怪物 5

 花に似ている、と伊達は思った。

 無骨な彼には種類まで言い当てることは出来なかったが、空気中にかすかに残っている芳香は、たしかにその系統に属していた。

(それもそうか)

 彼の追っている少女が植物をベースに用いたMならば、彼女の体臭が花の香りに似ていてもおかしくはない。

 つまるところ、花とは植物の生殖器官だ。繁殖のために、色鮮やかな花弁と香で昆虫等を引きつけ、受粉の手助けをさせる。香とは、彼らが種を存続させていくためになくてはならないものなのだ。

(だが、その香がお前の首を絞めることになる)

 伊達はにたりと笑った。すると、太く鋭い牙がむき出しになる。

 鼻腔をふくらませて、伊達は彼女の痕跡を吸い込んだ。彼の嗅覚は、常人の数十倍――特に敏感な匂いであれば数百倍の感度を誇る。足跡を残さないために彼女が時々木に登っているのも、まるで見えているかのようにはっきりと判る。

(所詮は生まれたての小娘だぜ。浅知恵とすら呼べたもんじゃねえ)

 今夜の獲物をどうやって引き裂こうか思案しながら、伊達は追跡の速度を上げた。

 彼の素体は虎――森に君臨する獣の王である。

 絡み合う蔦も、枝を広げる樹々も、彼にとっては障害の名に値しない。だが、彼の獲物にとってはどうか。

 一秒ごとに彼女との距離が詰まっていくのが感じられる。森を逃走路に選んだ時点で、彼女の運命は決したと言ってもよい。

(いや……追っ手に俺がいたことが、あの小娘にとっての不運といったところか)

 伊達たちに与えられた任務は、目標の抹殺ではなく捕獲である。だが、任務達成が困難である場合には、各自の判断で柔軟に対処すべしとのことであった。つまり、相手におとなしく捕まる気がなければ殺してしまっても構わないということだ。

(まあ、もっとも……)

 聞くところによれば、有里は簡単には壊れないおもちゃであるらしい。多少の無茶がきく相手なら都合がよい。適当に遊んだ後で、手足をへし折るかもぎ取るかして動けなくしておいて、研究所に連れ帰ることにしよう。それがもっともスマートというものだ。

 ――と、伊達がそこまで考えたところで、森が途切れた。

 足を止めた数歩先に、輪郭の崩れた月が落ちている。

 ふれれば指に刺さりそうなほどに澄み切った水面――夏になっても雪の残る高い峰から流れ下ってきた水は、紺碧の夜空を映してきらきらと輝いていた。

「しまった……!」

 伊達は歯噛みして吠えた。その川は、伊達のような巨漢にはきついが、普通の人間なら屈んで頭まで潜るのに十分な深さがあった。案の定、匂いはそこで途絶えていた。

 いたぶり甲斐のある獲物に期待はいまや最高潮に達していたというのに、こんなところで見失うとは――

 ひとしきり地団太を踏んだ後で、彼は思い出した。そういえば、土田が追跡用の糸を有里につけたと言っていたではないか。

 壮語して出てきた手前、いまさら土田の能力に頼るのは気に食わなかったが、このまま有里たちを逃がして無能呼ばわりされるのはさらに耐え難い。なぁに、肝心なのは奴らをブチのめして連れ帰ること。どうやって追いついたかなんて誰も問題にしやしない……

 伊達は跳躍して向こう岸に渡ると、ひざをかがめて目を凝らした。一度川に潜ったのなら、濡れて光っている糸がどこかにあるはずだ。

 …………

 見つからない。もしかしたら、潜水したまま下流に移動したのかも知れない。追われる立場にある者なら、そうやって距離を稼ごうとするのが自然だ。

 そう考え、顔を上げた伊達は、驚愕に目を見開いた。

 闇夜に亡霊のように浮かび上がる、なめらかな肌と白衣――

 風になびき、月光を照り返す金の髪――

 対岸に、今まさに彼が追跡している、その相手が立っていた。

「何を探しているの?」

 あどけなさの残る声で、彼女――《ベラドンナ》有里はそう訊ねた。

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