悪意 3

 相手に動く隙も、声をあげる間すらも与えずに、君嶋は銃を構えた。

 実際はそんな必要はなかった。なぜなら、相手は眠ったように、君嶋が銃を抜き、それを鼻先につきつけられてもまったく動こうとしなかったからだ。

 長田は、黒くぽっかりとあいた銃口をしばらく見つめた後でようやく、おう、と声をあげた。その目にはしかし、脅えの色はなかった。

「気が早いね。まだ話は途中だというのに」

「くだらんお喋りは聞き飽きた」

「じゃあ、最後に一つ訊かせてくれ」

 ちょっとそこにかけてある上着を取ってくれ、とでもいうような軽い口調だった。

「私がいいと言わなくても、引き金を引かぬ限りは勝手に喋るつもりだろう」

「だったら、ひとさし指に力を込めるといい。それですべてが済むと本当に思っているのなら」

「……さっさと言え」

 君嶋はのばしていた肘を引いたが、相手がわずかでも妙な動きをすればすぐにでも発砲できるように、銃口は向けたままだった。長田は大げさにほっとした身振りをしてから、眼鏡をすこし下にずらし、上目遣いに君嶋を見た。

「ありがとう。きみの心遣いに、友人として感謝にたえない」

 君嶋がまた銃を構えようとすると、長田はあわてたようすで両手を振って詫びた。

「では訊くよ。……なぜ、ぼくを裏切った? ぼくらには共通の理想があった。世間では、ぼくの夢にきみが寄り添ったように言う者もいるが、それはちがう」

 君嶋は目でうなずいた。

「そうだな。たしかにあの頃、我々は同じ道を歩いていた。その道の先に見ているものも、同じだと信じて。そして、その目的のためにはいかなる代償を払っても惜しくないと本気で思っていた。しかし、それは間違いだったと気づいたのだ」

「理由は彼女かね? 結局は、復讐だというのか、君嶋クン。そんなつまらない理由で理想を捨てたのか? 言っておくが、彼女はぼくの理想を理解してくれていたんだよ。つまりは、彼女は自らの意思でぼくの夢に殉じたんだ」

「薄汚い口で彼女を語るな!」

 君嶋は激昂して銃を構えた。激昂しつつも、狙いは正確に長田の眉間に合わせられていた。

「彼女が貴様の理想を理解していただと? ふざけるな。裏切ったのは貴様だ。貴様は最初から真理子を……我々を欺いていたのだ」

 長田は悲しげにため息をついた。

「やはりそうなのか。きみほどの人物でも、私情は捨てられないか」

「ちがう。これは断じて復讐などではない。お前の言葉を借りるなら運命を自覚したにすぎん。お前の狂気がかたちを成して暴走する前に、誰かが止めねばならぬと」

「その“誰か”というのがきみなのかい? 冗談だろう」

「質問は一つだったはずだぞ」

「だって、きみとぼくとは同じ種類の人間じゃないか」

 君嶋の言葉を無視して長田は続けた。

「ぼくが狂っているというのなら、きみだってそうだ。きみは二十年以上も、憎いはずのぼくの下でMを造り続けてきた。ぼくを止めるだけなら、他にいくらでも方法はあったのに、何故? きみは、彼女の面影を追い求めていたのではないのかね?」

「黙れ」

「有里クンの中に、彼女は見えたかい?」

「黙れ!」

 銃口が震えるのを見て長田が口許を歪めた。

「ぼくやきみにとって、Mは単なる研究対象でも、道具でもなかった。彼ら、彼女らは――」

「黙れ! それ以上言うな!」

「おや、否定するのかい? でも、結局きみはあの子を置いて、自分一人で決着をつけに来たじゃないか。それは、彼女を道具として使うことが出来なかったからではないのかね? ええ? まったく、やさしいなあ、きみは」

 長田は最後の言葉を、慈愛に満ちた聖者のような顔で言った。

「光……もうよそう」

 君嶋は首を横に振った。指の震えはもうおさまっていた。

「そうか。名前で呼んでくれたのは何年ぶりかな。でも、これでお別れなんだね」

「ああ」

「残念だよ」

 長田は椅子に身体を沈め、長々と嘆息した。

「残念だ。ぼくは、きみの才能を愛していたのに」

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