●31.胸のうちに巣くうもの。
余りにも咄嗟のできことだったので反応が遅れてしまった。
獣になりかけていた左腕から血が流れる。
発砲音は至近距離から聴こえた。真白は出所を見つけて、思わず目を開く。
アオよりは大きい、だけどまだ幼い少女がリボルバータイプの拳銃をこちらに向けて構えていた。引き金に力が加わる。真白は横に避けた。
すぐ傍を銃弾が通り過ぎて行く。
真白は少女を観察した。グレーの髪を馬の尻尾のように結った幼い少女。彼女の髪色には覚えがあった。それに彼女からは何も感じない。〝異端者〟だ。
――そういえば、だいぶ前に《
戦っていた間の記憶は、ある。だけどあの時の真白は今とは違うのだ。
真白は、【
ため息をつく。
風は襲ってこない。少女が近くにいるからだろう。探偵はどうするか決めかねるように、少女の様子を伺っている。
真白は左腕を見る。血は出ているが、大事はない。銃弾は肉の内にあるものの、これしきのことで真白の力が弱まることはないのだ。
泣きはらした顔で、藍色の浴衣姿の少女が叫び声を上げる。
「兄者の
発砲音がする。
――弾は、あと三発か。
放置していてもどうにかなりそうだが彼女の興奮状態はこのままでは済まないだろう。銃弾がなくなった時に何をやり出すかわからない。
真白はあの時――あの男と戦ったときのことを思い出す。
グレーの長い髪の毛を風にはためかせ、〝異端者〟である彼は獰猛に笑いながら真白に勝負を挑んできた。持ち得る武器を使い戦った彼は、〝異能者〟である真白には及ばなかったものの、〝異端者〟にしては強い部類に入るだろう。
アイを殺そうとした。
それだけが、真白の気持ちを動かした。
真白は【銀色狼】の姿に成ると、持ち得る怒りを力に変えて、
〝異端者〟を殺すのは、それだけで十分。能力を持たないものの末路など、あまりにも柔で真白が【銀色狼】の姿に成る必要もなかったほどだ。彼は呆気なく死に、遅れてやってきた仲間は真白を恐怖の双眸で見ていた。
あの時に得た
この力を使うのは、アイを守るときだけだとそう決めている。
〝異端者〟のままでいるのは勝手だ。だけど、我々に危害を及ぼすのは許さない。
いくら力なきものでも、アイに危害を加える者は、誰であろうと容赦なく殺すだろう。
獣になっているときは、人を殺す罪悪感を覚えないで済む。
――後からふと考えたとき、胸がうずくのを我慢すれば。
探偵は漆黒の羽を生やしたまま微動だにしない。
――――ワタシの力では、この子を止めるのは無理だ。だから、どうにかしてくださると助かるのですが。
殺すのは簡単だ。だけど今の姿のまま、アイに危害を加えていないこの子供を殺すことを真白はしたくなかった。
――――さて、どうしましょうか。
恨みは簡単に晴れることはない。少女は恐らく、真白が死ぬまでそれを忘れることはないのだろう。
はっと顔を上げ、真白はマンションの集合している町中の、曲がりくねった路地裏に目を向ける。
発砲音がして、目を逸らした真白の頬を銃弾がかすめる。頬に線がはしり血が滴り落ちることを気にすることなく、真白は動いた。
背後から探偵の声が聞こえてくる。
「……逃げるのかい?」
「……今は、アナタに構っている暇はありません」
もともとアオを探すためにマンションから出たのだ。探偵に遭い、目的を忘れそうになっていた。
「卑怯者! 逃げるな! 死ねッ! どうして、兄者を――ッ!!」
「雪姫、よせ。そういうのはな、神宮寺に任せときゃどうにかなるんだよ」
「…………今は、とりあえずヤスユキ君を探すよ」
「ヤスユキッ。ヤスユキはッ!?」
「落ちつけよ雪姫」
背後から聞こえる声を無視して、真白は路地裏に入って行く。
○ ○ ○
昔。まだ親の言いなりに過ごしていた頃。
アイは弟の存在なんて微塵も知らなかった。地下室があることも、そこに閉じ込められて毎日虐げられていたアオの存在を、アイは知らされていなかった。
母親は幼い頃に死んでしまい、アイは家政婦の寡黙な女性に育てられていた。父親はいたものの、ほとんど家に寄りつかず、アイは父の顔をまともに見たことなんかなかった。
アイは、毎日部屋に閉じ籠り、将来のために教養を受けていた。それは父親の命令だ。
何の力を持たない彼女を、恐らく父は軽蔑していたのだ。期待されていたとは思えない。けれど、勉強だけは、知識だけは蓄えておいて損はないだろうと、一度言われたその言葉を思い出す。
女性はこの家系には必要ないらしい。大きくなって結婚ができる年になったら、父の息のかかったどこかの偉い人の家に嫁ぐことになるのだ。そのためにアイは幼い頃から花嫁修業を強いられていた。
真白と出会ったのは十歳になったばかりの頃だ。
代々この家に使えている影の従者の家系があった。その跡取りとなる少年と出会ったのは、アイがたまたま庭で花壇の花を眺めていた時だ。
――銀色の髪の少年が、いつの間にかそこに立っていた。
口をきつく結び、彼はじっとアイを見ている。
アイは視線が気になり、少年に声をかけた。
「だあれ?」
「……初めまして、ワタシはアイ様の身の回りの世話を任せられることになりました、従者です」
「名前は?」
「……ありません」
「どうして?」
「ワタシはこの家の影なのです。影に、名前は必要ありません」
「へぇ、影なのに随分とキラキラとしているのね。冬に降る雪みたい」
「……これは」
言いよどみ、表情を取り繕うことなく少年は静かに地面を睨みつける。
「〝使い魔〟の所為です。ワタシの家系に代々受け継がれている〝使い魔〟【銀色狼】の力を得たときに、どうやらワタシの体は受け入れるには小さすぎたようで、全身の毛というけが白く脱色してしまったのです」
くっと唇を噛む少年。
アイはひっそりと囁いた。
「つまんない」
「……今、何かおっしゃいましたか?」
「つまんない。どうして〝使い魔〟と契約してるのに、そんなにも自分のことを押し込めているの? そんな生き方つまらないよ。折角綺麗なのに」
「え? 綺麗?」
「……うーん。でも私の従者になるんでしょ? だったら名前は必要よね。無いと呼びづらいわ」
「といわれましても。ワタシは誰にも名前を呼ばれたことがありませんし」
「……よし」
アイはうっすらと微笑むと、少年に向かい言った。
「真白。あなたは真白。雪みたいに真っ白でキラキラして綺麗だから、真白。真実の白。どう、素敵でしょ?」
少年が茫然とする。どう反応していいのか分からないといった表情だ。
暫くの沈黙の末、少年は深々とお辞儀をして言ったのだった。
「真白……。ありがたく頂戴いたします。とても嬉しいです」
本心からの笑みを、少年――真白は浮かべていた。それは邪気のない無垢な笑みで、アイはそれを見られてとても満足したのだ。
そしてアイは、弟の存在を知らずに――二十歳になっていた。
二十歳になったとき、ちょうどその時弟のアオも五歳になり――地下から出てきていたのをアイは知らない。
彼の存在を知ったのは、たまたまアイが廊下を歩いている時、向こうから走ってくる少年を見たときだ。長いボサボサノ栗色の髪を振り乱し、何かから逃げているように彼は走ってきた。
まだ五歳程の幼い少年を見たとき、アイは何かを感じた。そのまま、少年がアイの懐に転がり込んできたのを、アイは優しく抱擁して「どうしたの?」と語り掛けた。
言葉にならない声を発して、少年は言ったのだ。
「ばけ、ばけもんっ。にげないと。ど、とう、さん」
容量の得ない少年の言葉にアイは首を傾げる。顔を上げると、遠くから誰かがやってきていた。
随分と久しぶりに見る父親の顔を見つける。
アイは、遠目から見た父親の険しい顔に何かを感じ取り、少年を抱きかかえて踵を返すと足早に実に戻った。
暫く経ち、少年は少しずつ落ち着きを取り戻し、アイは知ったのだ。
彼が、腹違いの弟だということを――。
● ○ ●
アイはうっすらと目を開けた。もう見えないその目はサングラスで覆われている。
視線の先には、弟を――アオを抱えて此方を敵意むき出しの形相で見ている〝異端者〟の少年がいる。
アオはぐったりとしており、どうやら意識が無いらしい。それにも構わず、少年はアオの首辺りを掴んでいる。
あの時守れなかった弟――今、守って見せる。
アイの目的はいつも一つだった。
弟を守る。
あの時、自分が守り切れなかった弟を、〝使い魔〟と契約してしまった弟を――これから傷つかないように。ただ、彼を守るために生きている。
その為に怪盗をしているのだ。
彼の契約している、特殊な〝使い魔〟を消すために……とある物を探している。
胸の奥深くにあるとされている心の中から、自らが契約している〝使い魔〟の声が聞こえてきた。
【さーて、さて。どうなるんだろうねぇ、これからは。僕はとっても楽しみにしているよ。もっとキミの絶望を視たいのが本音なんだけどね、他人の記憶を咀嚼するのも楽しいからさ】
――――うるさい。
【キミの所為で、キミの弟の絶望を喰えなくなったんだから、それ以上のものをくれないとねぇ】
――――黙りなさい。
【おおこわっ。まあ、キミのも美味しかったからさ……ああ、本当にあの時は、とても
――――いい加減に。
【だから早く、目の前の可哀想な〝異端者〟を殺しちゃえよ】
――――言われなくとも。
高く少年のように響く、幼い声。
「あははっ」という笑い声と、じんわりと目が痛むのを意識から切り離し、アイは目の前で警戒心剥きだしにアオの首を今にも絞め殺そうとしている少年を睨みつけた。
ゆっくりと、サングラスを取り外す。
「本当に、どうして貴方は、また私の前に現れてしまったんでしょうね」
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