第五章 怪物(モンスター)
怪物 1
「智慧クン。ぼくが今、どんな顔をしているかわかるかね?」
システムダウンから一時間が経過しようとしていた。
状況に改善はまったく見られない。中央塔は完全に沈黙しており、長田らのいる一室で飛び交っていた怒号は、かすれ声にその座を明け渡しつつあった。
「いいえ。見えませんから。ですが、所長がどんなことをお考えになっているかは大体わかっているつもりです」
「すごいね。超能力かい? エスパー?」
「そうやって、埒もないお喋りを続けながら、頭の中ではまるで別のことに思いを巡らせていらっしゃるのでしょう?」
暗闇に閉ざされた空間で、ほとんどの者が冷静さを欠いている中、研究所所長とその秘書だけが、いつもとまるで変わらぬ口調で会話していた。
「怖いねえ。どうしてきみにはわかっちゃうんだろうねえ。やっぱりエスパー?」
「ちがいます」
最近のお気に入りなのか、長田はやたらとエスパーを繰り返したが、智慧の反応は冷たかった。
「まったく」
長田は悲しげなため息をついた。
「きみにはジョークで人生に潤いを持たせようという発想はないのかね?」
「おっしゃる意味がわかりませんが」
智慧はスーツの袖をひっぱって腕時計を確認した。丸い文字盤には蛍光色を発する針が三本浮かび上がり、現在の時間を表示していた。
「所長、そろそろ……」
「だねえ。
智慧以外には届かない声で、長田がそう呟いた時だった。
突然、長田の正面の壁に、巨大な男の顔が現れた。
『遅くなりまして、申し訳ございません』
「いや。ちょうど呼ぼうと思っていたところだよ」
長田が破顔すると、それが見えているのか、男はわずかに眉を動かし、それからかしこまったように頭を下げた。
壁面のモニタは、やや画像が乱れていたが、男の特徴は見て取ることが出来た。年齢は二十代後半から三十代前半、肌は青白く、切れ長で鋭い目つきをしており、ラバー素材のコートを着ている。
男の名は淡海
そして同時に、A.D.A.中央研究所出身の――Mでもあった。
彼は、自らの所属する組織の本部から研究所のコンピュータにアクセスし、画像を送り込んでいるらしかった。
「さっそくだが、ここのシステムを復旧してもらいたい。――と、言っても、こうして話をしているということは、それもほぼ完了していると思っていいのかな?」
『はい。少々お待ちを』
そう言って、淡海が何かを操作するように手を動かした。すると、数秒の間を置いて、部屋の照明が再び点灯し、あちこちで端末が再起動する音と歓声が起こった。
「んっ、ご苦労」
長田は満足そうにうなずいたが、淡海の手の動きは画面に映らなかったので、彼がいったい何をどうしたのかは、ほとんどの者にとって謎のまま残った。
「――さすがですわね」
「それはそうさ。彼はぼくの作品だもの」
目をみはる智慧の額に汗が浮いていた。電子機器や電気製品に干渉するのが淡海の能力である。それも、単に機械をコントロールするだけでなく、データやプログラムの破壊、改竄、修復も思いのままという。あらゆる情報がデータベース化された社会において、ある意味もっとも恐ろしい能力と言えるかも知れない。
彼の能力の全貌を知る者は、実のところ長田以外には存在しない。智慧だけはかなりの部分を把握していたが、淡海が所属する電脳テロ対策室などはその半分も知らされていなかった。あそこの連中は、淡海を単なる凄腕のハッカーぐらいにしか認識していないだろう。
騒々しい足音を立てて、数人の男たちが部屋になだれ込んできた。先頭で血相を変えているのは穐田だった。
「所長、ご無事でしたか?」
「おかげさまでね」
長田に笑顔を向けられて、穐田は複雑極まりない表情を作った。
「ここはいいから、穐田クン、地下のアレの様子を調べてくれないかな?」
「は……それはどういう――」
「大きな声では言えないが、このトラブルは君嶋クンの仕業なんだよ。となれば、彼の作品であるあの子が呼応するように行動を起こすという事もあり得るというわけさ」
ね、と長田は片目をつぶった。その言葉が穐田の脳に浸透するまで若干の時間を要した。理解に達するや、穐田の全身に緊張が漲(みなぎ)った。
「全員――俺に続け!」
がっしりとした肩を翻し、穐田はすぐさま部屋を飛び出した。大またで歩きながら、インカムを使って十階の管制室と連絡を取る。
驚きはしたが、それで行動不能に陥るような失態は見せない。修羅場は嫌というほどくぐっている。穐田はただの人間だが、荒事にかけては彼もエキスパートであった。
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