第五章 心の手術

憎しみがとける時



  憎しみがとける時


いつも、目の前の事に一生懸命だった。物事を暗く考えるのではなく、悲しい事もわぁっと泣いたらスィッチ切り替えて明るく笑い飛ばして生きてきた。でも、泣く時はいつも遠い過去の記憶に戻される時だったように今は思う。


悪夢。。。

まだ、日本に竜巻なんて起こる筈がないと思われていた頃、竜巻の夢をよく見た。アメリカなんかの映像で見るぶっとい竜巻では無く、もっと細い竜巻だけれど、まるで竹林のようにあちこちに竜巻の柱がのぼっていて、その合間を逃げまどう夢。いっそのこと、巻き込まれて死んでしまいたい衝動、それなのに、生きる事が本能なのか?逃げるしかない。それが延々と続くような恐怖。汗びっしょりになって叫びながら目が覚める。リアルな悪夢だ。


まだある。まるでジェットコースターのレールのような道路を猛スピードで運転する。もし、ブレーキをかけようものなら真っ逆さまに落ちて行く。だから走り続けるしかない。でも、夢の中の私は知っている。あの雲の先のところでこの道路が途切れているって事を。もうどのみち落ちるしかないのだ。落ちる恐怖が延々続く中、私はアクセルを踏み続ける。


このような激しい悪夢を見た時は決まって叫びながら目が覚めるのだ。その声は夢の中だけでは無い。叫んだ自分の声に驚いて目が覚めた事も度々ある。彼に揺さぶり起こされた事もある。


他には不気味な悪夢。洞窟の中の牢屋に私は閉じ込められていて、そこには門番が一人いる。眼光鋭どく、あれは人間なのだろうけれど、皮膚はゲル化して居て赤みがかっている。私はその門番にいたぶられながら閉じ込められているようだ。ある時、舟が一艘近づいて来る。手漕ぎの小さな舟には船頭が居るが、暗いマントを頭からかぶって居て、男だか女だか定かではない。どうやら私は門番から船頭に引き渡されるようだ。門番が口惜しそうに私を睨み付けている。やっと、脱出できると思ったのも束の間、今まで以上に酷い処へ連れて行かれるということを船頭の不気味さから私は悟る。舟に乗り込み、今なら逃げられると思った。濁った水の中に飛び込めば中にどんな獰猛な生きものがいたとしても逃げられるのかもしれない。自分の意志で決められるのはこの舟にいる間だけだ。私は迷う。しかし、一歩が踏み出せない。私は私が飛び込めないことを知っている。しかし、迷い続ける。目が覚める。


現実の私。私のような過去を持つ女がほぼ同じように見る悪夢もある。「足音の夢」だ。私の場合は畳を踏みしめる音。この音が寝ている私の方へ近づいて来る。私は寝たふりをするが、叩き起こされる。そして。。。。。

これら同じような夢を何度も見るのだ。十代から五十代まで。歳を重ねる毎に目覚め方が激しくなっていった。叫びながら、泣きじゃくりながら。


悪夢以外では金縛り。この体験は私が十一歳の時が初めてだった。私の母が医療過誤で亡くなった直後から始まったのだ。その金縛りも頻繁になり、四十歳頃から幽体離脱と言う感覚にも苦しめられた。本当に肉体から魂が抜け出たのかどうかは定かではないが、そのような悪夢とでも思ってほしい。私が私から抜け出て、酷い時は家の外へ出て行き、時には空を飛ぶこともある。す~っと飛ぶのではない。落ちそうになりながらお腹の下に力を込めて唸ると浮上する。そうして揺られながら飛んでいく。どんどん遠くへ飛ぶのだ。どこかの空き家になっている肉体を探しながら。しかし、結局空き家になっている肉体は元の自分の肉体しか見つけられず戻ってくる。そして自分を横から見るのだ。それから天井辺りに浮かび、一気に落ちる。叩きつけられるように元の私の肉体に戻り、戻った瞬間、目が覚める。起き上がった私は夢なのか現実なのか分からぬまま自分の体を触って生きているか確かめるのだ。。。。


遠い昔、自分を横から見たような気がする。自分に起きている事を認められず、私は横から見る事で己を打ち消していたのだろうか。。。魂の消えた肉体と言うものは母が亡くなった時と同じように死んだ魚の眼をしていた記憶。。。あの時、死に体だった私は亡霊だったのだろうか。。。

 そうあの出来事。「近親姦」

2年間、私は自分の心が作りだした檻の中に閉じこもった。檻の中で私はどうしたのか?否、そんな事はどうでもいい。


父は、もしかしたら今は後悔しているのかもしれない。年老いて一人ぼっちになっているのだ。きっと後悔しているに違いない。。


一週間ほど泣き続けた私は、やっと落ち着きを取り戻し、勤め先の社長も随分と心配してくれました。父との経緯を大まかに知った社長は「お父さんがどうの。という事では無く、認知症は大変なんだよ。有加ちゃんには病気の犬たちが居て仕事があって安藤ちゃんとの生活がある。そこへ父親の事が入ってくるとなるとどれか一つ削らないと無理ではないか?少なくとも、引き取ったりする介護は諦めた方が良いと思うよ。」とアドバイスしてくれました。

散々考え、正彦さんに落ち着いて話せるようになった私は父を許そうと思う気持ちを話しました。彼も、その事には理解を示してくれました。私は福祉課の方達四人で話合う迄まだ日がありましたので考えた。思えば縁の薄い親子だった。二十歳の成人式までと、私が二十代中盤、再会してから四年程の臭いものに蓋をした親子交流。その後四年程の父からの精神的被害、最後の方は劇場で会った以外は電話での交流だけだった。まぁ、交流とはいいがたかったけれど。。


私は幼い頃から父の事が大嫌いで、父に関わった時期の大半の私は不幸でした。それでも私は父に会おうとしている。血の繋がりとはそういうものなのだろうか?

母との縁は私が十一歳までのもっと短い期間だった。

そして私は自分の遺伝子まで憎み、子供を持たない人生を選んだのです。私の人生は本当に肉親に縁が無かったと思った。


練馬に住む私と世田谷に住む父と、ほぼ環八一本で繋がっている。一度、実家付近まで車で行ってみた。夜間、道が空いていれば、三十分程で到着してしまう距離。ずっと長い間、世田谷はこの地球上で一番遠い場所だった。

部屋に灯りはついていました。暫く車を止めてハザードを付けて、この団地に引っ越してきた時の事を思い浮かべ、涙が溢れた。私が小学校四年の冬休み。あの時、こんな人生が待ち受けているとは思わなかった。母に出て行かないで!と泣いた砂利道の出来事や、三人で月を観た夜の事、母を病院へ送り出す前のお正月の団欒、そしてどんどん壊れて行った。。。

しばらくそんな事を考えてから、私は元来た環八を通って家に戻った。

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