第23話  夢にまで見た日本で


 命からがらたどり着いたネバダの次の町で一番近いモーテルへチェックインした。

古くさい、きしむベッドに倒れこんだ時に

「うわああベッドってなんて気持ちが良いんだろう!」と感動した。


モーテルなんて狭いとか汚いとか今までどれほど文句を言ったのだろうかと反省した。

暖かく、食事や飲み物もあり、なによりシーツの掛かったベッドがある。もうそれだけで十分だと。この時の気持を何故覚えていられないのかなと思う。

今はまたホテルに泊まると「あー狭いねー失敗だねー」なんて。人間って忘れっぽい。


 カリフォルニアに到着し、夫ママに事の顛末を伝えると

「キャ~~~~怖い!!あなた達がポプシコ(硬いアイスキャンディー)にならなくてよかった~!」と大騒ぎだった。本当に危ないところだったけど

ポプシコって!


「きっと神様だと思う、助けてもらったの!」と言うと「うん、そうかもしれないね」と言ってくれた。


カリフォルニアでしばらく過ごした後、サンフランシスコ空港から飛行機に乗り、成田空港へ到着した。

雨の降らないアイダホに慣れていたので、空港を降りた途端、冬なのに湿度をすごく感じた。迎えに来てくれた基地の友人の車に乗り込み、東京の町を眺めながらY基地に到着。ここからしばらく基地内のホテル暮らしだ。

本当に帰ってきたんだなあ、と胸がいっぱいになった。


’’’’’’’’’’’’’’’’’’’(ここは省略か?)↓



やっと帰ってきた愛する日本

「早めに車を買おう」と友人のYナンバーの車を借りて中古車に乗り入れると

「Yナンバーには売らないよ!」と言われた。すごくショックを受けた。以前に何かトラブルがあったのだと思うが、夢にまで見た愛する日本で最初の買い物はこんな残念な結果になってしまった。

この異動の条件の一つに長い出張があった。異動届のような書類を見ながら話し合った。

「何回か出張になるかもしれないけど、それでも日本に帰りたい?」

「帰りたい!」

 

 その頃は別居して日本に帰っている日本人妻もいたくらいで、日本に帰れるなら出張なんて良い!と思っていた。

だが、実際に夫と離れて小学1年の息子との生活も、大変だった。


基地内のアパートメントに引っ越した後、荷解きもできずに出張に行ってしまった。私はぐちゃぐちゃの家で毎日箱を開ける日々。こちらの引っ越しの箱はとんでもない大きさで、人間が立って入れるくらいだ。


それを開けて中身を出して、箱をつぶして地下にあるゴミ捨て場まで持っていくのだが、人間大の畳んだ段ボール箱はすごく重くて、片手は子供の手を引いてヒーヒー言いながら下ろした。

なぜ子供を連れて行くのかというと、基地のルールは厳しく6歳の子供を置いて外に出てはいけないのだ。

日本では当たり前の(お留守番)も(鍵っ子)も児童虐待で逮捕される。


 それから学校も最初は馴染めなかったので、私がボランティアとして教室に入るようになった。子供はスクールバスで学校へ。その後基地内を巡回するバスで学校へ行き、教室内のサポートをした。先生からのレターをコピーしたり、採点をしたり、手のかかる子供の世話をして先生が授業を続けられるように、などがボランティア内容た。一番大きな仕事は通訳だった。社会科見学は基地の外で、そこで通訳をした。忙しいけれど充実した日々だった。

 しかし、毎日の荷物の整理と学校の仕事でくたくたになり、ある日体調を崩し倒れてしまった。

母が近くに住んでいたけれど、テロの数カ月後の基地内に簡単に入ることができなかった。やはりここも異国なのだった。

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