第21話 911同時多発テロ


2001年9月11日


あの日は息子を学校へ送って行き、また砂漠の一本道を急いで帰った。当時の楽しみのテレビのために。カップルが登場して番組内で大げんかする(ジュリースプリンガーショー)という非常に低俗な番組にはまって、それを見るために急いで帰ったのだ。


テレビをつけると映っているのは飛行機が飛んでいる所、あれ?と思ってチャンネルを変えるとどの局も同じ映像で、ビルにぶつかる映像。

新しい映画のプロモーションかなと思ったのだが、すぐに本物のニュースとわかり驚いたのを覚えている。


あっという間に2つ目のビルの映像が。 慌てて夫に電話すると、

「今聞いた所、非常事態だよ」

どうしたら良いのかわからず、とりあえずニュースをずっと見ていた。

学校から早退の連絡はないし、午後になるまで待って迎えに行くと、お母さん方はその話題で持ちきりだった。


この日先生がたは低学年の息子たちにとてもわかりやすく説明してくれた。当時まだ小学1年生だった。

「先生がね、悪い人がアメリカをアタックしたって。だからお休みになるかもしれないからって」そんなふうに言っていた。


親への連絡として「あまりテレビ映像を見せないように」との連絡もあり、すぐに全アメリカの学校に連絡が行ったようだった。これは本当にアメリカの良い所だと思う。


 その日ペンタゴンも襲われたことから、どこの基地も標的になりうるという非常事態が出されて、とても怖いと思った。思わず空を見上げたら、雲1つない青空で、こんな平和な景色が一瞬で変わることも起こりうるのだと。


今だから言えるけれど、翌日この基地からも半分人が消え、NY入りした。その日を境に私の気持はアメリカに寄り添うようになった気がする。


もう限界だったアイダホ生活。日本に帰りたい。そればかり思っていたが、ここは夫の国。そして嫁いだ国なのだ。

アメリカを傷つけられて、はじめてとても愛していることに気がついたような気がした。

皮肉なことに数ヶ月でアイダホからまたY基地への異動が決まった。

911の前、特に冬の間は限界に近かったように思う。氷に閉ざされた土地での生活は辛く、夜ふらふらと家を出て行ったこともある。

「日本に帰る」と言いながら、歩いて。

その時は息子の声ではっと我に返り、慌てて家に戻ったけれど、ソファーに座ったまま何もできないような日もあり、鬱になりかけていたのだと思う。


いつもなにかしら変なことを言って大笑いしてウルサイ妻がおとなしい。おとなしいどころか塞いでいる。

夫もこれは大変だとかなり真剣に異動手段を考えてくれたのだった。


ちょうど元のフライトの職場にポジションがあったので移ることができた。

また日本に行けるなんて!!と大喜びした。

大喜びした日本で乳がんが見つかりすぐにまた米国に来ることになるのだが、今思うとここの生活のストレスだったのではないかなあと思う。

それほど、この時の生活は私には過酷だったのだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る