癒しの島



  癒しの島


彼と共に暮らす中で、私が現実に引き戻されるのが、奥様の一時帰宅でした。以前私は自分のアパートに戻っていたのですが、そこを引き払った訳で、私は身の周りの自分の存在を出来るだけ消すように片づけをして旅に出るようになりました。最初は国内を旅行していたのですが、仲居さんの見回り等、煩わしく、当時流行りだったバックパッカーをしてみる事にしました。

彼からいつも言われていたのは、私と奥様とまるで首がすげ代わる様に日程通りなのは辛いそうで、滞在費用を調整できるアジア旅行は日程に余裕をもたせる事が出来ました。

格安航空券往復を利用し、二週間程の現地での宿探しの旅は私にとっての楽しみにもなっていきました。私が好んで行ったのはバリ島で、まさに癒しの島だった。

バリに滞在中、私は毎日朝市に出かけ、チャナンというバナナの葉の籠に花が乗せてあるお供えを買います。日本では良い神様だけに供えますがバリでは悪霊にもお供えして、災いなく去って頂くのです。良い神様も悪霊も平等に扱うところがいいなぁと思っていました。

私はいくつかのチャナンを毎日買い、そこにスーパーのおつり銭替りのキャンディ等を置いて、部屋の中や出口のベランダにもお供えし、お線香を焚いてミネラルウォーターをかけ、手を合わせます。ルーム係の女性が何故祈るのかと聞くので、うちには仏壇があって同じような事を毎日してるからと言うと、ヒンズーと仏陀は友達だから、と言って、彼女は私が泊まる度にチャナンをたくさん置いてくれました。

到着日はレギャンという町に私が定宿にしているコテージがあって、そこに宿をとりますが、滞在中、転々と田舎町にも行きました。色々行ったバリのうち、私が好きだったのはロビナ。

バリのロビナという田舎町は観光地とは逆の方面で、昔オランダが統治していた頃、栄えたシガラシャという港町を地図で見て左に行った辺りで、そのまま行けばギリマヌクというジャワ島への町という特色からイスラム教の人々が多く住んでいます。時間になると拡声器で町中流れるコーラン。私は信者では無くてもコーランの陰を踏んだ音に引き込まれて、目を閉じていつも祈っていた。

当時、私は、祈らずにはいられなかったのかもしれない。それは穢れ切った時代や、その後自分を傷つけ、周り迄傷つけた罪を無意識に心の闇で感じていた筈なのだから。

ある日、ベモを乗り継いでアイルサニという天然湧水のプールへ行くと、地元の小学生達が学校帰りに泳ぎにやってきた。私の事が珍しかったのか?「どこから来た?」と英語の出来る子が話しかけてきて、私は行き当たりばったりの英語しか話せませんが、それでも子供たちとコミュニケーションはとれました。「ラーマヤナ踊れる子はいる?」と聞くと一人踊れるらしく、その子に「踊って頂戴。」と言うと、恥ずかしがって中々踊ってくれません。そこで、私が水に浸かったまま上半身を見よう見まねでラーマヤナ風に首を曲げながら目もそれ風に踊ってみせると、彼女は本気で踊って見せてくれた。「綺麗ね~素敵ね~」と言うと恥ずかしそうに彼女は笑っていた。

私は日本で、こんなに子供たちに触れ合った事はありません。他人の、しかもインドネシアの子供達なのにかわいいな~と思った。人の子をこんなに可愛いと思えるのに自分の子、遺伝子を愛せないなんて。と私は少し悲しくなった。

乗合ベモでの人の表情を見ていて、私は関西に居た頃を思い出し、あの時が一番幸せだったなぁとノスタルジックな気分に浸った。当時の関西、特に母と買い物に良く行った当時の尼崎の場末感とシガラシャの退廃的な町並みが私には重なって見えたのです。人々の表情も似ていた。

バリでは夕方になると男性たちが路地に縁台を出してチェスをやり始めます。私が西宮にいた頃、夏になると近所のおじちゃん達も又縁台を道端に出して将棋や囲碁をしていた。

同じような光景。

子供の頃の夏の西宮が重なる。

東京に出てきてからは母と二人で夏休みに新幹線に乗り、母と一緒に里帰りしていましたから、昔の夏の西宮は癒しの地でもあったのです。私はバリに行く度に癒された。母の事まで憎しみを一旦抱きましたが、子供の頃の記憶の私に戻る時だけは、母の事が大好きで、母の墓参りを封印していた私は、バリに行く度に母に会いに行っているような感覚を覚えるのでした。

日本に帰るといつも通りの生活に戻ります。しかしテレビに映る父の姿を見る度に不快な気分になる。怒りのマグマが貯まり、そして噴火を繰り返す。

こうして私の三十代は怒りと、癒しと、祈りを繰り返していました。


私が四十歳を超えた頃、相次いで犬たちが亡くなった。十七歳と、十八歳まで生きた二匹。この子たちの幼少期、私は叩いて躾をしていて、友人から叩いたらいけないんだよと教えられて困惑し、それから叩かないように努力しましたが、彼と暮らすようになってから、彼の方に懐いてしまい、私を見る目の中に自分の小さい頃の怯えた目が見え隠れし、私にとって非常に辛かった子達です。でも、私はこの子たちを最後に暴力の連鎖を断ち切る事が出来た様に思います。

そして、二匹の犬たちが亡くなった事で、遥か昔の筈だった青春が、終わったなぁと私は振り返りました。


長生きだった二匹が亡くなった直後、正彦さんはペットロス症候群になりました。普通に仕事に行くのに、夜中になると彼は過呼吸のようになり、救急車を呼んだ事もあります。まだ、若いからもう一度犬を飼ってみたら?とお医者様に薦められて、すぐに犬を飼い始めた。

この子が問題行動を起こすようになり、それがキッカケで、下の女の子をむかえ、私の人生が動き出す幕開けを迎える事になるのです。

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