悪意 6

 有里が所持していたペンダントを、長田はすぐに解析に回した。

 君嶋の背任とその粛清――長田の中ではすでに決着した事柄であったが、何も知らない所員たちのために、君嶋が何をし、また何をしようとしたのか――納得できる理由を提示してやる必要があったからだ。

それに、有里には未知の部分がある。公式の記録に残っている以外の――恐らくは、君嶋が目的を達成するための切り札として用意したもの――それは、単にMとしての能力かも知れず、あるいは長田を破滅させるに足るなんらかの情報であるのかも知れない。

「実に魅力的だ、きみは」

 その場にいない娘に対して呟いた長田を、彼の前に座っていた研究員が怪訝そうな目で見上げた。

 有里に関する極秘資料は、君嶋専用の端末にも残されていなかった。痕跡すらも、である。これまでA.D.A.が開発したMの中には、電子情報を復元する能力を持つ者も存在する。そのことを知る君嶋ならば当然の措置であった。

 一昨日回収した二本のメモリスティックには、当日の実験データと体調の記録、あとは睡眠学習プログラムしか入っていなかった。その二本は、君嶋が中央塔に向かう直前に抜いたものだ。メモリスティックは一日の最初に交換する決まりになっているのにそんな事をしたのは、新しいスティックを入れるためだと思っていた。ところが、彼女の首のスロットには何もなかった。

 代わりに回収したペンダントは、長田もよく知っている君嶋の私物であった。もしかしたらこれに――という、長田の読みは当たった。一見、一枚の金属板を彫って作られているようにしか見えない十字架の部分は、精緻な装飾で巧妙に継ぎ目を隠してあるが、実は二つのパーツが組み合わさって出来ていた。ペンダントがそんな構造になっているというのは、長田も今回はじめて知ったことだった。

 遠隔操作の金属アームで慎重に十字架を分解すると、中からマイクロチップが現れた。その報せを受けてとんできた長田は、現場の研究員全員の心を代弁するような調子で、おお、と歓声をあげた。彼としては、この現場にずっと立ち会っていたいところだったが、他の調査報告も受けねばならないし、本来のM開発の仕事もあるので、すぐにやってくることが出来なかったのだ。

「何が記録されているんだろうねえ」

 うかれ気味と取られても仕方ない態度の所長の耳に智慧が囁いた。

「ここで開けてもよろしいのですか?」

「うん。楽しみはみんなでわかちあわないと」

 他人に見られてはまずい内容とも限らないと彼女は危惧したのだが、当の本人はあっけらかんとしたものであった。

「プロテクト解除、成功しました」

「ウィルスチェック完了。問題ありません」

「いよいよか」

 長田は両手をすりあわせた。

「さあ、やりたまえ」

 壁面の大部分を埋める複数の画面を、文字と数字の濁流が駆け上って行く。

 どしゃ降りの雨にも似た、研究員たちがキーを叩く音が空間を埋め尽くす中、長田の鼻歌だけが場違いに響いていた。

 何の前ぶれもなく、それは起きた。

 完璧な暗闇が、まるで降って湧いたかのように現れた。部屋にいる全員が、何事かと思って動くのをやめた。恐ろしいまでの静寂が、その一瞬を支配した。続くざわめき、おそるおそるキーボードを叩く音。やがてそれらは、徐々に熱を帯びて、パニックという一点に向かって走り始める。

「何事だい?」

 長田が間延びした声で訊ねた。

「わ、わかりません。突然画面がブラックアウトして、一切の操作をうけつけなくなって……」

「外部との通信も不可能です!」

「ドアは?」

「しょ、少々お待ちを……いま、私が――ああ、ありました。……だ、駄目です。開きません」

「あきらめるのが早いよきみィ。――まあ、しかし。マシンの起動音もまったくしないし、こりゃ中央塔のシステム自体が落ちたかな。それにしても、内部電源に切り替わりすらしないなんて解せないな」

「研究棟は無事でしょうか?」

「一応、各棟は独立した構造になっているから大丈夫だとは思うが」

 長田は肩をすくめたが、その仕草は誰にも見えなかった。

 手動で内部電源のスイッチを入れるよう指示しておいて、長田は手近にあった椅子に腰を降ろした。

 外部からの干渉――そう、智慧が呟いた。

「とでもしておいた方が穏当でしょうか?」

「なんだ。もうわかったのかね」

 せっかく説明してあげようと思ってたのに。つまらなそうに長田は言った。

「若干の時間差はありましたが、あのペンダントに罠が仕掛けられていたのですね」

「うん。まったく、君嶋クンもやってくれる」

 長田は長い息をついた。

「このようすだと、事前にメインコンピュータに侵入して下ごしらえをしていた可能性もあるね。あとで調べておいてくれたまえ」

「承知しました」

「トラブルの原因は、きみが言った通りでいいだろう」

「これでA.D.A.の守りをより強固にする口実が出来る――そうお考えなのでは?」

「うん? いいね、それも」

 さも今指摘されてはじめて気づいたとでも言いたげに、長田は智慧の言葉にうなずいた。

 近頃、この国の政府はA.D.A.とMの存在に慣れ、他国がどれだけその力に羨望のまなざしをそそいでいるかを忘れかけている。この不祥事をそうした列強の仕業だとしてやれば、政府の連中に危機感を抱かせることが出来る。セキュリティ強化のために割かれるであろう予算の使い道を、長田ははやくも思案し始めていた。

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