●20.静寂を穿つ銃声。

 背後から聞こえる声。

 それが誰の声なのか、ヤスユキは見当がつかない。

 それもそのはずで、記憶を失くしているのだから、たとえ知り合いであったとしても覚えていないのだろう。だけど、どうやら背後の男は自分を知っているらしい。

 ヤスユキは背中に当てられている冷たい感触に、息を飲む。

 ――もしかして、これは?

「ねぇ。聞こえてんの? ヤスユキ君? えっと、久しぶりとか言った方がいいのかな?」

「誰、ですか……?」

 やっと絞り出した声は掠れていた。

「僕の知り合い?」

 記憶を無くす前の知り合い。もしそうだったら、自分のコトを知っているのか? 記憶を無くす前に、自分が何をしていたのか。自分は何者だったのか。彼は、それを知っているのだろうか。

「はぁ?」

 間の抜けたような声だった。

「何言ってんの? 俺の声聞いてわかんないってか?」

「えっと、僕は」

 男は、ヤスユキが記憶を失くしたことを知らないのだ。掠れた声で、ヤスユキはそれを伝えようとする。

 だけど、それを悲鳴が書き消した。

「な、何をッ!」

 女性の声だ。近くにいた客だろうか。

 ――助けて。

 悲鳴の聞こえたところを見ようとすると、背後に突きつけられているものが背骨に強く押し付けられる。

「動くんじゃねぇよ」

 男の声は冷たい。

「動いたらその瞬間に撃つ。俺の質問に答えろ。すぐにだ」

「し、質も」

「お前はどうして俺らを裏切った?」

 ――うらぎった?

 その言葉の意味が分からず、ヤスユキは口を噤む。下手なことを言ったら命はないだろう。そんな雰囲気を感じる。

 女性の声はあれっきり聞こえない。誰か助けを呼びに行ったのだろうか。そう言えば、さっきの声聞き覚えがある。コンビニに入ったときに声をかけてくれた人だ。確かアルバイトの店員で――

「ヤスユキ?」

 小さい少女の声が聞こえてきた。

 その聞き覚えがあるような声に、ヤスユキの心臓が一度大きく高鳴った。

「誰?」

 背後から舌打ちが聞こえる。

「もういい。消えろ」

「サイヤぁ! 何をしておるのじゃ!!」

「裏切り者に、制裁を――!!」

 男と少女の叫び声が重なる。パァンッ、と簡単に命を奪う音が響き渡った。



● ● ●



「あれ? ヤスユキ君は?」

 ソファーでぐてーとだらしなく寝そべっていたアケミは、神宮寺の声に顔を上げる。ちょうど外から帰ってきたところだろう。事務所内を見渡している神宮寺の感情のない瞳を見返し、アケミは答える。

「買いだしだぜ」

「何の?」

「アタシのアイス切れてたから。甘いもの食べたいし、買いに行かせた」

「どうして?」

「アイツがゲームに負けたからだよ。よわっちぃもんなぁ」

「どうしてヤスユキ君に買い物行かせたんだい?」

「だからそれは」

「ヤスユキ君を一人で買い物に行かせたのは何故だい?」

 その静かだが張りのある声に、アケミは思わず背筋を伸ばしてソファーに座り直す。

「だって、アイス食べたかったし……。切れてたし……。すぐ近くのコンビニだったら危険がないと思って……」

 アケミの子供っぽい返しに、神宮寺がため息をつく。

「いくら〝異端者〟の多い〝見捨てられた町フォーセイクンタウン〟だからと言って、〝異能者〟もいるんだ。何があるかわからないのに、君はどうして……」

「だからしょうがないだろ! アイスを食べたかったんだよ! ジンが前買い忘れたからじゃねーか!」

「……そんなことあったかい?」

「そうだ! 絶対そうに決まってる! てかヤスおせーな」

「ヤスユキ君は、何分前に出て行ったんだい?」

 神宮寺の言葉に、アケミは時計を見て考える。

「えーっと、十分……いや、ニ十分ぐらい前か?」

「あのコンビニは歩いて精々五分程度だろう。もうそろそろ帰ってきたもおかしくないね」

「あ~! 早くアイス食いてぇ!!」

 アケミの叫び声に、神宮寺が少し眉を潜めるが何かを言う気配がない。

 顎の下に手を当て考え事をしている神宮寺は、鹿撃ち帽でも被ればどこかの探偵のようだ。いや、実際に探偵か。アケミは欠伸をかみ殺す。

「迎えに行こうか」

「んあ? 誰を?」

「ヤスユキ君だよ。何があるかわからないからね。アケミ君、一緒にコンビニまで行くよ」

「え! アタシもかよぉ。出かけんのめんどくさいからヤスに頼んだのに」

「もとはといえば君が」

「んだよ。わかったよ! 融通の利かねぇ野郎だなぁ。ったくよー」

 アケミはもう一度欠伸をしてから立ち上がると、神宮寺が上着を着るのを横目で見ながら、先に事務所から出て行くのであった。



● ● ●



 ヤスユキの体に衝撃が襲った。

 銃で撃たれたのだろうか。それにしては背中ではなく、脇腹が痛い。

 倒れた体制から顔を横に向けると、ヤスユキの体を抱きかかえるように覆いかぶさっている少女がいた。グレーの髪を馬の尻尾のように結った、藍色の浴衣を着ている女の子。彼女は「ダメじゃダメじゃ」と繰り返している。そんな彼女を見て、頭の隅がチクッとして、ヤスユキは思わず頭を押さえる。何かを思い出しそうで、だけど別の何かが邪魔をしてくる。

 ヤスユキは少女を見続ける。そうすれば何か思い出すのだろうか。

 上から声が聞こえてきた。

「ちょ。雪姫ちゃん。何してんの。危ないじゃん」

「ヤスユキを撃ったらダメじゃ。殺すなんてそんなことするなんてッ。サイヤは頭がどうかしたんじゃ」

「はぁ? 頭どうかしているのは雪姫ちゃんでしょ? まだ幼いからわからないかもしれないけど、俺らの組織では、裏切り者は殺すことに決まってんの。いくらヤスユキ君でもね」

 泣き叫ぶ少女に、さっき銃を撃った男が呆れたように言う。フードに隠れて見えないが、まだ若いように見える。

 ヤスユキは自分の名前を知っている二人の男女を交互に見渡した。声に、顔に、さっきから頭がズキズキと痛んで破裂してしまいそうだ。だけど無くした記憶を、どうにか取り戻したくって、ヤスユキは二人を見続ける。――思い出せないッ。

「ああ。やっぱりね。こうなるとは思ってたよ。雪姫ちゃんを連れてきたら面白いとかどこぞの阿呆が言っていたときにね。だから早く終わらせるつもりだったのにさ、ヤスユキ君が全然答えてくれないんだもん。困っちゃうよね。あーあ。やっぱり一人で来るんだったなぁ。ほんっとに調子狂うよ」

 腹立たしそうに男が近くの陳列棚を蹴りつける。並べられていたカップ麺が辺りに飛び散った。散らばったカップ麺の一つを踏みつけて、男が青い瞳でヤスユキを睨みつける。照らされる青の明らかなる殺意にヤスユキは戦慄した。

 ――殺される。

 恐怖だ。これは明らかなる恐怖。今までに味わったことのない、体を動かすことのできない、息さえ許してくれないような恐怖。

 ヤスユキはそれから逃れたくて、泣き喚いている少女の体を思わず抱き寄せる。

「はぁ? 何してくれてんの? 裏切り者が、気安く雪姫ちゃんに触れないでよ。汚い手でさ、触れられて雪姫ちゃん嫌でしょ? ねえ、そうでしょ?」

「ヤスユキヤスユキヤスユキ。ずっと、ずっと会いたかったっ。ヤスユキッ!」

 少女の手が縋りついてくる。その行動は明らかに男の問いかけに反していた。

 チッと男が舌打ちをする。そのまま彼は、拳銃を構えた。

「ねぇ、雪姫ちゃん。死にたくないでしょ? だったらさ、そこからどいてよ。俺は、ヤスユキを殺したいだけなんだよっ!」

 銃声が響く。ヤスユキの背後のアイスの陳列棚に穴が開いた。わざと外したのだろう。もう一発銃声が響く。今度は、少女の足元にあったカップ麺が破裂した。

「ダメじゃ。ヤスユキは、殺させない。裏切ってない妾のことを裏切るわけがないッ」

「ねえ、いい加減聞く耳持ってよ。雪姫ちゃ~ん。死にたくないんだよね? もういい加減そこからどけよッ! お前も殺すぞ!」

 殺意のこもった視線が少女に向けられる。ヤスユキはそれを少女の肩越しで見ていて――どうにかしなければ、とそう思った。自然な動作で腰に手をやるが、どうして自分がそうしたのかが分からない。そこには何もない筈なのに、いつもあったものがない喪失感に苛まれる。

 ――僕は何もできないのか?

 彼女を守らないといけない。男の視線は本気だ。銃口を、どうにかして逸らさなければならない。自分にできることとは、一体?

「や、ヤスユキ!!」

 叫び声が聞こえてきた。数分前まで一緒にいた筈なのに、嫌に懐かしく響く声だ。

「アケミさん」

 叫び声に視線を向けると、唖然とした顔のアケミがいた。赤色の髪は雨に濡れたのか、少し湿っている。そう言えば今朝のニュースで、午後から雨だと言っていたな、とヤスユキはどうでもいいことを思い出した。

 アケミの背後の自動ドアが開き、死んだ魚のような目をした青年が中に入ってきた。彼はアケミの視線を辿り、ヤスユキを見る。

「あ? なんだ、お前の〝異能者〟の仲間か?」

 男が明らかに焦った声を出す。少女に向けていた銃口を、近くまで走り寄ってきたアケミに向ける。

「な、なんだよそれ。そんなもんで、アタシは死なねーぞ」

「うるせぇな。アンタが何の能力を持っているのかは知らねーけど、いくら〝異能者〟といえども心臓や頭を破壊したら死ぬことぐらいこちとら知ってんだよね。見たところ、アンタ戦闘向けの能力じゃねーよなぁ? 俺は昔から〝異能者〟を殺してきたから、それぐらい見たらわかんだよ? ねえ、どうなの?」

「あ、アタシは……別になりたくって〝異能者〟になったわけじゃ」

「そんな言い訳、今の状況に関係なくね? どうでもいいし、ちょうどいい機会だから死ねよ」

 銃声が響く。アケミの眉間に飛んでいったと思った銃弾は、だけど彼女を穿つことはなかった。アケミの前に、漆黒の羽が舞う。上着を脱ぎ棄てた神宮寺が立っていた。神宮寺の右肩付近から、漆黒の羽が一枚生えている。

 徐に漆黒の羽が風を起こした。

「はぁ?」

 男の声と共に、切断された拳銃が床に落ちる。男が一歩後ろに下がる。カップ麺が踏みつけられた。

「なに、その能力。使いこなせるやつ、始めてみたんだけど」

「……ヤスユキ君。迎えに来たよ」

「あ。あ……神宮司さん」

 神宮寺は男から視線を逸らし、ヤスユキのもとに近づいてくる。男は神宮寺が向かってくるので身構えながら後退するが、神宮寺は明らかに男のことを見てはいなかった。

 ヤスユキのもとにやってきた神宮寺が徐に右手を出す。

「立てるかい?」

「は、はい」

 声が掠れる。ヤスユキは出された右手を握り返し、左手で少女を抱えたままのろのろと立ち上がる。少女はもう喚いてはいなかったが、静かに涙を流している。そんな彼女をチラリと見たが何も言わずに、神宮寺はアケミに声をかけた。

「アケミ君。ヤスユキ君は無事みたいだ。帰ろうか」

「あ、ああ。そう、だな。ヤス……帰るぞ」

 神宮寺は右手を離すと先に歩き出した。アケミは仏頂面のままヤスユキから視線を逸らす。そんな二人のいつも通りの表情に、ヤスユキは思わず安堵をした。

「はいっ。ありがとうございます!」

 ヤスユキは少女に声をかける。

「歩ける?」

「ぐずっ。うん」

 少女が自分の力で立ったのを見定めながら、ヤスユキは少女の手を握りながら歩きだした。

 背後から、得物を失った男の声が聞こえてくる。

「雪姫ちゃん。本当にいいの?」

 その声はすっかり戦意が喪失したのか、あまりにも静かに感情がこもっていなかった。

 雪姫と呼ばれた少女は、少し間を置いて頷く。

 後ろからため息が聞こえてきた。

 ヤスユキは痛む頭で少女を見下ろすと、彼女はこちらを見上げて悲しそうに微笑んでいた。

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