をする事になる。

父の浮気を母が父の副業の上層部へばらしてやる。と言った時の事だ。父は家にあったテニスラケットを振り回し、母の事を恐ろしい暴言と共に殴っていた。そのうちに母はうつむいてぐったりし始める。それに気づいた父は出て行った。私は自分が途中から息をしていたのかどうかさえ分からなくなり、恐怖のあまり身動きが出来なかった。怖くて父を止める事は出来なかったのだ。


暫くすると母がうごめきだした。母が私に大声で怒鳴ったのはこの時が最初で最後だったと思う。「どうしてパパを止めないんだ。ママが死んでもいいのか。」と。。。

その顔は見る影もなく酷く、私の心は更に恐怖で固まった。


その後、母の私への執着も酷くなって行き、学校から宿題を出されている私が家で宿題をしていると、翌日には母が学校へ行き、うちの子は歌の練習で忙しいから宿題を出さないでくれ。学校の勉強は学校で完結させろと担任教師に言い渡したり、学校帰り、友達とものの三十分程遊んで帰ると、母は私を連れて友達の家へ行き、うちの子はこれから一分一秒を争う世界で生きさせますから、友達にならないでくれと言った。

家でのレッスンも二階だった団地のベランダでさせられた。母のヘアブラシをマイク代わりに歩いている人を観客とみたてて、皆々様に歌を聴かせる練習。

こんな生活。。。

私は何かおかしいと感じ始めていたのだと思う。


ある時、私は母に思い切って歌手にはなりたくないと打ちあけた。

その瞬間、母の形相が変わり、台所から手に怖いものを持ち私に突き進んで来た。

目は血走り母は本気なのだと思った。部屋の隅に追い込まれた私に「もう一度言ってみろ、言ったら。。。」

冷静な言い方だったが、余計に怖くて私は言うしかなかった。歌を続けますと。。。

それから私は母の言うとおりに学校から帰るとベランダで歌の練習。

担任教師からはお前のお母さんは怖いから宿題しなくていいからと言われた。

友達とは遊ばなくなった。

そして、私は母とは口を聞かなくなった。


ある夜。。。そう春だった。しかしまだ肌寒い夜、母は家を出ると私に言って出て行った。あまりに唐突で私は暫く呆然としていたが、急に我に返り、母を追いかける。バス停に母はおらず、バス通りを走って行くと、タクシーを探していた母に追い付いた。その歩道はまだ舗装されていなくて砂利道だったけれど、私は土下座をして母に行かないでくれと泣いて頼んだ。母は有加に無視されたらママの居場所は無くなる。もう無視はしないで。と泣いていた。私は約束をして母と一緒に泣きながら家に帰ったあの日の事は今でもハッキリ覚えている。


しかし、それから一年経たないうちに母は絶対に手の届かない所へ旅立つという事を、その時の私は想像出来なかった。

私の反抗期はほんの束の間で終わり。

そして、夏休みのある日、父に見つかってしまうのど自慢の生番組に出演する事になるのです。私は優勝した事よりも、父が初めて私を褒めてくれた事が嬉しかったし、両親が仲良くしてくれる事で、喜びを感じる事ができた。それまで夫婦の喧嘩、父からの私や母への暴言、暴力。

当時、私は子供でしたが、大人になった私が今考えると、いつも生活費の苦労が絶えかった父の苦悩もわからないではありません。

母の自堕落な性格が余計に父を苦しめていた筈です。それを証拠に昔の父。。特に関西に居た時の父の記憶はガリガリに痩せている。

父の仕事は俳優ですが、あの当時父はまだ下っ端。我が家は本来貧乏だったのです。

お昼に撮影所にある食堂の素うどんを食べる事すら躊躇する程切り詰めた父。他のスタッフや俳優仲間に見つからないように遠くの公園まで行って、公園の水を飲んでしのいだとも聞いています。母はそんな父に握り飯一つ作らず、自分は娘である私を連れて毎日のようにツケで喫茶店に通う生活を顧みる事は無かった。父は東京に来てから俳優だけでは家族を養えないとテニスのコーチまでして頑張っていました。二足の草鞋を定着させる事だって、父はかなり悔しい思いや、苦労をしたと大人になった私には分かるのに、当時大人だった母は夫を理解しようとする努力はしていなかった。しかし、父のテニスの仕事の方で少し経済的に余裕が出てきた事で先行きが見えてきて、父の心にもゆとりが出来たそのタイミングで、そして、あの歌番組のおかげで秋に月を見た夜、子供である私が夫婦の橋渡しのようになれた事。家族が一つに纏まり、機能し始め、幸せだと思い込む事が出来た。

あのままずっと仲の良い家族で居られたら良かったのに。と思っていた。


 あの時の賞品で見た月

 今も夜になると

 青白く照らしてくれる月

 月は何も変わっていないのに

 私たち家族は

 どんどん壊れてしまった

 あの時 三人で見た月

 今も私を照らす月

 夜の闇に苦しむ私の影を

 ずっとみてきた筈

 そして本当の事を知って居て

 それでも黙って

 そこに浮かぶ月




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