●28.静かに幕はあがりけり。

 ――――ここは、どこだ?


 ヤスユキの視界と口は布か何かで塞がれていた。

 体を動かしてみる。

 動かない

 感覚的には椅子か何かに座っているように思える。

 確かなことはわからないが、後ろで手を縛られており、足は地面についているものの骨折時のそえ木のように縛りつけられており動かすことができない。尻がついているのは椅子か何かだろうか。無理な体制なまま椅子か何かに座らされて、手足を縛られ視界もふさがれた状態で、わけが分からずにヤスユキは助けを求めるために声を出そうともがいてみる。

 無意味だ。

 ふしゅーという行く宛のなくなった言葉が鼻から息として放出されるだけ。

 唯一拘束されていない耳に神経を集中させてみる。

 かさかさ、

 ぶーん。

 地面を這う音、それから周りを飛び回る羽音。

 一体、何が起こったのだろうか。

 記憶をさかのぼってみるが、雪姫とアケミと一緒にトランプをした後からの記憶が無い。

 ちょうど神宮寺が出かけている最中で、三人で神経衰弱をやっていた時だ。雪姫が強かった。アケミが頭を掻きむしり奇声を上げた瞬間、ヤスユキの頭に小さな衝撃があり、そのまま意識を失った。薄れゆく意識の間際、雪姫の悲鳴とアケミの呆けた声を聞いた気がする。

 そのあとからの記憶が無い。

 これで記憶を無くすのは何度目だろうか。

 考えてみると、一回しかないことに気づいた。

 少なくとも、自分の意識があるときの記憶を失くしたのは、あの怪盗に記憶を奪い取られた時のみ。

 それ以外の記憶は、記憶と呼べるものではないだろう。

 ただ、自分の意識がなかっただけだ。

 記憶を保持する器官が機能していなかったので、覚えているわけがない。意識がないときに何があったのか知ることができるのは、〝異能者〟ぐらいだろう。

 ヤスユキは〝異能者〟ではない。〝異端者〟だ。

 抵抗しても無駄だと察し、ヤスユキは体を前に傾けた無理な体制のまま微動だにしないように努める。

 正直苦しい。どうしてこんな苦しい状態で〝敵〟は自分を拘束したのだろうか。

 これじゃまるで拷問だ。

 ヤスユキはため息を吐きたい衝動に駆られたが、幸せが逃げていくのが嫌なのでとどめた。ただの迷信だけど。

 かさ、かさ、かさ、という音はどうやら地面から聞こえてくるらしい。

 何かの這うような音。

 虫、だろうか。

 何の虫だろうか。

 ここは虫が発生するほど汚いところなのだろうか。

 それとも外か。

 でも野外なら、足の下にある感触は柔らかい土だろう。野外でコンクリートのある人のいない解禁に適した場所なんてないだろう。

 恐らく室内だ。

 ぶーん、というのは羽虫だろうか。

 毒のない虫だといいな、と思い、そこでヤスユキはふと気づく。

 かさかさという這うような音も、ぶーんというような羽音も、ヤスユキにぶつかることがない。

 ただ周りを飛んでいるだけ。

 野生の虫にしては変だ。野生の虫という言葉も変だけど。

 ヤスユキは考える。

 もしかして、この虫は使役されている……? 

 虫を使役する能力者を聞いたことはない。けれど、〝使い魔〟は自分が把握しているものよりはるか多く存在している。だとすると、虫を〝使い魔〟とした〝異能者〟がいてもおかしくない。

 背中を冷汗が滑り落ちていく。

 同時に声が聞こえてきた。

「くすくす」

 それは笑い声だ。

 少女のような高い笑い声。

「ぶざまな姿だよね」

 どこか舌っ足らずな、幼い声。

 変声期まえの少年だろうか。

 幼い少女にしては少しかさっとしている。

 ヤスユキは耳に全神経を集中させる。相手の居場所を探るためだ。

 思えばこんなにも神経を張り巡らせるのは久しぶりかもしれない。

 長らく忘れていた感覚だ。

 記憶を失くして〝異能者〟と親しくしていた影響かもしれない。

 感覚が鈍っている。

 少年らしき人物に肩を叩かれるまで、彼の気配に気づかなかった。

「ねぇ」

 耳元で聞こえる幼い声。

 息を感じる。さらっとかかったこそばゆいのは髪の毛だろうか。くすぐったいのに掻けないのがうっとうしい。

「ぶざまな姿だよね」

 くすっと高い声で笑うと、その人物は耳元にひっそりと囁きかけた。

「おねえちゃんのために、死んで?」


 ――そんなこと、言われて死ぬ馬鹿がどこにいるんだ。


 この人物はまだ幼い。

 それは声と、それから手や足首に縛られている縄の弱さから伺える。

 ヤスユキは縄抜けの術を習得していたので、少年らしき人物が囁いて何かをする前に縄を外すと、〝少年〟のいるところに向かって手をつきだした。

「うそっ」

 驚愕の声が上がる。

 ヤスユキは右手でその人物の腕を掴むと、もう片方の手で目と口を覆っている布を首元まで降ろす。

 その部屋は暗かった。けれど、ヤスユキの視界もずっと暗黒にあったのだ。

 ヤスユキは暗闇になれた瞳で、掴んだ腕の主を見る。

 少年だった。いや、少年、だろう。

 彼は栗色の髪の毛を長く伸ばし顔を覆っていた。その隙間から、白っぽい瞳が恨みがましくこちらを見ている。

 ヤスユキは少年の目を見下ろし、そして口を開いた。

「君は誰だ?」

 少年は答えない。ヤスユキから逃れようと抵抗をするが、彼の力ではヤスユキには敵わない。力の差があるのだから。

 ここ数日気分がたるんでいたのかもしれない。

 今のヤスユキは久しぶりに、記憶を無くす前に戻った気がした。

 それでも気持ちは落ち着いている。

 〝異能者〟を前にして、いつもみたいに怒りが沸いてこない。

 これはよくないことだ。

 ヤスユキは無意識に歯を打ち鳴らす。

 少年が何か言おうと口を開いたので、ヤスユキは左手で少年の喉仏を掴む。

 ただの直感だ。この少年が何かを呟いたら、窮地に立たされるような気がした。

 少年が死なない程度に、喉仏を掴む手に力を入れる。


 ――あれ? どうして自分は、〝異能者〟に慈悲の心持っているのだろうか。


 前までは、相手がどんな〝異能者〟であろうとも見境なく引き金を引いていたというのに。

 ヤスユキは空いた右手で少年の髪の毛をかき分けるとと、白っぽい目を睨みつけた。

「何のために僕を捕えた?」

「……ぅぐ」

 声が出せないらしい。それは自分が喉仏を掴んでいるからだ。

 でも少年に喋らせるわけにはいかない。床を這ったり辺りを飛んでいる蟲はまだ何もしてこないが、少年の声が引き金に襲いかかってこられたら、こちらになすすべはない。

 殺すのが手っ取り早い。

 この少年が誰だろうが、〝異能者〟なら殺すべきだ。

 力を込めようとする。

 左手だからか力が沸かなかった。

「……」

 ヤスユキは少年を殺すのを後回しにすると、辺りを見渡した。

 てっきり小屋のような人気のないところに囚われていると思っていたのに、どうやら違うらしい。

 内装のしっかりしたホテルのような部屋にヤスユキはいた。

 椅子とベッド以外何もない殺風景な部屋だが、オートロックらしい扉が高級感を漂わせている。窓にはシックなカーテンが外から吹く風ではためいている。

 カーテンの隙間からは、都会らしい眩い光が垣間見えた。

 もしかして、ここはマンションか?

 ――――厄介だ。

 いくら少年を殺そうと、別の仲間がいたら武器のないヤスユキは簡単に殺されてしまうだろう。

 殺さなくってよかった。もしかしてさっきの躊躇いは、この為だったのかもしれない。

 少年の後ろから喉仏をふさぐ形で軽く締めると、ヤスユキは部屋の中に武器がないか探してみるが、見つからなかったので諦める。

 とりあえず逃げることが先決だ。

 ヤスユキは少年を人質に取ることに決め、オートロックの扉を解除すると廊下に出た。

 背後では蟲が蠢いている。



○ ○ ○



 目を開けると、そこには死んだ魚のような濁った瞳があった。

 アケミは体を起こす。

 そこで、ぐずっとすすり泣く声を聞いた。

「雪姫?」

 グレーの髪の少女が、瞳から涙を次から次へと流しては服の袖で拭いている。

 ヤスユキはいない。

 神宮寺の視線を感じる。アケミは彼を見た。

「ヤスユキは?」

「俺が戻ってきたときには、もういなかったよ」

 神宮寺がわざとらしくため息をつく。視線が窓の外に向いた。

「いないね」

「誰が?」

「わからない。けれど、ずっと殺気のこもる視線を感じていた」

「もしかして、あいつらか! 《現実主義リアリズム》!」

「違うだろうね。彼らなら、雪姫君がこのままの筈がない」

 彼女はずっと泣いていたんだよ、という言葉で再び雪姫に目を向ける。

 「ヤスユキ、ヤスユキ」と雪姫は泣きぐずっているだけで、会話できそうな状態ではなかった。まるで栓を忘れたかのように、彼女の瞳から涙が溢れては袖に拭きとられる。

「となると」

 神宮寺が無表情のまま、険しい声で囁いた。

「怪盗、かもしれないね」

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