フラッシュバック



  フラッシュバック


「お前のあの味が忘れられん。」老いてもまだ、父は天魔波旬のままだった。この言葉を聞いた時、私は生まれて初めて己が人あることを隠ぺいしようと思った。言われた言葉の源の息の根を止めたいと。。。


七月中旬、実家にテーブルが届き、それまで、父はベッドに座って食事をしていたのがテーブルで食べられる。部屋が綺麗になったと喜びました。


七月下旬、実家で父が「彼の会社はどうなってる?」と言い出した。「愈々、もう限界かもね。」と私が言うと「長引かせると余計に傷口が広がる。早く決断した方がいい。」と言われた。「私と正彦さんだけなら借家でもいいんだけれど家を取られると犬達がどうなるか。」と私が溜息をつくと「お金で何とかなるんだったら協力はするからね。」と父が言ってくれた。「こうやって週末に有加が来てくれるのも彼の理解のおかげなんだから。」とも父は言った。

それから私は色々考えを巡らせ、八月になり、父に買ってもらった新車が完成し、父とデパートへ初乗りで行った。正彦さんの助けになって、私の為にもなり結果、父の為にも一番良いのは?と考えると、彼の家は査定すれば土地代だけだろう。おそらく三千万円位だと予測はついている。でも売り急げば二千万円位になる筈。これを父に買ってもらえれば。。。

それに父にタダで援助してくれと言うのでも無く、この家が父のものになるのだし、古い家とはいえ父は高台のこの家の日当たりが非常に気にい入っている様だった。私としては、今後正彦さんがどうなろうと家は確保できる。そのかわり父と同居はしないといけなくなるけれど、むしろその方が父の為にも良いかもしれない。今のまま、父がお金を使い込んでいくとなると、認知症は先が長いですからいつか破たんする筈。何より私はこの頃、娘として父を放っておけないという気持ちがどんどん強くなっていた。

正彦さんの借金と言っても公的資金からの借金が殆ど。それもこの金額で倒産なのか?と言う程小規模な借金。彼自身がこれ以上は余計に状態が悪くなると先を見越しての早目の倒産です。どうもアニメ界には借金無しで会社を閉じられそうでしたし、彼は社長業だけをやってきた人ではなく絵を描いて仕事が出来る人で、アニメ界に人望が厚い事も私は熟知していましたから、その後は彼も頑張るだろうと信じていました。その上、彼は長年奥様の月々の入院費用を四十年近くも一人で支払い続けてきた人です。普通の社長が会社を倒産させるのとは訳が違う。家だって財産を引き継いだ訳ではなく、あの人が自分で築いたものです。本来ならもっと悠々自適な人生を送れるだけ稼いだ人なのです。私としても家さえ残れば犬の居場所を確保出来る。やっぱりあの子達は手放したくない。

この私の考えは、まず彼に相談しなければなりません。彼も長年やってきた会社を閉じようとしている訳です。しかも経営破綻という道程を経なければならない。慎重に話さなくてはいけないと考えました。父にこの家を二千万円で売ってくれないかと言う事。そして父の同意が得られれば、父と同居を覚悟してほしいと言う事を話しました。

彼は、この家を他人に取られる位なら、本来二千万円と言う金額は承知出来ないけれど、お父さんが買うのなら何れは有加の物になるのだし、それでも良い。父との同居もかまわないし自分の状態が落ち着けば親孝行も一緒に協力すると言ってくれた。只、お父さんが承知するのかな?どう考えても損な話では無いけれど理解できるのかなぁ。とも言っていました。

後日私は父にこの話をしました。「駄目なら駄目と言ってほしい。そうしたらキッパリ諦めるから。」。。

父は快諾してくれました。「一旦快諾して、後でやめるとなると話がややこしくなるから良く考えてからにして。」とも言ったのですが「それで有加が犬を手放さずに済むのならお金はあるんだし協力する。」としっかりした口調でした。「本当にいいのね。」と念を押し、私は帰宅して正彦さんに報告。一階の彼の部屋を父の部屋にしよう。その向こうの庭に増築し、お風呂やトイレを父の部屋続きに別で作ったらどうか?等、会社の問題とは別に話合ったりしました。

翌日の夜、父からの電話で一変。

「あなたは俺を罠に貶めようとしているな!」と凄い剣幕でした。父が言うには佳代さんの知り合いに凄腕の弁護士さんが銀座に居て、その先生に相談したら娘に騙されている事、そう言う物件を買えば借金がついてきて財産を根こそぎ取られると聞いたというのです。私はそんな事が有る筈が無いけれど、そんなに不審に思うならこの話は無かった事にしましょう。と言いました。そうすると父は更に激昂し「一旦言った事、やった事は無かった事には出来ない。責任をきっちり取って貰わないと納得できない。二千万円やるから有加がお前の名義で買え。お前が借金地獄にならなければ嘘を言っていなかった事の証明だ。今すぐ二千万円を取りに来い。」と言った。

私は面倒な事を言い出すなぁと思いました。私が買うとしたら父から貰ったお金に税金がかかる。その税金は私は払えないし、何の為に買ったかわからなくなると言うと父は「今すぐ来い。でも銀行は開いていないから明日までのお前の出方によっては二千万円やる。それで身の潔白を証明しろ。」と言い張るのです。側に正彦さんが居て、私の電話での会話を心配している様でした。

「俺はまだ現役だ。有加。俺はお前のあの味を忘れられん。俺の相手。。。」

ここで、私はそれ以上聞きたくないと思った。

「あなたはまだそんな事をいうのか!」と大声で怒鳴り遮りました。

父はあんな老人になってまで二千万円で娘を買おうとしたのです。父のした事を恩讐を超えて許した五十歳の娘を、今度は金で買おうとした。それに父の言った言葉。「一旦言った事、やった事は無かった事には出来ない。」あの親はこんな事を私に言えるのか?娘の人生をボロボロにした事を父はどう責任を取ったのだ。もし電話で無ければ、もし側に刃物でもあれば、きっと私は父を刺し殺していたに違いない。

父は「二千万円いらないのか?」と言った。私は「そういう人間だから二十年近くも、あんたを捨てたんだろうが!」と吐き捨てた。「それが親に向かって言う言葉か!」と父が怒鳴る。私は「親になんか言ってない。あんたはアルツハイマーなんだよ。今の金の使い方をしてるといつか破綻する。だけどもう関係ない。一人で勝手に生きて行け!」

私は電話を切りました。

一瞬で私の体中にムシズが走った。気がつけば、記憶の底からの「嫌な感触」。


もう遠の昔に忘れていた筈だった。それがあの言葉によって蘇った。闇の五年間。苦しんでやっと解放された筈だった。その後は辛い事や悲しい事も跳ね除け、生きてきた。どんな時も前向きに歩んでいたつもりの自分が到頭奈落へと崩れ落ちる瞬間がやってきた。しかし、過去の整理もせず、只、明るく前を向くと言う事が偽物であると言う事の証明をした瞬間でもあった。

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