第四章 囚われたモノたち

●27.新しい日々。

 炎が、炎が、踊っている。

 目前で踊る炎は、次の瞬間懐かしい顔になった。

 長い黒髪の少女。

 彼女は微笑んでいる。

 楽しいと、ずっと一緒にいたいと、どうして一緒にいてくれないの、と。

 そんなの無理だ、と〝僕〟は言う。

 般若のような顔をして、彼女は炎に戻った。


 炎が、炎が、踊っている。

 上へ、下へ、右へ、左へといった炎が迫ってくる。


 哄笑が響き渡った。


 笑い声が、〝僕〟を蝕んでくる。

 それからの逃れるように、〝僕〟は目を覚ました。



● ● ●



 目を開けると、そこは知らないところだった。むき出しのコンクリートの天井は亀裂が奔り、行く宛のなくなった針金がジグザグと行ったり来たりしている。

 温もりを感じて、ヤスユキは視線を斜め下に向けた。

 グレーの髪の少女がヤスユキに抱き着く形で眠っている。まるでもう離さないかのように。彼女の異様なまでの執着心の意味を自分は知らない。

 ヤスユキは暫く彼女を眺めていたが、視線を感じて顔だけを上げる。体を起こそうにも、雪姫の眠りを妨げたくなかったのだ。

 神宮寺と目が合う。

 すぐに視線は逸らされ、壁に持たれて座り込んでいる神宮寺は、傍らで毛布に包まり神宮寺にもたれかかって寝ているアケミを見た。何かを囁きかけると、アケミがうっすらと目を開けた。ぼやける視界を払拭しようと、服の袖で目を拭う。

 そんなアケミを眺めていたからか、睨みつけられてしまったのでヤスユキは視線を逸らして斜め下を見る。雪姫はもう起きていた。

「おはよう」

 反射的に挨拶をすると、くすっと嬉しそうに雪姫が笑った。

「おはよう、ヤスユキ」

「もう昼だよ」

 いつのまにか立ち上がって、神宮寺が言う。

 ヤスユキは思わずはにかんだ。

「結構寝てしまいましたね。僕って、どれだけ寝ていました?」

 あのとき、リボルバーでユウヤを撃ったあとからの記憶がない。もともと記憶はなかったが、またさらに記憶を失くしてしまったようだ。

 雪姫が体を起こしたのでヤスユキも体を起こすと、雪姫が腰に抱きついてきた。

「温かいのじゃ」

「いや、どさくさに紛れで抱きつかないで」

 言葉とは裏腹に、ヤスユキはため息をつくだけで雪姫の抱擁をとこうとは思わない。

 ――なるほど、温もりは心地いいものだ。

「で、ジン。これからどうするんだよ」

 アケミが神宮寺の傍に立ち、腕を組みながら言う。そんな彼女の大きな態度を気にするそぶりもなく、神宮寺は隅の割れた窓ガラスを眺めながら答える。

「そうだね。とりあえず、住処を探さないと」

「片づけ屋は?」

「彼はもともと閑古君の紹介だったからね。連絡取れないんだ」

「なんで?」

「……いろいろあって、彼女がキレたんだよ」

 不服そうな顔のアケミに、神宮寺は淡々と感情のこもらない声で答える。そんな彼の視線はずっと窓の外に注がれており、表情を伺うことはできない。

「まあ、いいけどさ」

「……でも、ひとりだけ連絡が取れたんだ」

「ふーん。誰だ?」

「レオン」

「…………は?」

 アケミの目が点になる。

 知らない名前なのだろうか。

 だけどヤスユキの推察の虚しく、彼女は顔を赤くしてから青くするという一発芸を成し遂げると、頭を抱えて座り込んでしまった。

「あ、ああ。レオン、か。うん。あいつは、そうだな。うん。閑古よりは、ましか」

「……あまり頼りたくないんだけれどね」

「しょうがないだろ。他にあてがないんだったら。というか、いま気づいたんだけどさ。ジンは閑古に頼りすぎたんじゃねーの?」

「そうかもしれないね。けれど、これからは大丈夫だと思うよ」

「気楽すぎるぜ」

 アケミが気を取り直して立ち上がると、まだ床に座り込んでいるヤスユキを見る。目が合い、ヤスユキはとりあえず愛想笑いをした。

「何ニヤついてんだよ」

 睨まれてしまった。

「むぅ。妾おなかすいたぞ」

 雪姫が眠たげな眼をこすり、ヤスユキを見上げる。

 雛鳥のような姿に、ヤスユキは苦笑すると彼女の頭を撫でた。にへらと雪姫が幸せそうな顔をするのに和むのは、どうしてだろうか。

「ご飯か。それならちょうどいいね。いまから、レオンが来るから持ってきてもらおう」

「……手作りか」

「連絡しておくよ」

 そういって、神宮寺は懐から端末を取り出し、操作をする。

 一分もしないうちに端末のピッピッという音は消え、神宮寺は端末を懐に戻した。

「三十分はかかるそうだよ」

「すみません」

「俺もお腹すいていたからね。昨日の夜から何も食べていないのだから、しょうがない」

 雪姫がヤスユキの服を引っ張る。

「それまで妾はヤスユキにくっついているぞ」

 そんなこと言われると、困ってしまう。ヤスユキは頬をぽりぽりと掻き、満面の笑みを浮かべる雪姫を見下ろした。

 窓の外にいったい何があるのか。神宮寺は、視線を窓から逸らそうとしなかった。





「神宮寺ぃ。あちしを指名してくれるなんて嬉しいわぁ。久しぶりにあえて、レオン、マジ感激。男前の顔を見られるなんて、うふん、いいわねぇ」

 扉を開けて中に入ってきた人は、濃い人だった。

 どれぐらい濃いのかといえば、とりあえず頭。頭は坊主なのだが、ピンクのペイントでハートを書いている。着ている白のシャツにもハートの模様がちりばめられており、ズボンは黒だが、その下から覗いている靴下も、あれだ。だけどそれよりも一番濃いのは、顔だろう。濃いファンデーションに、濃いアイシャドー。濃い口紅は、どうして紫なのだろうか。どくどくしい唇から、ちろりと赤い舌が覗く。

 ――これがレオン。

 恐らく男だろう。声は高いが、男声さを忘れていない高さだ。

 レオンは、ひとしきり神宮寺の頭と頬を撫で終えると、満足したのかそれとも神宮寺が一歩後ろに下がって不機嫌そうな顔をしたからか、満面の笑みのまんまこちらを向く。ヤスユキを見てくる。

「……ほうほう。珍しいわねぇ。二人もいるなんて」

「いろいろあったんだよ」

「探偵は秘密主義よねぇ。まあ、あちしもそうなんだけどぉ」

 ウィンクしてハートを飛ばしてくるので、ヤスユキはそれを叩き落とした。

 心配そうな顔をしている雪姫に、ヤスユキは無理やり笑顔を浮かべる。

 ――うん。大丈夫だ。

 恐らくレオンは、〝異能者〟だろう。そうでなければ、先程の二人という言葉の意味も分かってくる。レオンはヤスユキたちを見て、〝異端者〟が二人いるといったのだ。〝異能者〟は同じ〝異能者〟を把握することができる。それは相手が異能を持っていることにより、波動みたいなもので分かるだけで、異能を持たない〝異端者〟からは何の波動も出ていないため、区別ができるのだ。

 アケミはちゃっかりとヤスユキの後ろにいる。それは恐らく自分の身に危険が及ばないためだろう。閑古とは別の意味で、レオンのスキンシップは厳しそうだ。

「で、情報は?」

「あちしは情報屋じゃないからね、高いわよ」

「知っている」

「まあ、情報はあとでいいじゃない~。神宮寺に愛を込めて、手作り弁当を作ってきたのよぉ。食べて食べて」

 抱えていた風呂敷から、レオンが弁当箱を四つ取り出す。その内の一つ、一番大きな弁当箱のふたを開けて、神宮寺に突き出した。お米の上に、海苔で大きなハートマークが書かれている。それをしばらく眺めてから、神宮寺は無言で食べ始める。

 ヤスユキはレオンから渡された弁当箱を眺めていた。蓋を開けるか、開けないか。お腹はすいているけれど、何か身の危険を感じる。

 隣で雪姫が躊躇うことなく蓋を開けた。白いお米の上は何もかかれていない。

 ヤスユキは安堵して、弁当の蓋を開ける。白いお米の上に福神漬けでハートマークが書かれていた。蓋を閉める。お腹いっぱいだ。これは、神宮寺に渡そう。うん。それがいい。

 ぎゅうきゅるるうううううううっ。

 ヤスユキのお腹が非難するかのように大きな音をたてる。

 アケミに睨まれたので、ヤスユキは観念して弁当箱の蓋を開けると、中身を見ることなく一気にかきこんだ。



「もうっ。神宮寺ったら、肩こり過ぎよぉ~。今度あちしの店にいらっしゃい。安くしとくから」

「……で、情報は?」

 レオンが神宮寺の肩をマッサージしている。その手つきは手慣れたもので、もしかして彼は整体師か何かなのだろうか。神宮寺の知り合いにまともな人がいるとは思えないが。

 神宮寺の問いかけに、レオンが口をパクパクさせる。神宮寺だけに聞こえる声音で、何かを言っているらしい。

「お腹いっぱいになると眠たくなるのぅ」

 雪姫が仰向けに寝転がる。いつの間にか彼女は、藍色の浴衣を着ていた。服の裾をくいっと掴まれ、視線を落とすと目が合ったので、微笑みあう。

 ヤスユキは徐に手を伸ばして雪姫の頭を撫でてあげた。そうすると彼女は喉を鳴らして、クスクスッと笑い声を上げるのに、愛おしくなる。

 ――ああ、思ったよりも穏やかだ。

 そんなことを考えてしまう。

 ――僕は〝異端者〟だ。それなのに、神宮寺も、アケミさんも、僕に対して軽蔑の眼差しを向けたり、罵詈雑言を向けてきたりしない。それが心地よくも、胸がチクリと痛んだりもしているけれど、それでも彼女がきてくれた。雪姫は、僕と同じ〝異端者〟だ。彼女の無垢な愛情をけがしてはいけない。

 ヤスユキは目を細める。そして、ゆっくりと床に視線を落とした。


 どうして自分はこんなにも穏やかなのだろうか。

 心が、悲鳴を上げない。怒りも、憎しみも、悲しみも、〝異能者〟に対して抱かないなんて。

 あれからそんな日々が訪れるなんて、考えてこなかった。

 あの光景は、いつも脳裏に根付いていた。彼女のせいで、自分の身内は一人残らず死んでしまったのに。

 それに憎み、力を求めて《現実主義リアリズム》に入り、サイヤからいろいろ学んだ。性格に難があるサイヤの教えは正直理解できないところもあたったが、それでも〝異能者〟を殺す術を学び、自分はそれを実行してきた。

 それでも心の闇は晴れない。すべての〝異能者〟を殺し尽くさなければ、こんなにも涼やかになれないと思っていたはずなのに。

 あんなにとぐろを巻いて、自分の中に居座っていたあの憎しみは、どうしてまだ戻ってこないのだろうか。

 ――――このままじゃ、僕はどうにかなってしまいそうだ。


 記憶はもう戻ってきているのに――。


 ヤスユキは、ゆっくりと雪姫の手を握った。

 リボルバーは、手元にない。



● ● ●



「アイ」

「何かしら」

「報告が入りました」

「……」

「あの人が視たところによると、彼は記憶を取り戻しているそうです」

「……そう」

 小さな嘆息。

 アイは腕を伸ばし大きく伸びをする。

「獲物は決まった?」

「はい」

「何かしら」

「彼、です」

「そう。やっぱり。いいわねぇ。標的に彼は入っていなかったけれど、探偵と遊ぶ口実ができたわ。少し遠回りになってしまうかもしれないけれど……楽しみ、ね」

 うふふと笑うアイの声を、真白は目を閉じながら聞く。

 どこからか、かさかさというような音が聞こえてきた





 アオはゆっくりと目を開けた。長い前髪で視界を塞がれているので、手で髪の毛を少し分ける。白っぽい目で辺りを見渡すと、クスッと笑い声を上げた。

「おねえちゃんのためだったら、ボクはなんでもするよ?」

 その声は誰にも届かない。壁に反響することなく、小さく消えていった。

 かさかさ、ぶーん、という音がして、アオの周りに虫が集まってくる。

 大量の蟲の中、体育座りをして椅子に座ったアオは、またゆっくりと目を閉じた。

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