出会いと決別



  出会いと決別


ミュージカルの仕事の狭間、マイナーな場所で歌って居た時の事。

後に長きに渡り共に暮らす事になるパートナーと出会った。

彼ははアニメの作画監督で、ペンネームは、アン正彦と言う人。奥様が居る人ですので私とは愛人関係と言う事になります。奥様は元々、父と同じ職業でニアミスして居る人でした。今から数えて三十数年精神の病で入院生活ですから私と正彦さんが暮らし始めた頃は、ほぼ奥様不在の状態でした。彼は私より十五歳年上で、奥様は更に彼より八歳年上ですから私の母と同世代ということになります。

彼は作画の会社を当時から起していました。平成二十?年で倒産させてしまいましたが、当時彼はアニメ界でたくさんの人を育てている渦中の人でした。

彼と出会った当時、私は疲れ切っていた。どう言う場合であれ、奥様が居る以上、私と彼の未来が明るいとは思いませんでしたが、愛人になれという父の追い込みから、心を休めたかった。そして一時でもいい、誰かに守られたかったのです。本来ならどこかの時点で消滅した関係だったはずです。ところが共に暮らすようになってしまい、現在に至っています。キッカケは彼のお父さんでした。


丁度彼がフランス政府の仕事でパリ行って居る時、お父さんが倒れたのですが、緊急性が無い事から、日本に居ない彼に変わって私がお世話しました。

彼のお父さんは帝国美術大学(今の武蔵野美術大学)出身であり、フィリピン戦線の生き残り組でもあります。美大生だったお父さんは戦争時、主計に配属され、戦わないうちに上官がどんどん戦死して、愈々お父さんを含めて二班に分かれるとなった時、お父さんがその中で上官と言う立場になったそうです。結局すぐに降参。玉を一発も打たないうちに捕虜になったそうです。米兵たちも又日本兵と同じく、軍服のポケットに家族や恋人の写真を持っており、それがボロボロになっているのを見たお父さんは綺麗に絵を描いてあげた。それがキッカケでお父さんは扇風機付きの個室のコテージで絵を描いて捕虜生活したのだそうです。日本に帰還する時には酒や煙草、持ちきれない程の色んなお土産を持たされた。と言うお話を私は何度も聞きました。当時としてはお父さんは非国民でしょう。しかし、そういう時代の流れの中にあって、あの激戦地に居て、一発も球を打たなかったというお父さんの事が大好きになりました。

そのお父さんがパリから帰る彼に手紙を書いたのです。三人で暮らしたいと。。

この事が無ければ彼とは暮らしていなかったと思います。そのお父さんも暮らして一年ちょっとで亡くなってしまいました。

暮らし始める前、彼から言われた。「君のお父さんに挨拶したい。。」

私はこの様な複雑な関係を受け入れられる様な父では無いと断った。しかし、彼はこういう関係だからこそどんな事を言われたとしても大人として挨拶しなければいけない。。。と言う。

どうしても父に会うという彼に愈々本当の事を話しました。ただし、話す事が出来たのは、父と私には近親姦という暗い過去があったと言う事まででした。「もうそれ以上言うな。聞いてしまったら僕と有加のメンタルにとって良くない。」と彼は言った。

だから私もそれ以上言いませんでした。加えて彼が言ったのは君の精神は大丈夫なのか?と言う事。。

そして君は今明るいが、この問題はいつ反転しておかしくなるか分からない複雑な問題。。。それにしてもここまで明るく生きてこれた君は偉い。と。。

私は奥様のような病気にはならないように努力すると言った。しかし、彼は「心の病気になるという事は自分で気づかないといけない。自分で気づいて医者に行ける人は回復が早いんだ。気づかない人はどんなに治療しても治らない。その事だけは覚えておいた方がいい。」と言った

そして、これから二人で力強く生きようと言ってくれた。


彼との生活の中で私が学んだのは静かで穏やかな生活。奥様不在という事は至って一般的な夫婦の日常と同じ。時々奥様の一時帰宅はあるものの、おそらくご近所さんも私が本妻だと思って居たと思います。

お父さんがこの世を去ってから私は非常に感情表現が激しく、最初の頃、彼とは良く喧嘩をしましたが彼の方が十五歳も年上のせいか大人であり、私が激昂する時は自分の実年齢よりもっと下のような状態で、私が喧嘩を吹っ掛けても相手にされない事が多かった。そのうち私は自分で考え、反省し、次の日には謝るのです。彼はいつも私が気づくのを待ってくれる人でした。そのうちに私がキレる事も多少は減っていった。考えてもみれば、私の育った環境はいつもハプニング続きで穏やかな日々というものは皆無。どうやって喧嘩を吹っ掛けるかの手本はあっても、どうやって喧嘩の終息を向かえるか?知的解決の手本は無かったのです。私は彼の忍耐強さ、優しさ、穏やかさにいつも感謝するようになり、尊敬もしていた。


芸能的な仕事を一切手放した私はデパートの食品マネキンとして働き始めました。マネキンとして一年がたとうとしていたある日、仕事帰りに彼とも立ち寄る近所の居酒屋へ寄った時、女将から聞いた話。これが彼を疑った始まりでした。

女将曰く彼が仲間と飲みに来た時、仲間から私との関係を今後どうするつもりか?と聞かれた彼が実は奥様から離婚のサインを貰って居るが、私とは一時的な関係だからその事は知らせていないと聞いちゃったと言うのです。私はあり得ないと言って最初は笑っていたのですが、女将が「持ち物とか調べないの?」と聞いてきました。私がそんな事はしないと言うと、どこかに離婚届あるんじゃないの?探してごらん。と言うのです。

その頃彼は私との間に一人位子供が欲しいと言っていましたし、私も彼の子供が欲しいと思っていた。避妊はしていない頃でもあり、彼の会社経営も楽では無かったけれど、家のローンは殆ど無く、二人の年齢を考えた時、子供を持つなら今だと話しあって基礎体温を測ったりもしていましたが、中々出来なかったのです。

女将の話を聞いた私は過去に起きた悲しい出来事を思い出しました。闇の五年間の最後の出来事。。。{あの時の様に、もし妊娠したら?又別れてくれと言われるのだろうか?}結局女将に唆された私は彼の持ち物を調べてしまったのです。離婚届けは無かったけれど、浮気されていると思った。否、私が正式な妻ではないのだから、このような時どう言えばいいのか?彼の朝帰りは頻繁になっていましたが、朝、玄関前を掃除している時に彼が午前様で帰ってきても私は能天気に「お帰りなさい。」等と言っていた。彼が日曜日に出かけて行く事も多くなっていたと言うのに、私が日曜休みの時には「行ってらっしゃい」と明るく送り出していた自分が馬鹿に思えてきたのです。私は「話がある。」と言って彼に問い質した。彼から返ってきた言葉は浮気はしていない。秘密裏に恋をして何が悪い。。。

居酒屋で女将から聞いた話に対しては言った覚えがない。。。

それより人の持ち物を勝手に見るというそんな浅ましい事を君はしたのかと強く言われた。

こうなると売り言葉に買い言葉。しかし、私が一番傷ついた言葉があります。

「君はミュージカルの仕事を断って店員をしたじゃないか。」だった。

恋の相手は絵画の勉強をしているとか?奥さまは休業中であるが女優。私より前に付き合った女性も音楽系のお仕事だったとか。そして彼はさらに言った。「僕は仕事として成立していても、いなくても、クリエイティブな仕事を目指す女性が好きなんだ。家で話す会話もそういう会話がいいんだ。君は店員の話しかしないじゃないか。」

私は愕然としました。体中の血液が地面に吸い込まれていく様に感じた。彼に近親姦を打ち明けた時、父からストーカーのように愛人になれと言われていた事。それが私を追い込み、仕事を辞めるに至った事。彼からそれ以上言うなと遮られミュージカルを断った本当の理由を私は話せていなかった。それに浮気の方がまだマシ。恋などと言われた方が遊びではない様で余計に心が苦しく感じた。私は彼の恋の相手にも電話をかけキレまくりました。彼に嫌われていく事が手に取るように感じる毎日。

喧嘩や言い合いの度に目の前でどんどん壊れていく。募る焦燥感。

壊されていく位なら自分の手で壊したい衝動を抑える事が出来なかった。

何だか自分の運命が恨めしく思えてきて、彼と再び口論になった時、私はブチ切れて母の位牌を彼の目の前でぐちゃぐちゃに傷つけた。

「この女が悪いのよ。この女があんな遺言なんかするから私がこんなになったんだ!何がクリエイティブな仕事よ。」と咄嗟に手首を切ろうとしたら腕時計をしていたので切れず、私はアームカットをした。

救急車が来て乗車拒否。お巡りさんが来ても乗車拒否。今度は私服の刑事さんが二人来て説得され、やっと私は救急車に乗りこんだ。バックリ割れ、円形に広がった傷は九針縫うものでした。

これで自分の手で壊した事になる。私は正彦さんとは終わったなと覚悟した。どんなに追いかけても壊れて行く記憶との交差。自分の手で壊した方がマシだった。


処が彼は修復しようと努力してくれた。

元々、彼と共に生活して居ても私の大半の荷物は近所にアパートを借りていてそこに置いていました。それは年に一~二回奥様が一時帰宅するからです。私の住民票はアパートのままでした。彼は「君に甘えていたと思う。結婚という形をとれないが君を安心させるために住民票ごと荷物も全部引っ越してきてほしい。」と言った。

壊れなかったのです。そして彼は浮気はしていないと言った。そんな事はもう、どうでもいい。私は目の前で起きた事だけを信じようと思った。

私は腕の傷が落ち着いてからアパートを引き払い、全面的に安藤家へ引っ越す事になりました。

その時、父、母、私の家族写真を見ていて思った。幸せそうに写る家族。全部これは「嘘だ!」私は家族写真をゴミ袋に入れると同時に、ステージや舞台での写真を見て涙が溢れ出ていました。みんな幻のように写ってる。私はすべての写真も、ネガも、音楽資料も本もパンフレットも、何もかも自分の積み重ねた証しのすべてを捨てた。三十歳をとうに超えた私は母が決めた道に初めて自分の完全なる意思で「NO」を突きつけたのです。父には連絡先等一切知らせず、黙ったまま縁を切る事にした。佳代さんにも親戚にも黙ったまま縁を切る事にした。母への憎しみも消す事が出来なかった私は母の墓参りも封印した。過去に起きた悲しい出来事も何もかも記憶から消し去ろう。買ったばかりの携帯電話は他社のものにして番号を変え、アパートに引いていた方の電話は休止扱い。極親しい友人以外からは誰からも連絡がつかないようにした。

私はあの両親から生まれたのではない。どこかから湧き出たのだ。

そう思うことにしました

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