記憶 6
廃ホテルを包囲した人数は、自分を含め八人と一匹……
これを多いと見るか少ないと見るかは、結局こいつの力次第か――胸中に呟きながら、穐田は異形と化した男の背中を眺めた。
土田莞ニ、とかりそめに人の名を名乗ってはいるが、穐田は彼を人と見たことは一度もない。
彼らがこれから仕留めるべき相手も、土田と同類の化物だ。しかも、
(冗談ではない)
穐田は短くなった煙草を足許に落として踏み消した。
危険極まりない。ミサイルが自らの発射スイッチを持ってうろついているようなものではないか。道具は人の手で用いられてこその道具なのだ。
《ベラドンナ》は、君嶋博士が己の目的のためにマインドコントロールを解いたのだというが、それは、他のMにしても同様の処置が施せる――あるいは、何かの拍子で今の彼女と同じ状態になり得るということをも示唆していた。
要するに、穐田はMが信用できない。それは、実際に戦場で命のやり取りをする者にとっては、生理的嫌悪以上に重大なマイナス要因であった。
とは言え、ただの人間である穐田たち八人だけで立ち向かうには《ベラドンナ》という標的はあまりにも強力すぎた。Mに対抗するには、やはりMを使うしかないのか。
「貴様なら勝てるか? 《バードイーター》」
半ば意識的に、穐田は「土田」という呼び方を避けた。
「さあ、どうでしょうか」
土田はとぼけたように言った。
「身体能力も経験もわたしの方が上。これは、自負ではなく数値として導き出せる単なる事実です。さらに言えば、我々が追い込んだ廃屋という舞台――あちらは自分で選んだと思っているかもしれませんが――は、私にとっては戦いやすい場所です」
つまり、地の利も土田にあるということだ。
「なら、何を恐れる?」
「ここまでの条件は、伊達も同じでした」
そう指摘されて、穐田は黙り込んだ。
たしかに。穐田が伊達を単独で先行させたのは、まさかロールアウトも済ませていないようなMに彼が敗れるとは思っていなかったからである。
「手傷は負わせたようですが、彼女の自己修復能力を鑑みれば、その程度も推して知るべし、と言ったところでしょうか」
「だが、今回は我々もいるぞ。伊達のように一人で戦うわけではない」
「失礼ながら、穐田主任。あなたはMをご存知でない」
「なんだと?」
冷笑的な物言いが、穐田の勘に障った。
「Mは怪物です。人外の」
そんな事はとっくに知っている、と穐田は内心で吐き捨てた。
「Mは恐ろしい。我々は《ベラドンナ》の育成プログラムと実験データを頭に叩き込んでいますが、それで彼女のすべてを知ったわけではない。君嶋博士が秘匿していた能力があるかもしれないというのももちろんそうですが、追い詰められることで初めて目覚めるものもある。それは、既存の能力を応用した新戦法かもしれませんし、繰り返される実験や訓練により偶然発現した、本人もまだ気づいていないまったく新しい能力かもしれない」
「何が飛び出すかは予測がつかん、ということか」
「そうです。故に、Mは恐ろしい」
恐ろしいと言いながら、土田の表情は楽しげだった。
「そういうわけで、M同士の戦いに、人間であるあなたがたの居場所はありません」
「足手まといだから遠くで見ていろと、はっきり言ったらどうだ」
「いいえ」
土田はゆっくりとかぶりを振った。
「足りませんね」
「足りぬだと?」
問い返した次の瞬間、土田の姿が視界から消えた。
「な――っ」
穐田の左右から悲鳴があがった。見ると、彼の部下たちが首筋から鮮血を吹き上げ、支えを失ったマネキンのように倒れていくところだった。
「土田ァ! どこだ!」
叫んだ穐田の背後から、顔の横に赤く濡れた爪が差し出された。
「あなたがたには、この世にすら、居てもらっては困るのです」
勢いよく、爪が後ろに引かれる。
――なぜ?
前のめりに倒れる穐田の頭の中を、疑問符が乱舞した。
なぜ、俺が――俺たちが殺されねばならない?
なぜ、Mが人間を攻撃する?
一方で、この唐突な成り行きに奇妙に納得している己がいた。そら、見るがいい。やはりMなどというモノは信用ならん――と。
「……奴か……? 長田……奴の、意思……か……?」
土田は長い腕を一振りして爪についた血を払った。
公安の密偵――穐田の正体などとうに感付かれているとは――というより、知った上でA.D.A.はそれを利用しているものと思っていたのだが、その認識は甘かったということなのか?
「やれることは先に済ませておこうと思いましてね。なにしろ、彼女は強い。わたしも勝てるかどうか判りませんから」
土田は、歯を見せてにたりと笑った。
「口封じ……それとも……見せしめ……か……?」
「概ねその通り、とだけお答えしておきましょう。あなたが研究所で知り得たこと――あなたはなんとも思っていなくとも、あなたの報告を受けた方々がどう判断するかは別ですからね」
君嶋の反乱。穐田は単なる内輪もめの類と考え、あまり深く追求するつもりもなかったが――そういえばあの日、別室で聞いた長田と君嶋の会話には、復讐がどうのという言葉が混じっていた。それが何か関係しているのだろうか? 自分は、気づかぬうちにとんでもない事に巻き込まれてしまっていたのだろうか?
「貴様ら……は……何……を……」
「秘密です」
土田の足音が遠ざかっていく。首の傷を手でおさえたが、血はあとからあとから溢れて止まらなかった。
(畜生……俺は死ぬのか……)
じわりという恐怖が胸に湧き起こり、それは瞬く間に全身に広がって、突き上げるような衝撃となった。
(こんなところで……ワケの判らないまま……!)
穐田は叫んだが、その声はごぼごぼという音にしかならなかった。
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