記憶 3
『……やはり伊達はやられたのか』
通信機から聞こえてくる穐田の声に、土田は「ええ」と返した。
伊達と有里の決着から十分後――
戦闘の現場に到着した土田は、そこに残された情報を分析して穐田に報告した。伊達同様、彼も白衣を脱ぎ、有里が戦闘訓練で身につけていたような、身体にフィットした伸縮性素材の戦闘用スーツ姿になっていた。
「かなり激しい戦闘だったようですね。血痕の量から見て、《ベラドンナ》も相当の手傷を負ったようです。もっとも、常識で判断するのは危険ですが」
『どういうことだ?』
「相手は再生能力に優れる植物タイプのM――しかもあの君嶋浩平の遺作です。希望的観測は不幸な結果しかもたらさないと思ったほうが良いでしょう」
『敵は万全の態勢にあるものと心得よ、ということか』
然り――土田は口許をひきつらせた。これは、彼が心底楽しんでいる時の笑みだった。
『貴様の糸は?』
「切られています」
『よし。ならば、一旦合流ののち、ポイント八〇七に急行する』
「文字通り、網を張るわけですか」
有里たちが消えたとおぼしき方角を、サングラスごしに見やりながら土田は言った。
「了解です。不得意な分野ではありますが、最善を尽くしますよ」
「不得意な分野、ときたか」
通信を終え、穐田慎也は渋面のまま新しい煙草に火をつけた。
(M風情が、冗談のつもりか)
人造人間――それも、兵器になりうる能力を有するM――を開発する機関であるA.D.A.は、独自に動かせる武力兵力の類を持っていない。
では、穐田たちセキュリティ統括部とは何なのかと問われれば、彼らは政府から公安を通して派遣されたエージェント集団である。
彼らの主任務はむろんのこと研究施設の警備であるが、もう一つ、内に向けられた監視の目――すなわち、A.D.A.と長田光を危険視する政府関係者の密偵という役目もあった。
隠微で危険な任務である。並みの者では務まらない。穐田は傭兵あがりである。この国では数少ない、本物の実戦を体験した人間である。
その経歴を買われ、やって来てみれば、実情はなんとまあ、退屈な職場であったことか。
国家機密だか列強への切り札だか知らないが、このような山奥に引き篭もって薄気味悪い実験を繰り返す科学者と、彼らが生み出す気味の悪い怪物ども。たしかにこれが暴走したりすれば大ごとで、そのために軍隊並の武装を許可されてはいるが、そんな事はそうそう起こりえない。くる日もくる日も、同僚をのぞけば拝めるのは陰鬱な――さもなくば熱病に浮かされたような科学者連中の顔ばかり。女性職員もいるにはいるが、上玉は片手で数えられるほど、しかもめったに会えないか常に野暮ったい格好をしているかのどちらかときた。それでも時は容赦なく過ぎ、せっかくの腕と装備もここの淀んだ空気に毒されて腐っていくのではないかと思われた。
それがいきなり、機関ナンバーツーと目される科学者の反乱である。
ようやく与えられた活躍の場に穐田は勇躍したが、すぐに失望が訪れた。万が一の事態に備えて二体のMを指揮下に置くようにという、長田所長の要請があったのである。
穐田にとって、研究所で過ごした時間は、Mとそれを造る科学者への嫌悪を育てていたに等しい。今思えば、穐田をA.D.A.に送り込んだ連中も、そうした性分であればこそ、相手方に取り込まれる心配もないと計算していたのかもしれない。
対面した二体のMは、予想通りと言おうか、到底好きになれそうになかった。
伊達はまだいい。凶暴で粗暴という個性は、傭兵稼業をしていればさして珍しいものでもない。だが土田は違う。慇懃な態度の裏にある非人間的な部分が、時々どうしようもなく見え隠れする。ことにそれは、冗談を言ったり笑ったりするような、極めて人間的な態度を取ろうとした時に顕著になる。
(いくら人の皮をうまくかぶったところで、しょせん貴様らは――)
さらに始末に悪いことに、土田と伊達の身分は、穐田と同じく公安所属のエージェントであった。たまたま調整のために研究所に戻っていたとのことだが、本当のところは定かではない。
忌み嫌う怪物と同じ肩書きであるという事実には吐き気すら覚えた。ここでは立場上穐田が上官で彼らは部下だったが、そんなものは気休めにもならない。
ともかくも、こんな事は早く終わらせるに限ると、穐田は腹の底から思った。
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