第43話 国際結婚まとめ


 オハイオに来て「思えば遠くに来たもんだ」という言葉が浮かんだことがある。結婚して28年オハイオで暮らし始めて10年になった。


英語も母国語のようにとはいかないけれど、不自由しなくなった。(相変わらず間違えるけど)風習にひい~~っと驚くこともなくなった。反対に日本の風習を忘れていて「そうだっけ?」と驚いたりする。


 夫は日本が大好きで自分でリクエストを出して日本に来た。それでも日本の習慣で困惑することも多かったと思う。

結婚してはじめは日本に住んだのだが、外国人ということで家を借りるのも大変だった。それから旅館などの旅行の予約も外国人同士ではだめと何箇所も断られた。 

私も日本に住む日本人でいながら、外国側の目で見なければ、知らないこともとても多かった。


結婚前、渡米前の書類の多さも大変だった。

大使館も何回も行った。警視庁(犯罪の記録がないか)病院の検査は指定病院で料金も高かったように記憶している。


米国に渡ってからは今度は私のほうが文化の違い、風習の違いに戸惑った。

初めてのアメリカはアイダホの荒野だったので、この頃は言葉もわからないことが多かったし、なにもかも初めてで、帰ることばかり考えていた。 何かといえば「日本に帰る~~」

寂しくて、辛くて、この時もよく泣いていた。

今では毎日大笑いしている我が家ですが、いろいろなことがあった。


結婚して知らないことがあまりにもあり困惑した日々。

アメリカで慣れない風習に涙した日々。

突然病に倒れ闘病した日々。


いつでも家族がサポートしてくれて、そのおかげで乗り切ることができたと思う。


23年たち、アメリカ生活もすっかり慣れて、国籍を取り、お互いにいろいろ理解できたかなあ?と思っている。


何よりも大事なのは歩み寄ることだと思う。これは日本人同士でもアメリカ人同士でも全く同じだと思うのだ。

お互いをたとえ理解できない部分があっても(理解しようと歩み寄る気持)が大事だと思う。


理解できないこともたくさんあるし、自分はできない!と思っても

 

「そうなんだ~」と認める心が国際結婚を維持していくコツかなかなと思う。そして、それはどんな形の結婚でも同じなのだと思う。


これからも、どこの国に住むとしても、夫と息子がいるところが私の世界と思っている。 

息子にもいつか家族が増えた時、どこの国のお嫁さんが来ても夫のママが私にしてくれたように、抱きしめてI love youと言ってあげたい。

そして夫と一緒に歳を重ねていきたい。


「今日も惜しい!!」と笑いながら。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

楽しいアメリッジ 国際変な家族のおかしい話 タミィ・M @lovecats

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ