憎しみ
憎しみ
会社経営というものは、家計を動かす額とは違って、私などが考える事では追い付いて行かないものがあります。中小企業と言うものは少々の借入金があっても不思議ではない。それが健全な所からの借り入れであれば問題は無い等当時私は聞きました。バブルの頃、銀行の方から借りてくれと営業に回っていた時代もあったくらいです。ところがバブルがはじけて銀行の方も不良債権を抱えるようになり、貸し渋りや貸しはがしと言った強行手段に出るようになりました。彼の会社もそういった影響を少なからず受けた訳です。会社はピンチをむかえていました。
家のローンは殆どありませんでしたからそれを担保にと考えても、土地の価格は下落の一途。ローンを組みなおしたいと願い出ても銀行からは拒否。仕方なく家を売りに出したのです。やっと売れたのが平成八年秋。それまでの間、銀行をアテに出来ない彼は個人名義で消費者金融などでやりくりしていたようです。愈々、もうこれ以上はノンバンク。といったギリギリのところで家が売れたのです。私と彼は抱き合って喜びました。
この消費者金融、所謂「町金」に借り入れして居た事が後に救われる事になるとは夢にも思いませんでしたけれど。
次の家購入の際、様々返済をする時、買いなおす家のローンの関係上、どうしても町金に30万円程借金を残してしまいましたが、他はどうにか債務整理出来て、平成八年末、私と正彦さんは引っ越しをしました。
その頃私はデパートの食品マネキンも辞める事になる最後のお豆腐売り場で仕事をしていました。マネキンをリストラと聞いて他の売り場には行かず、我が家の経済が落ち着いた事もあって、お豆腐売り場を最後にマネキンを辞めて自宅近くの普通のパート勤めに変えました。家は中古の家でしたが、日当たりの良い高台で、仕事の時間が短くなった事で私はガーデニングを始めました。小さな庭でしたが花で一杯になって行くのを見ると幸せだなぁと思っていた。しかし、私の睡眠時遊行症は続いていて、どんどん太っていきました。一時期スポーツジムに通い、特に普通のエアロビクスと違ってブラックファンククラスが気にいって、私はレッスンを受けましたが、ある日、若い頃と同じように右足に痺れが出て病院へ行くと、やはり骨格の問題で踊りはダメですと医者から言われてしまいました。
この頃、彼が言ったのは「無理をしない方がいい。無理をするから精神的に追い込まれて、夢遊病(睡眠時遊行症)になっちゃうんじゃないの?」と。。。
結局、スポーツジムも止めて、夜中食べないように昼間に食べるを繰り返すうちに、睡眠時遊行症は出なくなりましたが、。変って出てきた症状は過食、その他に寝言(会話をしっかりする)寝笑い、片頭痛等でした。悪夢と金縛りも年齢を増すにつれて頻繁になり、二十代中盤から続いていた大腸炎もどんどん酷くなっていました。
私と彼との生活はある意味普通ではない形であっても、私にとっては凄く穏やかで普通の生活。そんな暮らしの中で私は父への憎しみを倍増させていくのです。とにかく父はテレビによく出ていた。たまたまテレビを付けたらいきなり父が出ていて。。そんな日の夜は彼に気づかれないように私は泣き狂います。何も言わず父には黙って縁を切った訳です。私は確信していた。無視することは最大の侮辱だという事。
<いつか気づけばいい。ジワジワと真綿で首を絞められるように。自分が憎まれて縁を切られた事を!気づいた時に最大のダメージを受ければいい。あいつのせいで私は色んなものを手放した。私の人生を返せ!>
と私は憎しみを募らせたのです。今幸せならそれで良い筈なのに、心に封印した怒りが、何倍にもなって出口を探すような状態。
ひとたび憎悪の気持が湧き出すと、私は決して幸せでは無かったし、そういう自分も大嫌いで自分をも憎んだ。
あの男の血が私にも流れている。そんな自分をメッタ刺しにしたい気分に見舞われ続けた。
彼との子供。欲しいと願いましたが、父への憎しみが強くなるにつれて、父が言っていた言葉が頭にうかぶ。「俺を憎むな。俺を憎めば自分を憎み、果てには自分の子供も憎む事になる。」そう言われ続けた事。それを払いのけたかったけれど、実際には、私が自分の事も大嫌いで、自分の子を愛せるかと思うと自信を持てなくなっていた。そんな時、パート先で私と同じ悩みを抱えて生きる瑞穂と私は出会った。瑞穂も又自分の体が汚らわしく感じていた時代があり、彼女の場合、若い頃性産業についたそうです。やはり「どうでもいい相手となら自分の体がどんどん綺麗になっていく感覚だった。」と彼女は言った。私は自分が特別な感覚だと思っていた事が同じだと思い、近親姦というものが稀な筈なのにこんなに身近な人と出会う事に驚きました。瑞穂の場合は恋人が出来て、その人と結婚出来た事もあって、一時期だけ幸せだったそうです。しかし、結婚までは良かったが、子供が出来て体にも心にも異変がおきたと言っていた。子供は女の子二人だそうで、上の子が生まれてご主人がおむつ替えを手伝ってくれたり抱っこしたりする姿を見て、異常な嫉妬心や汚らわしさを感じ、自分の子を愛せなくなり、そんな中、二人目の子が出来てしまい、出産後、その子も又女の子で、到頭彼女は性恐怖症になってしまい、夫婦仲は悪くなり離婚調停中。親権を押し付けあっている状態だそうで、結局子供は施設に入所させる方向で決まりそうだとの事でした。私は「お腹を痛めた子でしょ?離婚するなら何故、引き取る事が出来ないの?」と聞くと「虫唾が走る程あの子達が大嫌いだ。」と言っていた。何とも悲しい話。でも私もそうなるかもしれないと思った。もし自分に女の子が生まれたらと考えれば考える程、きっと愛せないのだろうと思うと同時にこんな悪しき遺伝子は自分の代で抹殺しよう。考えてもみれば最初から子供を持つというご縁は無かったのかもしれない。彼にはこの事は話していませんでしたが、やはりこんな関係で産めば奥様がいる以上複雑になるし子供のいない夫婦はたくさんいるのだから。と言って、子供を持つ事を諦めて貰いました。
今思うと、この時、私の中で大きな変化がある事に気づいていませんでした。
彼とは出来なくなっていたのです。子供を持とうと思っていた気持ちと遺伝子を憎む気持ち。このアンバランス。そして父への憎悪。これらによって、自分の性が歪んでいる事に全く気づいていませんでした。もしかしたらこの歪みはもっと若い頃からくすぶり続けていたのかもしれない。。そしてこの時変化した。今度は子供を持たない事に執着した。
私は瑞穂に偶然出会って驚きましたが、それでも、自分に起きた事は稀な事なのだと私の思い込みは続いていました。子供の居ない関係でも、さしずめ私の連れ子の様な犬達が子供代わりでしたが、ひとたび、子供はいらない。遺伝子を抹殺すると心に決めると私の心の闇にある悪が息を吹き返す。私は益々憎悪の鬼と化したのです。
一旦彼に激昂することが減り始めていたのに又逆戻り。それどころか私は喧嘩を吹っ掛ける時には必ず近親姦を持ち出すようになっていきました。「君はどうしてそんなにキレるのか?俺と別れたいのか?」と聞かれると「どうせ私はあの男の子供よ。あの男とそっくりなんだ。近親姦のせいでこうなったんだ。私は精神異常なんだ。」と錯乱した。
私はいったい誰に向かって怒りを吐き出しているのか?怒りを頂点まで噴き上げさせて叫んで、彼の心を傷つけ自分も傷つけました。そんな時の私は自分がもっと不幸になればいいと思って半狂乱になるのです。ところが次の日になると本当に彼に見捨てられたらどうしようかと急に不安になる。翌朝、起きてきた彼が「君は昨日、自分が言った事を覚えてるの?」と穏やかに言う。私は即座に「ごめんなさい。」と言う訳です。彼は「君はこんなに素直でいい子なのにどうしてああなっちゃうんだろうね~」と笑ってくれます。ある時は「僕は精神病の奥さんに鍛えられているから耐えられるけれど、他の男だったらとっくに君とは別れていると思うよ~」等と諭すように私に言うのです。私が泣くと「ヨシヨシ。」等と言って抱きしめてくれる。
思うに喧嘩をしたから私の中のマグマが爆発したのでは無く、父を憎むエネルギーが出口を失った時に、ちょっとしたキッカケを見つけ出し、喧嘩を吹っ掛け吐き出していた。彼はその度に私に付き合わねばならなかった。そして、いつも彼は冷静でいるのに私を見放さずにいてくれた。しかし、私が彼を癒してあげた事はあったのだろうか?と今になって思う。しかし、その頃の私にはそこまでの心の余裕は無く、自分の事で精いっぱいだったのだろう。結局、子供の頃からキレまくる父の悪い手練手管を私は父が嫌いだと思いながら真似ていたのです。
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