●19.夢のように平穏な。

「やった! アタシの勝ちだぜ!!」

「……まさかまだ矢切を残しているなんて……」

 ヤスユキは思わず項垂れる。そんな彼の前で、アケミは子供のように大はしゃぎをしていた。

 自分の残り二枚の手札を眺めながらヤスユキは考える。

 ハートの6とスペードの7しかない。

 ヤスユキたちはトランプで大富豪をやっていた。一発勝負で、負けた方が買った方のおねがいを何でも聞くという賭け付きで。最初ヤスユキが勝っていたはずなのに、後半革命返しされてからすべてが狂ったのだ。ヤスユキは思わず持っているカードを放り出した。

「おい、ヤス」

「な、なんですか……」

「何でもいうこと聞くんだよなぁ?」

「じ、常識の範囲内でお願いします、よ?」

 身構えるヤスユキ。

 腕を組みながら、勝者特有の笑みを浮かべたアケミは、ふふと声を出して笑いながら言うのだった。

「今すぐアイス買って来い」

「え?」

「冷たくって甘いものが食べたいんだよ。そうだな、味はお前に任せる」

「……え?」

「何そんなに呆けた顔をしているんだ? アタシ何か変なこと言ってるか? 何でもお願い聞くんだろ? ん?」

「は、ははい! わかりました! 今すぐ行って参りますとも!」

 ヤスユキは立ち上がると、慌てて事務所を出て行こうとした。後ろから何かが飛んでくる。それが硬貨だということに気づき、ヤスユキは危うくキャッチをした。

「お前お金ないだろ? それ使えよ。事務所出て右に五分ほど行ったところにコンビニがあるはずだからそこで買え」

「あ、ありがとうございます」

 そうしてヤスユキは事務所を出て、一人で買い物に行くのであった。



● ● ●



 ヤスユキが≪神宮寺探偵事務所≫を出て暫くした頃。

 事務所の近くの建物の屋上の上で、会話する二人の男女がいた。

 一人はグレーの髪の青年で、もう一人は青年よりいくらか年上に見える女性。グレーの髪の青年は右手に持っている帽子に思わず力を込める。

「ユウヤさん。これからどうするのですか?」

「……ああ。そうだな。あいつが一人の時を狙おう。……アユ。サイヤはどうした」

「サイヤでしたら今頃、雪姫さんと一緒にいるはずです。見ているように頼んどきましたから」

「そうか。口を滑らせなければいいのだけどな」

「……そうですね」

 《現実主義リアリズム》の中でも射撃の腕が抜き出ている十九歳の少年――サイヤは、口が軽いのが欠点だった。他のメンバーが別の現場に行っている以上、どうしても彼にしか雪姫を任せられないのが残念だ、とユウヤはため息をつく。

 吐いた息を再び吸い込み、ユウヤはボロボロになっている帽子を被ると、腰のホルスターにある拳銃を手に持つ。

「アユ。手を出さないでくれよ」

「……はい。そのつもりですよ」

 自分より年上の筈なのに恭しい態度の女性から目を逸らし、ユウヤは再び事務所に目を向ける。拳銃でここから狙うのは不可能だから、ここから降りて近づいてから撃たないといけないだろう。

 ――心構えはもうできている。




 ――もし、まだ間に合うのなら。

 彼と彼女と私と彼。恨みなんて忘れて一緒に暮らせられたら、どれだけいいのだろうか。

 私は彼を見ているだけで、それだけで幸せだ。

 だけど彼の恨みは強すぎる。それを拭うことは、私にも彼にだって難しいのだろう。

 でももし彼を、彼が撃ってしまえば。傷つくのは彼自身で。そして、彼女は彼から離れていってしまうかもしれない。そうしたら、彼は一層、身を黒く染めていってしまう。

 そんな姿なんて見たくない。今のままの彼であって欲しい。そのためになら私は、この手を――。

 青年に向かって手を伸ばした手をゆっくりとおろし、彼女は上着のポケットにあるモノに手を振れさせる。



● ● ●



 幼い頃の話をしよう。

 昔、一人の少年がいた。少年は特別なモノなんて何にも持っていない、ただの子供だった。

 まだ六歳にもなっていない彼は、親から言われるまま自分と一緒に歩んでいく〝使い魔〟を選別している最中だった。

 何を〝犠牲〟にして、何の〝力〟を得るのか――。

 だけど彼はあまりにも優柔不断だった。親に呆れられ、親に勧められるまま、とある〝使い魔〟と契約しようとしていた矢先のことだ。

 目の前に赤が広がっていた。真っ赤な真っ赤な赤色が、少年の前に、顔に、手に、腕に体に、足に、心に浸透してくる――。

 これは誰の赤だろうか。

 まだ幼い少年にとって、それを理解することは難しかった。

 少年は自分の髪についた赤に手を振れる。べっとりと手についている赤がさらに濃くなる。

 〝使い魔〟の暴走。

 父親の契約している〝使い魔〟が、暴走したのだ。

 目の前で父親の体が膨張していき、破裂した。

 文字にするとそれだけのことで、だけど幼い少年の心を縛るのには十分だった。

 母親が悲鳴を上げている。父親の名前を呼び、泣いている。叫んでいる。

 〝使い魔〟の名前を。父親の名前を。少年の名前を。怖いと、嫌だと哀れに泣き叫んでいるのをみて、少年は暫し平常心に陥る。

 ――僕はこれと契約しようとしたのか?

 優柔不断な少年は、父親と同種の〝使い魔〟と契約するつもりだった。能力は、吸い込み吐き出した息を爆発させる、というものだった。父親は、少年に力を披露する過程で、息を吸いこみそのまま爆発して死んでしまったのだ。

 あの時の声を。〝使い魔〟の嘲笑を、少年は未だに覚えている。

『うわはははははははっ。哀れなな人間如きが、我の力を使うのなんざ無理なんだよぉおおおおおおおっ!!』

 高い男の声だった。



 昨夜、昔の夢を見たから、朧げな頭を抱えたまま、少年は自分よりいくらか下の少女の手を握り歩いている。

 少年は金髪をフードで隠しなるべく他の人々と同じような恰好をしているが、少女は違った。彼女は藍色の浴衣を着て、カランと下駄の音を鳴らしている。そして髪の毛は〝異端者〟にしては珍しくグレー色をしていた。揺れる馬の尻尾みたいに結われている髪の毛を眺めながら、少年はさっき貰った情報を飲み込み、口を開く。

「雪姫ちゃん。楽しい?」

「もちろんじゃ! 妾、買い物に行くの久しぶりだ!」

 楽しそうにスキップしている雪姫に引きずられるように、少年は微笑む。

 どうして彼女を見ていると、こんなにも心が安らぐのか。彼女と一緒にいるだけで、少しの間幸せな気分に浸れる。すべてを忘れて、過去も今も、自分の手の汚れすら忘れることができる。それはやはり、彼女が無邪気だからだろうか。

「ところでサイヤ。どこに行くのじゃ? 結構遠くまで来てしまったのだが……」

「え? ……うん。そうだね。ちょっとそこのコンビニでもいこうかなって。あそこのソフトクリーム美味しいんだよ」

「なぬ! 妾食べたいぞ!」

「うん。早く行こう。そして、早く帰らないとね。ユウヤさんたちが戻ってきちゃうよ」

「そうじゃの。兄上には秘密の散歩だからな。うふふ」

 雪姫は口元に手をあてて笑みをこぼす。

「なんだかいけないことをしているようで楽しいな!」

 ――実際に俺は今からいけないことをしようとしているのだけどね。

 少女の手を引きながら、サイヤは思う。

 ――もしこのまま。情報を放り捨ててこの子と二人で逃げだしたら、平穏に暮らせるのだろうか。

 だけどそれは無理なのかもしれない。〝異端者〟である彼らは、〝異能者〟の目を気にしながら肩身が狭い思いをして生きて行くしかないのだから……。

 ――久しぶりに会えるね。ヤスユキ君。



● ● ●



 よくよく考えると、記憶を失くしてから一人で買い物をするのは、初めてだった。

 ヤスユキはコンビニで陳列棚を眺めながら思う。

 最近外に出たのは、あの双子の少女の護衛をするために今はもうない屋敷に行ったときだっただろうか。あの後、彼女たちがどうなったのか、聞くのが怖くってヤスユキは知らない。

 陳列を暫し眺めていたヤスユキだったが、アケミから頼まれていたアイスのある場所を見つけ、そこに近づいて行くと何を買おうか、と考え始める。



 コンビニの自動ドアをくぐり、雪姫はサイヤの手を引っ張りながら店内を見渡す。視覚になっている奥のほうは見えないが、いろいろなものが売られているコンビニはやっぱりすごいな、と子供心にそう思った。

「なあ、ソフトクリームはどこじゃ?」

「うんと、レジで頼めば出てくるはずだよ」

「じゃあ早く買おう! 兄上が帰ってくる前にな!」

「そうだね。怒られちゃうからね」

 サイヤの腕をひきながら雪姫はレジに向かって行く。レジにいる店員は雪姫の無邪気な微笑みに、満面の笑みを返してくれた。

「いらっしゃいませ」

「ソフトクリームが食べたいのじゃ!」

「ソフトクリームですか? いちご、ミルク、抹茶、バナナ、チョコ味など、五種類の味がありますが何になさいますか?」

「なんと……! そんなにもあるのか! 迷うなぁ」

 雪姫は店員から出されたメニュー表を眺め、そこに描かれている色とりどりのソフトを眺めながら呻き声を出す。

「なぁ。サイヤはどれがいい?」

「俺はいら……どうしようかな。いっぱいあって迷っちゃうね。うーん。雪姫ちゃんは何が良い?」

「それが迷っているのじゃ……」

 呟き、雪姫は目を閉じて悩む。

 頭の中で、果物のいちごとバナナと、お茶と書かれた湯呑と、板チョコと牛乳パックが一緒にワルツを奏でていた。ぐるぐると楽しそうに合唱をしているのを見ると、その中から一人を選ぶのが難しくなる。



「チョコか……いや、苺が悲しそうに泣いているから……でもバナナも……って、お茶が怒るぞ……ミルクが微笑んで……」

 傍らで腕を組みながら妄想を始めた雪姫に微笑みかけながら、サイヤは彼女が妄想していることを良いことに、ゆっくりと離れて行く。

 アルバイトらしい店員の営業スマイルから視線を逸らし、ぐるっと店内を見渡した。

 そして見つける。懐かしい彼の姿を。

 サイヤはさっと笑みを消す。上着のポケットに手を突っ込むと、足音を立てずにその人物の背後に立った。まだ彼は気づいていないみたいだ。あの頃はあんなにも周りの物音に敏感だったくせに、背後を取られても呑気な顔をしていて、まるで人が変わったみたいだ。

 サイヤは自分より低い少年の背を睨みつける。

 ――久しぶりだね、ヤスユキ君。バイバイ。

 自然な動作でポケットから拳銃を抜き取り、アイスの陳列を眺めている少年の背中にそれを突きつけた。



 アケミさんは甘いものが好きらしい。

 本人からそう聞いたわけではないが、よく彼女が食後に甘いスイーツを食べているのを見掛ける。事務所の隅に備え付けてある冷蔵庫の中には、常に甘いアイスやケーキなどが入っている。

 そんな彼女がいつも何味を食べていたのか、ヤスユキは思い出そうとする。

 ――チョコ……いちご……あ、抹茶も食べていたな……。

 ちなみにヤスユキはどちらかというと辛党で、アイスだと抹茶を好む。思わず抹茶味のアイスを探し出す視線を修正しながら、彼はチョコもなかと苺ソフトを見つけて、そのどちらかがにすることに決めた。どっちのほうがアケミは喜ぶだろうか。

 ――僕に任せるって言われてもなぁ……。自分の好みじゃなかったらアケミさん怒るだろうし。

 間違いは許されない。彼女の機嫌を損ねると、少なくともその日一日は怖い思いをすることになる。

「チョコもなかか、苺ソフトか……」

「いちごソフトなら、作りたてのをレジで購入できるよ。ヤスユキ君」

 突然後ろから男の声がした。

 振り返ろうとした背中に、何か固いものが当たる。

「ねぇ。今、ヤスユキ君は楽しんでる?」

 ――――俺達を裏切ってさ、〝異能者〟なんかと。

 冷たい声だった。その声にどこか身に覚えがあるようで……だけど、なにも思い出すことができずにヤスユキは恐怖で身を縮こまらせることしかできない。

 撃鉄を起こす音が、背後で響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る