第22話 ネバダで死にかけた話
2001年の冬。 アイダホから横田への移動が決まった。
引越し業者が入り、箱詰めが始まった。私たちは嬉しくてそんな作業も苦にならなかった。
「嬉しそうだね、次はどこに行くの?」地元の業者さん。
「日本なの!私日本人なの!」
「そうなんだ!俺日本語のタトゥーあるよ」と腕をめくるとそこには
【きちがい】と彫ってあった。
「…Crazyって意味だね」
「そうだよね!良かったよ!合ってた! 」
合ってるけど、合ってない……っていうか変。
【狂気】とかだったら、もっと良かったね、おにいさん。
そんな野暮なことは言わず引っ越しの用意をし、楽しく荷物を送り、いよいよ出発。
夫の母のいるカリフォルニアに寄ってから日本へ行こうと、車でアイダホからネバダを通りカリフォルニアに行くことにした。 8~10時間くらいだと思う。このくらいなら車で行くことも多い。
ネバダ、カリフォルニアと聞くと暑いイメージがあると思うが、山脈もあり冬のこのあたりは極寒だ。大きな国道は毎年凍死者がでたり、閉鎖になる。 突然、気候が大荒れになる。
この日はとても良いお天気で、少しでも遠くまで行こうと5時間ほど運転のあと、あるネバダの町で休憩をして、さてまた出発というときに、なぜか息子がこの町で泊まると大泣きしはじめた。
それまでは全く普通で疲れてもいなかったのに、なぜか
「絶対に行かない!!」と泣くのを、わがまま言わないのと無理に出発したのだが、このときこの町に泊まればよかった。
私と夫は夜も更けていないし、まだ疲れていないし、もう少し先まで進むことにしてしまったのだ。
子供の直感を信じるべきだった。
ここから30分も行かないうちに、なんと、あっという間に吹雪が襲ってきた。
荒れ狂うという言葉がぴったりな吹雪。とにかく真っ白で何も見えない。上から横から雪が襲ってくる。突風で下からも拭き上げる。
前のほうで事故があったようで、車が全く進まなくなった。
ものすごい風でたたくように降りつける雪というか、もう氷の塊だ。
少しドアを開けると、突風でそのまま飛んでいきそうになる。 タイヤもどんどん埋まっていく。
「さっきの町まで引き返そう」
これが大失敗だった。
どこもかしこも真っ白で道が分からない。ユーターンをしたとたん道路を外れてしまった。
がたんと音がして道路から少し落ちて、そのままどうにもこうにも動かなくなった。
今のようにどこでも通じるような携帯電話もなく、大慌てでパニックに。 外は真っ暗で真っ白。 ごうごうと荒れ狂う天気。
あっという間に車のタイヤの上のほうまで雪で埋まっていく。
夫は外に出てタイヤ周りの雪を掘っていたが、全く動く見込みがない。
「このままでは閉じ込められる、なんとかするよ。前に停車してる車まで歩いてみる」
と夫は強風の吹雪の中を出て行った。かなり前方に車が止まっていた。
このときにはもう閉じ込められて数時間たっていた。 食料品も水分もなかった。
1日くらいなら、なんとかなっても、この雪がやむ気配はなかった。
それにガソリンがなくなったら、暖房も付けられない。このときの恐怖。 誰か、息子だけでも助けて欲しい。
夫は他の車が止まっている前方まで歩いて行き、途中で見えなくなった。
心配になり、ドアを開けて見ると、氷の塊のような雪が顔にバチバチ当たってひっぱたかれているようだった。
「誰か」と口を開けたとたん、口いっぱいに氷の塊が入ってきて話すこともできない。
これは癌になる前の話で、このとき初めて(死)を意識した。
恐怖で震えながら、ついに
「神様!!!助けて!!!」と思った瞬間。
その刹那に隣に車がキューと止まったのです。この車はどこから来たのだろうと不思議だった。
「どうしたの?」とのんびりした声がします。
「車が道から落ちてしまって、動けなくて、それに夫が外を歩いて助けを求めに行って…でも無事か分からないのです、助けてください」
と口に氷が入りながらもなんとか伝えた。
「それは大変だ、こっちの車に移って」と私と息子を乗せてくれた。
息子を覆うようにして飛ばされないようになんとか、その方の車へ。
車の中には奥様と小さな黒い犬。 それから大量の聖書が置いてあった。
その方はなんとチャーチの神父だった。
「あ、聖書ね、適当にどかして座ってね」すごく気さくなご夫婦。
「この辺はとても危ない場所で毎年、車が埋まって凍死する人がたくさんいるんだ、危なかったね」と
そしてかなり前方まで歩いていた夫も拾ってくれた。やはり途中で前かがみになったままだった。車に乗り込み、真っ青でガタガタ震えていて、手も足も感覚がなかった。 これでは自分たちの車まで戻れなかったと思う。
それほどの寒さなのに、その方は薄着で(確かセーターも着てなかった、ネルのシャツ)
「前方の様子を見てくるよ」とひょいひょいと車を降りてしまった。
数分後、あまりにも心配で
「あんな格好で大丈夫ですか?」と聞くと奥様はにっこりと、
「He is OK 慣れてるからだいじょうぶなのよ」とおっしゃった。凍死するような吹雪なのに。
そしてまた、ひょいひょいっと戻ってこられて
「前のほうに車を引っ張るトラックが止まってるからそこまで行く?」と連れて行ってくれた。
トラックの方に乗り移り、そのトラックが車を引っ張ってくれて、無事に次の町まで行くことができたのだった。
お礼は何回も言ったけれど、それほどの命の恩人の住所も聞いていないどころか名前さえ覚えていない。
助けて!!と思った瞬間に(キーッ)と横に車が止まった、あのタイミング。
私は今でも時々、あの方は神様だったのではないかと思っている。
あまりにも気さくなご夫婦だったけど、本当に人間だったのだろうか?と
あれは、現実だったのだろうか?とも。
夫も息子も覚えているのでもちろん現実なのだが、すごい経験をしたと今も思っている。
神様に命を助けられた日。絶対に忘れられない。心から感謝している。
命からがらたどり着いたネバダの次の町で一番近いモーテルへチェックインした。
古くさい、きしむベッドに倒れこんだ時に
「うわああベッドってなんて気持ちが良いんだろう!」と感動した。
モーテルなんて狭いとか汚いとか今までどれほど文句を言ったのだろうかと反省した。
暖かく、食事や飲み物もあり、なによりシーツの掛かったベッドがある。もうそれだけで十分だと。この時の気持を何故覚えていられないのかなと思う。
今はまたホテルに泊まると「あー狭いねー失敗だねー」なんて。人間って忘れっぽい。
カリフォルニアに到着し、夫ママに事の顛末を伝えると
「キャ~~~~怖い!!あなた達がポプシコ(硬いアイスキャンディー)にならなくてよかった~!」と大騒ぎだった。本当に危ないところだったけど
ポプシコって!
「きっと神様だと思う、助けてもらったの!」と言うと「うん、そうかもしれないね」と言ってくれた。
カリフォルニアでしばらく過ごした後、サンフランシスコ空港から飛行機に乗り、成田空港へ到着した。
雨の降らないアイダホに慣れていたので、空港を降りた途端、冬なのに湿度をすごく感じた。迎えに来てくれた基地の友人の車に乗り込み、東京の町を眺めながらY基地に到着。ここからしばらく基地内のホテル暮らしだ。
本当に帰ってきたんだなあ、と胸がいっぱいになった。
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